07.The secret only between you and me.(06.5)

その日の夕食、殿にしては珍しくご飯をおかわりしていた。
お館様は大層喜ばれ、上機嫌でいつも以上に酒を煽っておられた。






「 ちゃん、随分楽しかったみたいだね。まだパンフレット見てるよ 」



苦笑交じりに台所に入ってきた佐助に、そうか、と静かに答える。今日の出来事を、お館様に楽しそうに話す彼女の声は、某の背中越しにも届いている。佐助は、濡れた皿を拭く某の顔をじっと見ていたが、ふいに逸らすと手元の袖を撒くし上げて食器を洗い始めた。

・・・平静を保っているフリをしているが、胸の内にはじーんと感動の波動で満たされていた。

殿がそこまで喜んでくれたのなら、また近いうち時間を作って出かけようか。
地元の観光名所では嫌かと思っていたが、話を聞けば、水族館は初めてだと言っていた。今日、ゆっくり見れなかった生き物をもう一回・・・そうだ、事前に予約するとイルカに触れるとパンフレットに書いてあったのでござった!!きっと、殿なら触りたいと・・・・・・。



「 キスの次段階として、ちゃんに触れたいと思ってるなら、思い止まってよね、旦那 」



がっ、しゃーんッ



手にしていた皿を見事に落とした。
我が家の皿にしては珍しい、薄めの大皿だったため、割れると粉々になってそこらじゅうに破片が飛び散った。
家中に甲高い音が響き、居間に居たお館様と殿まで慌てて台所へと詰め寄る。



「 大丈夫?幸村くん 」
「 ・・・あっ!あ、ああ、平気でござるよ。いいいい居間に戻られよ!! 」
「 うん・・・怪我してたら手当てするから、声かけてね 」



心配そうな殿に、素早くコクコクコク!と頷いて見せる。
・・・某の顔は真っ赤であろう。彼女がその理由は当然知る由もないけれど、今まともに顔合わせるのは至難の業であった。



「 たるんどるぞ、幸村ァああ!!明日の鍛錬は、日頃の2倍にするから覚悟せいっ!! 」
「 はいはーい、お館様。もう時間も遅いんで、声を張り上げるのはそのくらいにしてくださいよー 」



お館様を部屋の外へと押し出し、ガラス戸をぴしゃりと閉めた( お館様に対して失礼ぞ佐助ぇっ! )
そして何事もなかったかのように、わー、派手にやったねぇ・・・と、腰を低くして某の足元を覗き込む佐助の頭をむんず!と掴む。



「 ・・・さっ・・・さすさす佐助ぇぇ、そなた・・・ッ!!! 」
「 さすさすって・・・とりあえず片付けようか。また心配してちゃんたちが来ちゃうかもしれないから 」
「 ・・・・・・・・・・・・うむ 」



怒りは既に頂点に達していたが、言うことは最もだ。
某もそのまましゃがみ込み、散らばったガラスの破片を拾っていく。一枚一枚、丁寧に拾っては、佐助から手渡されたビニール袋にそっと入れる。袋の中でガラス同士がぶつかって、カシャン、と乾いた音を鳴らした。あらかた、大きなものを拾い終えてしまうと、途中で箒と塵取りを取りに行った佐助が戻ってきた。



「 旦那はそこを動かないで。俺様が今、周りのガラスを掃いてまとめるから 」



こく、と頷くと、自分を中心に箒が一巡する。
床を舐めるように動く箒が通った後には、電球の光を反射していた細かいガラスが綺麗に姿を消していた。
塵取りにゴミを集約させては、また某の周りを掃き始める。巧みに操られた箒の動きをぼんやりと見つめていると、ふと視界が暗くなる。箒の柄を短く持った佐助が、某の向かいに・・・それも、光が差し込む隙間もないほどかなり近い距離で、同じようにしゃがみ込んだからだった。
不思議に思った某が口を開く前に、佐助の唇が動いた。



「 俺は、旦那もちゃんも大好きだよ 」



ぽつりと呟く声がした。俯いたままで、佐助の表情まではわからない。だが、何かを噛みしめるような・・・喉元を絞めたような掠れた声音だった。



「 どこまでも真っ直ぐで、裏表がない。俺は『 こういう世界 』で生きてきたからかもしれないけど・・・。
  2人のそういうところに、ものすごく魅かれるし、憧れる。いつまでも幸せであれと願う。本心ではね 」
「 ・・・佐助? 」
「 でも、俺は忍だ。主の命に逆らうことはない 」



自分の身体が震えた。ゆっくりと顔を上げた佐助の眼には、一縷の温情もなかった。



「 忘れるな。俺は、いざとなればあんたを『 本家 』に連れて帰るぜ。
  そうでなくとも、彼女に肩入れしすぎだ。離れ離れになることは百も承知だったはずなのに。
  あんたは、寸前で引っ込めておけばいいのに、わざわざ触れて、彼女の心に爪痕を残したんだ 」



薄く細められた彼の瞳に、真っ青な顔をして映りこむ自分に、更に蒼褪めた。
・・・違う!違うぞ、佐助!某は、殿を傷つけたいなどと微塵も思わない!!
そう言いたいのに、図星をつかれた上に容赦ない視線で射貫かれ、胸に渦巻く思いは動揺で言葉にならなかった。振り絞るには時間が足りなかった。佐助はおもむろに立ち上がって、某を見下ろす。



「 ・・・わかってるよ、旦那。言ったろ、俺様は旦那のことも好きなんだって。
  惹かれあってる2人に発破かけたこともあるしね。俺様にも責任があることは重々承知してる。
  だから忠告だけしとくよ。『 その時 』が来たら、潔く振る舞うこと。
  ちゃんの幸せだけを考えて行動することが、旦那もちゃんも幸せになれる道だから 」



あと、指先はしっかり消毒しといてね、と言い残して、佐助はガラスの破片と掃除道具を持って台所を後にする。一歩もその場を動けず、去りゆくの背中を見ていたが、すれ違うように入ってきた影にぎょっとする。けれど、驚いたのは向こうも同じだったようだ。



「 ・・・ゆっ、幸村くん、どうしたの、その顔 」
「 え、あ・・・顔、でござるか? 」
「 うん。何だか険しい表情になってたから・・・大丈夫? 」



殿はスリッパを鳴らして、某の前に立った。






「 ( 殿・・・ ) 」






ずっと考えていた。自分が・・・殿に好意を持っていると気付いた時から、ずっと、だ。
自分は彼女に一番ふさわしくない男だ。だから、この気持ちを募らせて何になると・・・。
きっと一時期的なものだと決めつけて、何度も心の奥底に封印しようとした。

けれど・・・抑えきれなかった。それ程、好いてしまっていた。

殿を好く男は他にもいて、某よりも確実に彼女を幸せにできるというのに。
彼女は・・・某を選んでくれたのだ。とても、とても、言葉に出来ないほど嬉しかった。
しかし、いずれ来る『 別れ 』を打ち明ければ、彼女は離れていってしまうだろう。
そう思うと怖くて言えない。告白された時も、今も、この一瞬も。
・・・どうしたらいいのだ、佐助。某は、嫌われたくない。殿を傷つけたくない。



他の誰よりも、殿の笑顔を護りたいと思うのは、某だというのに。



目の前で、心配そうに傾げる姿が愛らしい。水族館の話をずっとお館様に聞かせる声が心地よい。某と一緒に居たいと皆の前で宣言してくれた時の凛とした横顔も、柔らかくて自分のよりも熱かった唇も、嫌われたくないと流す涙も、繋いだ手も、某の名を呼ぶ時に見せるとびっきりの笑顔も、全部某が・・・・・・!!!









ちくり。









「 わ!幸村くんっ!? 」



たたっと床を濡らした血痕に、殿が声を上げた。強く握っていた右手の拳を開いてみると、真っ赤に染まっている。人差し指の腹にぱっくりと開いた一文字の傷があった。
彼女は、ポケットから慌てて何かを取り出したかと思うと、某の手を取る。
ちょっと沁みるけど我慢してね、とスプレータイプの消毒液を吹きかける。反対のポケットから取り出した絆創膏を丁寧に貼ってくれた。床や、他の指についた血は、ウェットティッシュを持ってきて拭いてくれた。



「 怪我してないかな、と思って持ってきたんだ。早速役に立って良かった 」



えへへ、と彼女ははにかむ。
笑い返したかった。殿の優しさに感動しつつ、ありがとう、と感謝の気持ちを込めて。
だが・・・今ばかり、は・・・。



「 ゆ、幸村くんっ!?泣くほど痛かったの・・・?? 」



情けない男だと罵られても良い( 勿論、彼女はそんなこと言わないと思うが )
おろおろと困惑している殿には申し訳ないが、どうしても・・・一粒、零さずにはいられなかった。
痛くて、苦しくて、これからも無限にもがくのであろう。それは修羅の道のようにも思えた。だが、全ては自分が選択したこと。佐助の言う通りだ。殿、某は貴女の幸せだけを考えて、行動する。



・・・『 その時 』が、一秒でも遠い未来であることを願って。