しとしとと、冷たい雨の降る日だった。






 春の気配はもうすぐそこまでやってきていると思ったのに、今日は底冷えがするくらい寒くて。
 どの教室も、暖を取る為に締め切っている。そうでなくても、今は授業中。
 寒さも手伝ってか、進む廊下は一層静寂に満ちていている気がした。


「 ( もう・・・この景色も、見納めですね ) 」


 そう思うと、見飽きたはずの窓の外も名残惜しくなってきた。
 生徒会の仕事も、時間はかかったが今日で引継ぎは終了だ。
 明日の卒業式を終えれば、学校へは来なくなる。その数日後には、合格したばかりの大学で入学式だ。


 自分が成すべきこと、成さなければ成らないことは、すべて完了している。
 あとは、決まった『 未来 』まで、一直線。
 定められた道筋に戸惑いもなく、自分もその心積もりだった。


 これで心置きなく・・・卒業しても、次の場所で私はまた精一杯尽力できる、と。




 そう思って、もう一度目に焼き付けようと中庭を覗いた時だった。








 校舎下に佇む影が、ぽつりとひとつ。


 真下の花壇のと同化しているように、水玉柄の傘が花開いている。








 ・・・この時間に校舎をうろついているということは、自分と同じ3年生か。
 だが、何故?自分のように、何か特別な用事が・・・その花壇に、あるのだろうか。
 逆に下級生だった場合は、一言注意をしなければならない。


 心の正義感に、火がつく。これが、元生徒会長として最後の仕事だろう。
 帰り支度は整っていたところだ。鞄代わりのリュックを背負うと、下駄箱へと向かう。


「 ・・・・・・あ、 」


 と、思わず声が出てしまった。
 取り出した靴を地面に放り投げたところで・・・校舎へと入ってきたのは。


「 ・・・・・・あ、 」


 パチン、と畳んで水気を払う水玉柄の傘には、見覚えがある。
 昇降口で鉢合わせしたのは、傘の下にいたと思われる・・・『 生徒 』だった。
 こちらに気づいたようで、あんぐりと口を開いたまま、かいちょーさんだ、と小さく呟いた。


「 私のことを、ご存知なんですか? 」
「 ふふ、だって生徒会長さん・・・いや、元・生徒会長の陸遜さん 」
「 ・・・初対面の方に、フルネームで呼ばれるのは、ちょっと恥ずかしいです 」
「 あ、ごめんなさい。えっと・・・3年6組の、といいます 」
「 さん、ですか 」
「 うん、、です 」


 よろしく、と恥ずかしそうに彼女は肩を竦めて、微笑む。
 白い頬にがぽっとピンク色に染まる様が、愛らしい。
 いつの間にか自分の頬も緩んだのか。私を見つめていたさんが、驚いたように声を上げた。


「 やっぱ会長さんの笑顔って、すっごくキュート! 」
「 な・・・何ですか、唐突に 」
「 みんな言ってたもの。りっくの微笑み殺しには、誰も敵わないって・・・うん、間近で見ると、確かにそうかも 」
「 ・・・ほほえみごろし・・・というか、りっくんって何ですか!? 」
「 あだ名だよ、生徒会長さんの。アレ、もしかして呼ばれたことない?? 」
「 ありません! 」
「 そう、割とみんなそう呼んでいるのを聞いたけどな・・・本人には使わないのかな・・・ 」


 ふむ、と彼女は唸り、首を傾げた。
 さん、といいましたか。何故でしょう・・・見ているだけで腹正しい、といいましょうか。
 普段、初対面の方にこれほど嫌な気持ちを持つことは滅多にないのですが。
 こうも珍しそうに、好奇心たっぷりの瞳で見られて良い気分のする人なんて、あまりいませんし。
 ( 少なくとも、私はそういう部類の人間ではありません )
 いっさい悪気がない素振りなのが、一層私を苛立たせた。
 心の中が、荒んでくる・・・早く帰ろう、元々そのつもりで降りてきたのだから。


「 では、私はこれで失礼します 」
「 え、あっ・・・! 」
「 まだ何か!? 」
「 ・・・・・・・・・ 」


 強い口調に気圧されてか、彼女は急に黙るとぷるぷると左右に首を振った。
 睨むように見つめていた視線を、ふいっと逸らして靴に足を通す。
 黙ったまま俯いた彼女を振り返りもせず、脇を抜けて、傘立てへと歩み寄る・・・が。


「 ・・・・・・あれ? 」


 自分の傘が・・・なくなっている。
 3年生用の傘立てには、埃をかぶったような傘が数本ささっていたが、どれも自分のものではない。
 慌てて別の場所の、他学年の傘立ても覗くがそこにもなかった( ・・・ショックです )
 ぼんやりと外へ視線を戻す。雨は未だ、止みそうにない。最寄り駅まで走るには距離がある。
 濡れたまま電車に乗るのも・・・と思案していたところに声がかかった。


「 あ・・・の、 」


 ・・・そういえば、彼女の存在をすっかり忘れていました・・・( とっくにいなくなったものだと )
 おずおずと振り返った私の視界に、ばっと広げられた水玉模様。
 その傘の向こうで、なぜか真っ赤になったさんの声が、誰もいない昇降口に響き渡った。


「 え、っと・・・あ、そ、その!駅まで、いっ、一緒に行こ!! 」


 お誘い、というには、鬼気迫った勧誘で。
 反対に気圧された私は・・・躊躇いがちに、頷いた。




















 空から降る雨は、軒下で見るよりもはるかに激しいもので。
 走っていれば、濡れたなんてものでは済まないだろう・・・と、正直胸を撫で下ろす。
 彼女の申し出は、有難いものだと思えた。


「 ( 結構・・・きつい態度に出てしまったのに ) 」


 争った結果、傘の柄は自分が持つことになった。
 右隣に立つさんをちらりと盗み見れば、表情を強張らせたまま・・・俯いていた。


「 ( やっぱり、威嚇などしなければよかった・・・ ) 」


 元来、苦手なのだ。他人に対して強気な態度に出るなど。
 生徒会長だった頃は、そうしないと『 負けて 』しまうこともあった。だから覚えた。
 けれど・・・初対面の女子に『 していい行為 』ではなかったと、今は反省している。
 ちゃんと謝らなければ・・・そうでなければ、校舎を出てからの、この沈黙に耐えられない。
 乾いた唇をひと舐めして口を開いた時、隣の気配が動いた。


「 ごめんなさい! 」
「 ・・・え、 」
「 さっきは、思わず舞い上がっちゃって、失礼な態度をとったから・・・謝らなきゃ、って 」


 狭い傘の中、俯いていた彼女の顔が持ち上がって距離が近づく。
 振り向いた私の顔が、彼女の瞳の中に映って・・・すぐに、逸らされる( あ )


「 舞い上がって、って・・・どうしてですか? 」


 私の言葉に、真っ赤になった彼女は、えっ、その・・・と口篭りながら、歩幅を狭くする。
 後ろ髪に水滴が零れそうになり、慌てて自分も速度を緩める。
 そのうちさんはとうとうその場に足を止め、散々躊躇った挙句、やがてぽつりと喋り始めた。


「 、さん? 」
「 わ、笑わないでね。あの・・・私、陸遜さんが・・・いつも、生徒会室にいるの、見てたの 」
「 えッ!? 」


 笑いはしませんが・・・驚きました。
 その反応を見た彼女が、酷く傷ついたようにビクリと肩を震わすので、慌てて平静を保つ( ように見せる )


「 生徒会室の真下にある花壇ね、あれ、私の担当なの。あ、園芸部なんだけど・・・。
  時々、窓辺から陸遜さんも見えたよ。毎日、遅くまで電気ついてたの、ずっと知ってた 」
「 そ・・・そうなのですか? 」
「 うん。だから、壇上で演説するのを見る度に、一生懸命頑張る会長さんって凄いなあって思ってた 」


 だから、今日初めて同じ目線で逢えて、すごくびっくりして・・・舞い上がっちゃったの。
 そう言ってはにかんだ笑顔を見せたさんは、昇降口で出会った時のように頬を染めた。
 ・・・同時に、ものすごい後悔に駆られる。
 私は、彼女の・・・さんに、至極失礼な感情を抱いたのでは、と。
 ( 好奇の眼差しは、決して私を侮辱するワケではなく・・・それどころ、か )
 呆然と立ち尽くす私に気づかず、彼女は思い出したように鞄を漁り出した。


「 ハイ、これ。陸遜さんに、あげます 」


 差し出されたのは、小さな花束だった。
 桃色や黄色の、色とりどりの花々。名前はわからなかったが、どれも校内で見かけた花だ。
 切り口は濡れたティッシュペーパーに包まれ、その上を透明のビニール袋が被っていた。


「 あの花壇で、私が育てた花なんです。卒業記念に、少しだけ貰ってきちゃったんですけど 」
「 でも、これは貴女が持って帰るはずだったのでは・・・? 」
「 陸遜さんに貰って欲しくなったの!ええっと・・・そう!頑張ったで賞、です!
  生徒会長さん頑張ったで賞と、卒業おめでとう賞、です 」
「 おめでとう、賞・・・ 」
「 えへへ、それは私も同じなんですけど・・・私は、明日もう一度もらってこれますから 」


 さんは、傘の柄を掴んでいた手とは反対の手にに触れた。
 雨の中でも彼女の指先は熱くて、触れられただけで火傷してしまうようだった。
 花束を握らせると、ぎゅ、と両手で抱き締める。それだけで・・・私の心臓が、跳ねる。
 代わりに、がさ、と背負っていた鞄が物音を立てた。


「 一度でも・・・卒業する前に、陸遜さんと話せてよかった。
  本当はね、ずっと話してみたいと思ってたんです。頑張る貴方を、見てたから 」
「 ・・・さん、あの 」
「 明日の答辞、楽しみにしてます。最後のお仕事、頑張ってね!会長さん 」


 そう言うなり、彼女の熱が離れる。
 水玉の輪の中から、小柄な彼女の身体が飛び出し、大粒の雨の中へとかき消えた。
 追いかけようとしたが、激しい雨は霧となり、行く手を阻んだ。


「 ・・・、さんッ!!! 」


 人目も憚らず、叫ぶ。周囲は驚いたように振り返ったが、彼女だけは・・・振り返らなかった。
 よく見れば、駅のすぐ近くまで来ていたようだった。彼女が走り去ったのは、駅構内ではない。
 ということは・・・電車通学ではないのに、ここまで傘を差して歩いてきてくれたということか。






「 ( ・・・私の、ために・・・ ) 」






 握り締めた花束は、色鮮やかだった


 ほんの数分しか顔を合わせていないのに・・・私の心に、様々な感情を迸らせた










 彼女の・・・さんの、笑顔、そのものだと思った












それはと言うには







淡すぎる





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( まるで花火。ぱっと咲いて、ぱっと消えてしまう・・・でも、心に色づいて忘れられないのだ )






Title:"31D"