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 ・・・明日は早いっていうのに・・・誰だ、こんな夜更けに。
 
 
 
 
 
 
 俺様の居る離れの場所を知る人間は、ごく僅か。
 主人である真田の旦那と、仲間である忍たち、そして・・・いや、まさかそんなはずは。
 と思うのに、この小さな足音は、紛れもなく『 彼女 』のものだった。
 扉の前で、こくりと息を呑む気配。彼女の手が戸を叩く前に、わざと物音を『 立てて 』あげる。
 
 
 「 佐助さん・・・あの、私、です 」
 「 こんばんわ、姫さん。どうしたんだい、もう月はとっくに昇ったよ 」
 「 ・・・・・・・・・ 」
 「 ・・・戻るんだ。部屋にいないことがわかれば、大騒ぎになる 」
 「 どうしても・・・入れてもらえませんか 」
 
 
 木製の扉越しに、姫さんが訴える。
 けれど、俺様はその扉を開けて、彼女を受け入れることはない。
 ・・・いや、受け入れてはいけないのだ。
 
 
 「 武田の姫が、夜更けに忍の庵を訪ねたと知れれば、評判ガタ落ちだぜ。
 俺様も大将に顔を合わせられなくなる。ましてや・・・明日から、長期の任務だってのに 」
 「 私の評判など、誰が囃したてようと関係ありません。
 それよりも、その任務、すごく危険を伴うものだと聞いたのです。ですから・・・ 」
 「 心配して?有難いけれど、これは仕事だ。姫さんの仕事が、屋敷に居ることのように、俺様は 」
 
 
 佐助さん、と強い声がした。俺様はその声に、身体を震わせる。
 
 
 「 身分など、どうして気にするの? 」
 
 
 ぎゅう、っと心臓を鷲掴みにされたよう。息をするのも困難だ、頭がくらくらする。
 溜まらず俯いて、片手で口元を押さえた。
 
 
 
 
 
 
 ・・・扉が開いてなくて、本当によかった。
 じゃないと、俺様・・・今、姫さんを見たら泣いちゃうだろうから。
 泣いて縋って『 俺 』の傍にいて、って・・・。
 
 
 
 
 
 
 絶対言ってはいけない、禁忌の言葉を口にしてしまいそうで。
 
 
 
 
 
 
 密かに唇をかみ締めて、彼女が扉に当てている手に、そっと自分のを重ねる。
 伝わるわけないのに・・・其処に或る熱を、信じれば感じられるような気がして。
 
 
 「 ・・・佐助さん、好きです・・・ 」
 
 
 涙声で、夜に溶けてしまうんじゃないかってくらい、そっと呟く。
 
 
 「 姫さん・・・ 」
 「 佐助さんのお仕事は、理解しています。でも、心配なんです・・・好きな人の、ことだから 」
 
 
 扉に寄りかかったのか、がた、と音がした。
 揺れたのは扉なのに、寄りかかったのは扉なのに。震えた、心。
 ふいに、声を殺して泣いている姫さんの姿を想像して・・・俺は・・・。
 
 
 「 ・・・佐助、さ・・・ 」
 「 身分なんて、俺にはどうでもいい。でもさ・・・俺は姫さんの、その素直で純真な心が怖いんだ。
 俺なんかと一緒にいて、誰かの口悪い噂に傷ついてしまったら、と思うと・・・ 」
 
 
 貴女が、俺を見限って離れていくことほど、耐えられないことはない・・・。
 
 庵から漏れる光に照らされて。
 開いた扉に驚いていたが、俺様の言葉に、彼女はふるふると首を振って、にこっと笑った。
 そして・・・両手を思いっきり伸ばして、俺様の胸へと飛び込んでくる。
 
 
 「 佐助さんが、遠くに行ってしまうこと以外、怖いことなんてありません 」
 「 姫さん・・・ 」
 「 だから、お願い。抱き締めてください。傍に居て、って、言ってください。
 そうしたら、私、もう絶対離れません。ずっとずっと、佐助さんの傍に居るから。
 私の・・・一生をかけて、約束します 」
 
 
 
 
 
 
 その呟きだけで、俺がどれだけ救われるかなんて・・・彼女は、わかってないんだろうなあ。
 
 
 
 
 
 
 躊躇うように、彼女の両肩に手を置く。温かいそれに触れれば、もっと、と我侭になる。
 小さなその身体を包み込むように、折り曲げた自分の身体全部で、覆う。
 姫さんが嬉しそうに、佐助さん・・・と俺の名前を呼んだ時、とうとう一粒零れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 綺麗な下弦の月の昇る、ある一夜。
 
 
 だけど・・・俺にとっては、一生忘れられない・・・そんな、夜だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
03.悲 拍手、有難うございました。貴方の拍手が、私の元気の源です。
 
 
 いとしいということ
 
 ( 一緒に、なんて大層なことは願えないけれど・・・せめて貴女が、幸せであるように )
 capriccio
 
 01.愛( 松永久秀 )02.甘( 片倉小十郎 )03.悲( 猿飛佐助 )
 04.恋( 真田幸村 )05.幸( 伊達政宗 )
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 10.戀( ? )
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