「 ねえ、旦那。旦那ってば 」
「 ・・・・・・・・・・・・ 」
「 そう落ち込んでばかりいると、幸せも裸足で逃げてくよ? 」
「 ・・・・・・もう、逃げた、っ・・・・・・ 」
ぐっしょりと涙に濡れた枕から顔を上げると、闇夜の中でもわかるほどの赤毛が
肩を竦めた動きに合わせて揺れていた。箱ティッシュから数枚取り出して、子供に
そうするように、俺の顔にあてて涙と鼻水を拭う。
「 ちゃんは素直だけど、あれでも意地っ張り屋さんだから。
俺がからかった手前でそう言っただけで、本当にいるのかはわからないよ 」
「 で、でも本人が言うのだ!間違いないであろう!一番好きなのは、俺では・・・ 」
お館様の自室の上には、殿の部屋。
2階へと続く階段を昇った奥にあり、手前側には俺と佐助の部屋がある。
・・・だから、聞いてしまったのだ。
台所へ飲み物を取りに行こうと扉を開けたところで、
殿が・・・、殿が・・・。
ううッ、と再び盛り上がってきた涙を、また佐助が拭き、大きな溜め息を吐いた。
「 じゃあ聞くけどさ。学校で見てて、他にどんなヒトがちゃんと親しいのさ? 」
「 殿と・・・親しい、男子、ということか・・・? 」
「 そ。ちゃんが特別視してそうなヒトって、他にいるわけ?? 」
「 ・・・・・・・・・・・・ 」
特別視していそうな・・・男子、か・・・。
「 よォ、真田。今朝は、剣道部の朝練はねえのか? 」
流れる汗を裏庭の井戸で拭っていると、隣家との塀越しに声がかかる。
肩から落としていた胴着に袖を通しながら、顔を上げた。
「 政宗殿・・・あ、ああ。本日は日曜日ゆえ、お館様との稽古のみでござる 」
「 Ha,相変わらず365日暑苦しい野郎だぜ・・・。
はいるか?本家からいい魚が届いたんでな、食事に誘おうかと思ってな 」
そう言うと、政宗殿はにっと唇の端を持ち上げる。
素晴らしい料理の腕前は以前披露されていが、今回は特に自信があるのだろう。
心なしか嬉しそうに見えた。
なあ、お前もに食べにきてほしいと思うだろう?と背後の忍に問いかければ、付き従っていた
風魔殿がこくりと頷いた。
「 ( そういえば・・・政宗殿も、殿のことを好いているのだったな・・・ ) 」
そ、某は、殿に触れることもままならぬ、のに・・・。
思い出してみれば、政宗殿は彼女に触れてばかりいる気がする( 後ろの忍もそうだ・・・! )
肩を引き寄せたり、手を取ったり、と。時々、あのかすが殿まで「 気安くに触るな! 」怒ると聞く。
正直、羨ましいというか・・・ああ、それよりも。
政宗殿は、殿に・・・一度、キス、を・・・。
・・・政宗殿の数々の暴挙を思い出し、次第としかめっ面になっていたのだろうか。
怪訝そうに眉をひそめて、どうした真田、と呟いた。
「 急に大人しくなったな・・・で、はいるのか? 」
「 殿は、が、外出中でござるッ!!行先は・・・んなっ、内緒でござる!
知っていても、政宗殿には教えないでござるっっ!絶対!! 」
「 ・・・・・・・・・あ? 」
「 某は鍛錬が残っている故、失礼するでござる! 」
「 お・・・おい!待てよ、真田ッ!? 」
ぽかんと呆れていた政宗殿が我に返り、何か必死に叫んでいる声がしたが、それすら届かない場所まで疾る。
拭ったばかりの汗が、また胸元を伝ってくる・・・元々、この後はロードワークの予定だった。
このまま走るとしよう・・・何なら殿を迎えに行ったって良い。
そう思うと急に力が漲り、重いはずの砂浜も某の脚を止めることは出来なかった。
「 やあ、奇遇だね。真田くん 」
「 ・・・このような場所で逢うとは、確かに珍しい 」
通り抜けようとした商店街の端にある、本屋の軒先で。
校内ではあまり見ないツーショットに、某は目をぱちくりとさせる。
「 竹中殿、毛利殿・・・お2人がご一緒の方が、某には珍しく思えるが・・・ 」
「 フン、偶然よ。参考書を探していたら、コイツが我についてきただけのことよ 」
「 何を言っているのかな、毛利。君の方こそ、僕の後ばかりついて来て 」
「 ほざくな 」
「 そちらこそ 」
「 ・・・・・・・・・ 」
そ・・・某、声をかけてはいけない人に捕まってしまったのではないだろうか・・・。
何事も見なかったというように、そろりと背を向けて立ち去ろうとしたのだが、あっさり気づかれてしまったようだ。
待ちたまえ、と竹中殿のオクターブ低くなった声に、背筋が凍る思いだった。
「 ( 警戒するのは政宗殿だけでなく、竹中殿もだ ) 」
殿と共に文化祭実行委員を勤めて以来、親しく話しているのを何度か目撃している。
そうでなくても・・・彼女は、竹中殿に冷たくされていたことに酷く傷ついている時期があった。
泣きそうになっているのを我慢して、某にも相談してきた。
・・・そうやって考えると、ある意味、政宗殿よりもやっかいかもしれぬ・・・。
政宗殿の過剰なスキンシップに困っている彼女は見るが、竹中殿には嫌そうな顔ひとつ見せたことが無い。
そしてそれは、殿の気持ちが彼に向いている証拠なのだ。もしかして、彼女が想っているのは
竹中殿のことなのか・・・?
例えそうだとしても・・・某は忘れぬッ!許さぬッ!
殿を泣かせる輩は、例え誰でも許さぬ、の、だあああぁッッ!!
「 試験も近いというのに、真田くん、君は勉強もせず何をしているんだい? 」
「 そっ、某は、その、ロードワークを兼ねて殿を迎えに・・・ 」
「 さん?さんを迎えにって、どこへ? 」
「 ・・・内緒で、ござる!たたたた竹中殿には関係ないでござるぅッ!! 」
思わず嫌悪の感情が先走ってしまい、はっと口を押さえるが後の祭り。
へえ・・・と零れた言葉と共に、ゆらりと立ち昇る紫色のオーラを纏った
竹中殿が顔を上げた。哂った瞳に湛えられた妖しい光には、激しい怒りが渦巻いていた。
一歩、二歩、とゆっくりと後ずさりし・・・最後には踵を返して、全速力で逃げることにした!
すかさず竹中殿の鋭い声が響く。
「 出でよ、毛利の捨て駒たち!真田くんの後を、地の果てまで追うのだ!! 」
「 竹中っ!その駒は我のものぞッ!!! 」
号令にどこからともなく現れた『 駒 』と呼ばれた者たちだったが、主の毛利殿が竹中殿に掴みかかったようで、
2人の揉み合う気配に彼らもどうしたいいか迷ってしまったようだ。
そうでなくとも、某の脚の速さは自慢のひとつだ。あっという間に喧騒から遠ざかる。
充分に距離を置いてから速度を緩めた。追手が一人もいないのを確認できると、
ようやく溜め息を吐いて元の速度に戻せたのだった・・・
( し、しかし捨て駒とは奇怪な名称でござる )
乾いた鈴の音が響くと、奥から、いらっしゃいませーと軽い声が上がった。
ひょこりと奥から覗かせた顔に、自然と自分の表情が強張る。某は、あ、あまり見たくない顔だったが、
相手はそんなこと気にもしていないようだった。すぐに引っ込むと、ちゃあーん、と
大きな声で彼女を呼んでくれているようだった。
「 ・・・幸村くんっ! 」
前田殿の呼びかけに応えた彼女が姿を現し、少しだけ嬉しそうな表情でぱたぱたとこちらへ向かって駆け寄ってくる。
某の周囲を包む、張り詰めていた空気が・・・音を立てて割れた。
「 どうしたの?佐助さんも一緒?? 」
「 いや・・・某一人でござる・・・ 」
「 えっ!?だ、だって、どうやってここまで・・・?随分距離もあるのに 」
「 、そいつ疲れてるみたいだからよ、とりあえず座らせてやんな 」
驚いた殿に背後から声がかかった。振り向くと、前田殿ではなく・・・長曾我部殿、だっただろうか
( 何時ぞや、お館様と酒を飲み交わしていた輩だ )
・・・前から思っていたが、この2人・・・彼女に馴れ馴れし過ぎやしないでござろうか・・・?
まさかこやつらも、殿を狙っておられるのだろうか・・・。
佐助の紹介とはいえ、バイト仲間というだけで某は羨ましいというのに。
竹中殿へに向けた時と同じように、むっとした表情が出てしまったのか・・・視線を受け止めた長曾我部殿の片目が交戦的な光を帯びる。なんだあ?と
眉を顰めた彼に、前田殿がまあまあまあ!と宥めにかかった。
「 とりあえずレモンスカッシュとかでいいかな・・・ちゃん 」
「 はい!幸村くん、待っててね 」
薦められた椅子に腰を掛け、背を預けると・・・どっと疲れが襲ってきた。
ふっと緩めた意識が沈んでいく。自分が一瞬眠ってしまったことにも気づかず・・・殿の、某を呼ぶ声で目が醒めた。
「 ・・・・・・・・・・・・くん、幸村くん 」
しゅわしゅわと小さな気泡の音の中で、意識が覚醒していく。甘い匂いに、鼻がひくりと反応した。
顔を上げると、殿の柔らかい笑顔がグラスの中で弾ける泡の向こうに見えた。
「 ・・・、殿 」
「 お待たせ。これね、お店からのサービスだって。疲れたでしょう、どうぞ 」
「 殿・・・そ、某・・・某、は・・・ 」
某は・・・殿の、ことが・・・・・・。
ただでさえ耳を澄まさないと聞こえないほどの気泡の音に、更に隠れてしまうくらい・・・
某の『 告白 』は空気に触れるや否や消えてしまった。
ん??と首を傾げた殿には当然届いていない。だけど・・・それで、いい。
「 ・・・何でも、ござらぬ 」
「 ??? 」
視線を落とすと同時に額を机にくっつけると、ごち、と鈍い音がした。
・・・見られたく、なかった。こんななさけない自分の顔など。
小さな器しか持たない自分は、殿のその微笑を向けられるだけの男に値しないことはわかっている。
今、彼女から好きな男のことを告げられても、きっと某は受け入れられずに壊れてしまう、だけど。
「 ( ・・・いつか、きっと ) 」
殿・・・貴女に、この想いを正々堂々と伝えるから。どうか、それまでは。
( もう少しだけ、殿を想うことを、許して欲しいのでござる )
きっと、すぐ傍で某を見守ってくれているのであろう殿の気配に癒されつつも。
脳裏に思い浮かんだ『 ライバル 』たちに、胸の中で改めて宣戦布告するのだった。