身体中に、衝撃が走った。


誰かが、私の名を叫んだけれど、息が詰まって応えることが出来なかった。
細めた瞳に、世界を照らす光が凝縮する。痛みと、眩しさに、思わず目を閉じた。

瞼の裏に映った・・・・・・アナタ、の、後姿・・・・・・・・・。

紡いだ『彼』の名は声にならず、空気に溶けた。



それが・・・『ワタシ』の最後の、『記憶』だった。

次に目を覚ましたのは、やっぱり男のヒトの話し声。

「あれ、ちゃん、起こしちゃった?ごめんね」

おはようと優しく微笑んで、「ちゃん起きたよ〜」と奥へ声をかけた。
数枚のカルテを抱えて、黒髪の少女がこちらへと駆け寄る。がばぁっ!と横になったままの私を、抱き締めた。

「バカバカバカ!のバカっ!ホント・・・無茶ばかりするんだから・・・」

星のようにキラキラとした雫が、頬を伝った。私は、それをじっとみつめているしかなかった。
彼女の後ろに控えていた男のヒトが、何かに気づいたように、泣いている彼女の肩を突付いた。

「・・・・・・・・・・・・?」

私は、とても困ったような表情をしていたんだと思う。
二人は怪訝そうに、こちらを見ていた。コクリ、と喉が鳴って。呟いた。




ね ぇ 、  貴 方  だ れ






「ひっく・・・うぇ・・・ひっぃく・・・」

ツインテールの少女の涙は、未だに止まらなかった。
あれから色んなヒトが来て、私の身体を隅々まで検査したけれど、特に外傷はないそうなのだ。
最後に、フゥとため息をひとつ吐いて。

ちゃん、原因がわからない以上、様子を見るしかなさそうだ。大変かもしれないけど、もう一度ココの生活や、自分のことを理解していかないとね」

そう言って、「僕はコムイ。ココの責任者みたいなコトやってるから、何でも相談してね」と、握手を求められた。
その手を握り返していると、ばっと顔を上げて、彼女が反対側の手を握った。

「リナリー・リーよ!頼ってね!の為なら何でもするから!!」

「・・・リナリー・・・」

うん!と、花のように咲いた笑顔が、とても愛らしい。私も顔を綻ばせると、彼女の頬がほんのり染まった。
そして、「記憶が失くても、親友には変わりないんだからね」と、また涙を零した。

そう・・・私は、『記憶』を失くしてしまったらしい、の。
あんまり自覚がないから、何とも言えないんだけど・・・。だけど、わかる。
この雰囲気、窓から差し込む光、見える景色。とても落ち着く。帰ってきたんだ、って気分になる。
コムイさんの優しさにも、リナリーの涙にも、どこかで触れた憶えがある(どこで?と聞かれたら、とても困ってしまうけれど)

廊下から、カツカツカツ・・・と駆けて来る音が聞こえた。自然と、私たちの間に緊張が走る。

バンッッッ!!!

大きな音をたてて、開いた扉。ドアノブを握るのは・・・。

「・・・、が、意識を・・・取り戻したと、聞いて・・・」

荒々しい息を整えるかのように、肩が上下に動く。と同時に、綺麗に切りそろえられた前髪が揺れた。

一瞬、目が合う。
双眸の強い光が、私を射抜いた。ぶるりと肩が震える。

「ちょっと、こっちに来て」

コムイさんが、彼の手を引いて、奥へと連れて行った。
私は置いていかれた子供のように、彼が消えたカーテンの向こうを見つめていた。リナリーが、心配そうに「・・・」と呟いた。



・・・なぜだろう・・・・・・彼から、視線を、逸らせない・・・・・・。



やがて、彼とコムイさんが私の前に立った。彼は一歩前に出て、身体を起こした私の向かいに腰を下ろした。

「・・・騒がせて済まなかった」

「いえ・・・大丈夫です」

「痛いところは、ないのか」

「はい・・・大丈夫です」

「・・・敬語は使わなくて、いい」

俯いた彼。ちっ、と小さく舌打ちが聞こえた。
ああ・・・照れている時や、どうしたらいいのかわからない時の仕草だ。

「・・・・・・・・・っ」

胸がちり、と痛んだ気がして、私は首を傾げた。何、今の?
彼は顔を上げ、正面から私を見据えた。

「俺は・・・神田、だ」

「・・・か、んだ?」

コクリと頷く。
先程のように、強い光はそこにはなく、ただ深い・・・深い、哀愁が湛えられていた。
吸い込まれそうなその瞳に、私はしばし魅入っていた。

「神田 ユウ。それが俺の名前だ」

「神、田・・・ユウ・・・」

オウムのように繰り返す私の手に、彼・・・神田が、そっと自分の手を添えた。

「・・・神田・・・」

「・・・・・・・・・



ポタ、ポタリ

大粒の涙が、重ね合った手のひらを濡らした。
神田は驚いたように私を見つめていたけれど、やがて自分の胸元に引き寄せる。
もう一度、「」と私を呼んだ。それがとても・・・心地良くて。

「ユウ・・・ユウ・・・」

泣きじゃくる私の頭を撫でて。神田は「ここにいる」と囁いた。コムイさんに泣きついているリナリーを、視界の端に捕らえた。
何度も、何度も、私は彼の名前を呼んだ。何度も、何度も、彼も私の名前を呼んだ。



胸の奥が苦しい。初めて記憶がないことを悔やんだ。
・・・憶い出したい・・・神田のコト。
何かが心に訴えてるの。彼は私にとって、とても大切なヒトだったんだ。そうでなきゃ、私の胸はこんなに震えないわ。
だけど、憶い出せない。自分の想いでさえ、本物なのかわからない。
そんな自分に、憤りを感じた。
いつか・・・失ったハズの記憶の欠片を繋ぎ合わせれば・・・本当の貴方に逢えるのかしら。





「・・・・・・・・・・・・」





彼が呼ぶ、『私』。
今はただ、その真実だけに、私はしがみついた。












( 『答え』はきっと、『私』の心(ナカ)に眠っている )

加山よろこさんの『灰男夢祭』に出品しました。

Material:"水珠"