03.It can fly, if it is with you.(08.5)

聞く気はなかったのだが・・・出るに出れない。

殿はもう寝ていると思っていたのだが、そうではなかったらしい。 扉の開閉の音の後に、階段を降りる音がした。飲み物でも取りに行ったのかもしれない。 某も何か飲みたい気分になって、続くように、そっと階段を降りようとした。 彼女が、台所と廊下を繋ぐガラス戸を閉めた。踊り場からその背に声をかけようとしたが・・・



「 ・・・お館様? 」



という彼女の声が、某の動きを封じた。
動くに動けず、結局その踊り場で固まっていると・・・背後に気配を感じる。 某の肩に自分の腕をがしっと絡めて、座らせる。こんなことをするのは、佐助しかおらん。



「 ( 何をするか、佐助! ) 」
「 ( しーっ、黙っててよ、旦那 ) 」



何故、と問う前に、殿とお館様の会話が聞こえてきて、思わず耳を澄ましてしまう。 こ、これではまるで、盗み聞きではないかっ!?某の辞書に、そんな卑怯な言葉はござらん!! 暴れ始めた某を、必死に黙らせようとする佐助。が、しかし・・・。



「 お前は・・・ここが好きか?ここでの生活に、不自由していることないか? 」



お館様の声音が気になった・・・何か、焦っておられるのか?
というより、本当に聞きたいことを躊躇っているような、本音を濁すような声。
隣の佐助が、そろりと某の身体から手を放し、ふうっと溜め息を吐いた。



「 ( そっか・・・もう、そんな時期なんだね ) 」
「 ( 何のことだ? ) 」
「 ( 旦那、忘れたの?俺様たちが、何時ここに来たのか・・・ ) 」
「 ( ・・・ああ、 ) 」



『 幸せ 』過ぎて、失念していたことだった・・・もう、そんな時期なのだな。
実兄ではない佐助を伴って、この武田道場に居候する理由。



某を導いてくれるお館様、そして・・・殿。
3人から4人での生活になって、毎日が賑やかになった。 彼女を通じて、親交を深めた者もいる。自然と、時間の流れに疎くなる。季節が過ぎるのが、早くなった。
明日の文化祭だって・・・去年は、こんなに楽しみだとは思わなかった。 殿のおかげで、最近同じクラスの者からよく話しかけられるようになったのだ。 みなが某を『 真田 』から『 幸村 』と呼ぶようになった。 女子は相変わらず苦手だが・・・話しかけられるだけで、逃亡するようなことはなくなった。
そのおかげで、今年はクラスの出し物にも剣道部の出し物にも挑戦する。

だけど、忘れてはならない『 現実 』も・・・某と佐助には、あるのだ。



「 ( 話が終わったみたいだ。こっちに来る。行こう、旦那 ) 」
「 ( 佐助・・・某、は・・・ ) 」
「 ( ・・・思い出させてごめんな。でも、忘れちゃいけないんだ ) 」



佐助の手が、乱暴に某の頭を撫でた。泣いている某の腕を引っ張って、部屋の前まで連れてこられる。 とん、と背中を押す手があって、一歩自分の部屋に入ると、佐助が静かに戸を閉めた。 それからしばらくして、とん、とん・・・と小さな足音が階段を昇ってくる。殿だろう。 やがて彼女の部屋の、扉の閉まる音がした。



「 ・・・うぅ・・・っ 」



涙が止まらない。いつかやって来る・・・それも、そう遠くない『 未来 』に脅えて。
隣人に、嗚咽がばれてはならない( 殿に、心配をかけたく、ない ) 部屋の隅にあるベッドに潜り込むと、小さく身体を丸める。



某は・・・俺は、こんな想いをするために、此処に来たわけではないのに。



耳元を伝って零れる涙が、シーツを濡らし・・・その冷たさに、また、泣いた。