枝と屋根を伝って、闇に紛れる。
猫や犬の、動物的勘でも反応できないくらいの、速さで。
俺が向かうのは、とある住宅地の一軒屋。何の変哲もない、普通の民家。
だけど・・・この屋根の下で、辛い目に遭っている少女がいるのを、俺は知っている。
本当の両親を失って、仮初の家族に迫害されている・・・孤独な少女。
予め用意しておいた針金を胸元から取り出し、慣れた手つきで開錠する。
かちり、と小さい金属音が聞こえて、自然と口の端が持ち上がった。
頭の中で描いた道順通りに、寝静まった家宅の廊下を歩いていく。
目指す最奥の部屋は、庭に面した離れ・・・というより『 隔離 』に近い。
周囲を確認して、扉のノブに手をかけた。
鍵がついているのに、抵抗することなく、ドアは開く
( かけたくても、かければ自分の身に火の粉が降りかかると・・・わかっているから )
窓のない、納屋にも似たその部屋の片隅に。己の身体を護るように、丸まって眠る影があった。
、それがこの少女の名前。
学校では屈託のない笑顔を見せてはいるが、それも、この家に一歩入れば消える。
身体の痣、痩せ細った腕や足。以前に見た時より、少し頬が扱けていた。
この家で過ごすには・・・もう、限界だろう。
これ以上の『 精神的な虐待 』にも『 肉体的な虐待 』にも、耐えられるとは思わない。
彼女を『 知って 』1ヶ月、彼女に『 出逢って 』1ヶ月、彼女を『 見守って 』1ヶ月。
『 わしの親族から、という少女を見つけて欲しい 』
依頼主に頼まれてから、3ヶ月が経った。
は両親を事故で亡くして、6年以上経つという。俺が『 見た 』のは、ほんの一部だったけれど。
学校で友達と喋る楽しそうな姿も、でも本当は誰にも心を赦せずにいる表情も、
そんな自分を嫌悪して泣いている背中も、この家で虐待にあって何もかも諦めたような顔も・・・全部、見てきた。
その結果・・・俺は、彼女に・・・いつでも、あどけなく微笑っていてほしいと思った。
「 ( 武田信玄が、お前を引き取る準備をしている ) 」
本当は誰よりも素直で、純粋な娘だ。かの人の大きな心に触れれば、彼女の『 呪縛 』は解けるだろう。
『 闇 』に籍を置くのは、俺一人でいい・・・お前は、もっと明るい未来を見据えて、進んで欲しい。
・・・不思議だ。3ヶ月しか『 見て 』いないはずなのに。
俺がこんなに彼女のことが気にかかるのは、何故なんだ・・・?
どうしてこんなにも、の『 幸せ 』を・・・誰よりも願っているのだろうか。
「 ( よかったな ) 」
俺も、次の雇い主が決まっている。今夜を最後に、この『 任務 』は終了だ。
お前に逢う機会も、きっとあるかもしれない( なんせ・・・近いからな )
今度逢ったら・・・今度こそ、お前の笑顔が見たい。
どうか、俺だけに『 笑顔 』を。その為なら、俺は助力を惜しまないだろうから。
「 ( ・・・・・・ ) 」
今夜は、一体何をされたのだろう。毎晩のように、その頬に涙の筋が残っていた。
しばらく逢えないと思うと、彼女が名残惜しくなったのだろうか。
手を伸ばし、初めて触れた髪は思った以上に柔らかくて・・・そっと頭を撫でる。
指先に残る感覚にうっとりして、しばらく手を離せなかった。
「 ・・・う・・・ 」
身じろぎした彼女に、反射的に手を引く。俺の存在がバレてしまっては、元も子もない。
再び気配を殺して、立ち去ろうとした時・・・だった!
「 うう、・・・お、かあ、さぁ・・・っ 」
の瞳から大粒の涙がこぼれ、涙筋の上を疾る。悪い夢でも見ているのだろう
( それも恐らく・・・死者の夢だ )
苦しそうに、救いを求めるように、彼女の左手が伸びた。
本能に従って、俺は思わずその手を掴んだ。
「 ・・・・・・!! 」
冷静ではいられなかった。掴んだ手を引き寄せて、彼女の身体ごと胸の内に抱き締める。
驚いて起きてしまうのではないかと思った彼女は、ここまでされても、なかなか夢から覚めないようだった。
抱き締められたまま、激しく嗚咽している( もしくは、今縋れれば誰でもいいのかもしれない )
こんなに小さい身体を震わせて、号泣している彼女の体温が心地良くて、愛しくて・・・たまらなかった。
誰にも渡したくない。このまま攫ってしまいたい衝動で、胸が一杯だった。
しばらくして・・・彼女の声が小さくなったと思うと、細い腕がぱたりと床に落ちた。
誰の腕ともわからないのに( ・・・彼女の中では、完結しているのだろう )
ほっとしたのか、そのまま眠りについたようだ。
聞こえてきた寝息に、ようやく『 自分 』を取り戻し、どっと冷や汗が出た。
胸を撫で下ろしながら、彼女の身体をゆっくりと元の位置に横たわらせる。
涙で張り付いた髪を、取り除いてやって・・・その柔らかい髪に、口づけを落とした。
もうすぐ、もうすぐだから・・・。
闇に溶けて、風に乗る前に。
もう一度だけ覗き込んだの顔は、思いっきり泣いたせいか、少し憑き物が落ちたような表情だった。
どうか、彼女が『 悪夢 』から覚めますように。次に逢う時は、笑顔でいますように。
時計の針がかちり、と3時を告げた瞬間・・・俺の身体は、部屋から消えていた。
『 』いう少女が、隣の武田道場に越してきたという情報は、雇い主を通して知った。
腹心の報告を、当主は受け流していたが・・・ある日、それは嬉しそうな顔をして学校から帰ってきた。
理事長の親族という優遇されている身分でありながら、全く顔を出そうとしなかったのに。
気晴らしにとたまたま出かけた、という日のことだった。
「 いかがなされたのですか、政宗様 」
「 気に入った毛色のkittenを見つけてな・・・おい、風魔 」
呼ばれて、控えていた柱の影から姿を見せる。
「 頃合を見て、隣の道場からという娘を連れて来い 」
「 政宗様!それは誘拐・・・ 」
「 一度ゆっくり話してぇだけだよ、小十郎。No problem. 」
くつくつと喉の奥で笑うと、今日あった出来事を思い浮かべるように。
どこか浮ついた顔で、窓の外を眺めていた。
・・・この男に、こんな表情をさせるとは。
『 幸せ 』は伝染するというから。願った通り、彼女は『 笑って 』いるのだろうか。
そう思うと、気持ちが急いてきた。
早く逢いたい。俺が見つめるだけでなく、あの瞳に・・・俺を映して微笑んでほしい。
逸るココロを抑えて・・・同じ『 気持ち 』の当主に、頭を下げた。