聞く気はなかったのだが・・・出るに出れない。
殿はもう寝ていると思っていたのだが、そうではなかったらしい。
扉の開閉の音の後に、階段を降りる音がした。飲み物でも取りに行ったのかもしれない。
某も何か飲みたい気分になって、続くように、そっと階段を降りようとした。
彼女が、台所と廊下を繋ぐガラス戸を閉めた。踊り場からその背に声をかけようとしたが・・・
「 ・・・お館様? 」
という彼女の声が、某の動きを封じた。
動くに動けず、結局その踊り場で固まっていると・・・背後に気配を感じる。
某の肩に自分の腕をがしっと絡めて、座らせる。こんなことをするのは、佐助しかおらん。
「 ( 何をするか、佐助! ) 」
「 ( しーっ、黙っててよ、旦那 ) 」
何故、と問う前に、殿とお館様の会話が聞こえてきて、思わず耳を澄ましてしまう。
こ、これではまるで、盗み聞きではないかっ!?某の辞書に、そんな卑怯な言葉はござらん!!
暴れ始めた某を、必死に黙らせようとする佐助。が、しかし・・・。
「 お前は・・・ここが好きか?ここでの生活に、不自由していることないか? 」
お館様の声音が気になった・・・何か、焦っておられるのか?
というより、本当に聞きたいことを躊躇っているような、本音を濁すような声。
隣の佐助が、そろりと某の身体から手を放し、ふうっと溜め息を吐いた。
「 ( そっか・・・もう、そんな時期なんだね ) 」
「 ( 何のことだ? ) 」
「 ( 旦那、忘れたの?俺様たちが、何時ここに来たのか・・・ ) 」
「 ( ・・・ああ、 ) 」
『 幸せ 』過ぎて、失念していたことだった・・・もう、そんな時期なのだな。
実兄ではない佐助を伴って、この武田道場に居候する理由。
某を導いてくれるお館様、そして・・・殿。
3人から4人での生活になって、毎日が賑やかになった。
彼女を通じて、親交を深めた者もいる。自然と、時間の流れに疎くなる。季節が過ぎるのが、早くなった。
明日の文化祭だって・・・去年は、こんなに楽しみだとは思わなかった。
殿のおかげで、最近同じクラスの者からよく話しかけられるようになったのだ。
みなが某を『 真田 』から『 幸村 』と呼ぶようになった。
女子は相変わらず苦手だが・・・話しかけられるだけで、逃亡するようなことはなくなった。
そのおかげで、今年はクラスの出し物にも剣道部の出し物にも挑戦する。
だけど、忘れてはならない『 現実 』も・・・某と佐助には、あるのだ。
「 ( 話が終わったみたいだ。こっちに来る。行こう、旦那 ) 」
「 ( 佐助・・・某、は・・・ ) 」
「 ( ・・・思い出させてごめんな。でも、忘れちゃいけないんだ ) 」
佐助の手が、乱暴に某の頭を撫でた。泣いている某の腕を引っ張って、部屋の前まで連れてこられる。
とん、と背中を押す手があって、一歩自分の部屋に入ると、佐助が静かに戸を閉めた。
それからしばらくして、とん、とん・・・と小さな足音が階段を昇ってくる。殿だろう。
やがて彼女の部屋の、扉の閉まる音がした。
「 ・・・うぅ・・・っ 」
涙が止まらない。いつかやって来る・・・それも、そう遠くない『 未来 』に脅えて。
隣人に、嗚咽がばれてはならない( 殿に、心配をかけたく、ない )
部屋の隅にあるベッドに潜り込むと、小さく身体を丸める。
某は・・・俺は、こんな想いをするために、此処に来たわけではないのに。
耳元を伝って零れる涙が、シーツを濡らし・・・その冷たさに、また、泣いた。