金色、金色、どこまでも金色。




 澄んでいるのに、どこかくすみを感じさせる青空に伸びる銀杏の木の枝。
 道路という道路を埋め尽くすかのように、落ちた葉が黄金色の絨毯を織り成していた。
 毎朝、用務員と美化委員が総出で掃除しているものの、放課後にはまた落葉で満ちる。


「 ( この季節、放課後の風景は好きだ。海に浮かぶ孤島にいるようで・・・ ) 」


 夕暮れ時の校舎には人も少なく、ぽつんと一人取り残された気分。
 日直の業務を終えるのに、いつもより時間がかかってしまった。あとは日誌を届けるだけだ。
 職員室までの道のりの途中、通りかかった2階の廊下から窓の外を眺める。
 海の色が僅かに変化していた。間もなく陽が沈むのだろう。
 風に煽られ、長めの前髪が揺れる。呼応するように校舎を囲む銀杏が、ざざざ・・・と音を立てた。


 視界を覆う果てしない金色、金色、黒、そして金色・・・。


「 えっ? 」


 と思わず漏れた声が聞こえたのか、黒い影が慌てた様子できょろきょろと辺りを見渡す。
 その姿を見て、俺はさらに驚きの声を上げた。


「 あ、関興くん 」
「 やっぱり・・・、さん? 」


 関興くん、と自分の名前を呼ばれなければ、黒い影がクラスメイトだと自信が持てなかった。
 落葉の海から、頭上に居た俺に小さく手を振る彼女。
 教室では見慣れない姿に少しだけ興奮して、俺は声を張り上げて話しかける。


「 実は目が悪かったんだな。一瞬、誰だかわからなかった 」


 俺の台詞に、黒縁のメガネをずい、と重そうに持ち上げて得意気に笑った。


「 教室内くらいの距離なら平気なんだけど、遠くを見る時には必要なんだ 」
「 ・・・それ、のため? 」
「 そう。なかなかこんな景色、他の学校や拝めないでしょ 」


 キャンパスに収めておきたくて。
 彼女は、銀杏の絨毯の上に置かれた、やっぱり同化するほど黄金色に塗られた絵を見つめた。
 ・・・そういえば、さんは美術部だと誰かが言っていた。


「 さん、その絵を近くで見せてもらえないだろうか 」


 普段ならそこで会話を終わらせるのに、何となく興味を持ってしまった。
 彼女が驚きに目を丸くする。俺は返事を聞く前に窓枠から姿を消すと、一番近い階段へと走る。
 え!?嘘ッ!!というさんの悲鳴じみた声が、窓の向こうで響いていた。


「 あ、あ、あのッ!まだ完成には程遠くて、と、とても人様にお見せできるものでは・・・! 」
「 そうなのか? 」
「 ぎゃぁぁうあああッ 」


 階段を素早く駆け降りると、俺の居た2階に向かって叫んでいる彼女の後ろ姿が在った。
 その背後に立った俺を見て、一際大きな悲鳴を上げて飛び上がる。
 羽ばたく鳥のように両手を上下に動かして、イーゼル上のキャンパスを隠そうとしているようだった。
 何故かはわからないが・・・あからさまに挙動不審だ。
 ちょっと悪戯心が芽生えて一歩踏み出すと、彼女も一歩後退る。
 すると、手を動かしながら後退ったせいか、バランスを崩してぐらりと身体が傾く。
 倒れはしなかったが、手が椅子の上に置いてあったパレットに当たって、ぼとりと地面に落ちた。
 ああーっ!と彼女が頭を抱えた隙をついて、俺はキャンパスに向き合い・・・息を、呑む。


「 ・・・・・・・・・ 」


 『 すごい 』とか『 素晴らしい 』とか、ありったけの称賛の言葉を集めても表現できない。
 これで完成していないなんて、嘘だ。
 風景画というカテゴリーだけに収まらない、彼女が作り上げた世界がそこに在った。
 ・・・ただ、その世界で一際目を引く『 影 』。
 黄金色の絨毯はただのカモフラージュであることは、素人目にも解る。


「 ( このキャンパスが彼女の『 目 』だとして、見つめている先は・・・ ) 」


 絵から目を離し、キャンパスの向こうへと視線を向ける。
 遠くに聞こえる掛け声。グラウンドには運動部の姿が見える。群の中の影と、絵の影が重なった。
 その存在を・・・彼女がどんな風に思っているかは、一目瞭然。


「 ・・・え、っと、あ、あのっ・・・か、勘違いしないでね、関興くん 」


 さんの控えめな声が、俺を現実に引き戻す。
 拾ったパレットを元の場所に置いた彼女は、顔を真っ赤にしていた。
 癖なのか、右手で髪を一房いじって、必死に気持ちを落ち着かせているように見えた。
 そんなさんの表情を読もうと覗き込むが、見慣れないメガネという存在に阻まれる。


「 私は、じゅ、純粋にここから見える『 景色 』が、す・・・好き、で・・・ 」
「 下手な言い訳はしなくていい。大丈夫、誰にも言わない 」
「 ・・・・・・! 」


 弾かれたように、彼女は勢いよく顔を上げた。
 心得ている、というように薄く笑って見せると、さんはようやく肩の力を抜いた。
 ( そんな彼女の様子が・・・何故か、俺の心を苛立たせた )


「 片思いなのか? 」
「 ・・・うん。もうずっと見てるだけ 」
「 教室ではかけないメガネまでして、見つめていたいということか 」
「 自慢じゃないけど、本当はメガネなしでも見つけられるよ。でも、もっともっと見たいから 」


 えへへ、と照れた笑みを浮かべるさん。こういうのを、恋する表情、というのだと思う。
 はにかんだ微笑を見ている俺の方が、逆に照れてしまって、咄嗟に顔を背ける。
 ・・・き・・・気を、悪くしただろうか。
 すぐに後悔したが、彼女は気にした様子はなく、笑みを張りつけたままゆっくりと俯いていく。
 どうしてそこで俯くのか・・・残念ながら、俺にはその理由が思い当ってしまった。


「 もしかして・・・他校に彼女が居ると噂されていることか? 」
「 うん・・・関興くんも知ってるって、相当有名だよね、あはは 」
「 噂だけかもしれない。告白はしないのか? 」
「 しても叶わないよ。私、見かけたことあるもん。すっごいラブラブだったよ・・・ 」
「 さんはいいのか?それで。叶わないからと諦めても 」
「 ・・・・・・・・・ 」


 ぎゅ、と小さな拳が制服のスカートを握る。
 顔が見えなくても、小刻みに震えた彼女を見れば、今、どんな表情をしているのか解る。


 俺は・・・どうしてさんを追い詰めるようなことをしているのだろうか。
 いや、その前にどうして彼女を傷つけようとするのか。
 いつもの自分じゃ信じられないくらい冷たい台詞を口にして、内心俺も驚いている。
 言葉は諸刃の剣だ。心が痛むのは、言葉を発している自分も同じ。なのに止まらない。


「 さんは、告白する勇気も沸かない人を好きになったのか? 」


 そんなこと、彼女の自由じゃないか。他人が口を挟むことではない。
 恋を・・・したことのない自分が、真っ直ぐに想う彼女の気持ちをどうして否定できるだろうか。
 彼女の片思いなどどうでもよいと、もう・・・放っておけばいいと思うのに!


「 ・・・そ、れは・・・ 」


 俺の強い物言いに、言い淀んだ様子で言葉を止め、自分の身を守るように背を丸めた。


「 ( ・・・まただ ) 」


 泣かせてしまったかと心配しているのに、レンズが反射してどんな表情をしているのか読めない。
 メガネをかける彼女は、他の男に恋する・・・俺の知らない『 さん 』。
 それに気づいた瞬間、ぶわりと木枯らしが胸の中を吹き荒び、嵐が起こる。
 苛立ちに我を忘れ、さらに辛辣な台詞を吐こうと勝手に口が開いた。
 冷たい空気が喉元を通り抜けようとしたところで、さんが、でも、と顔を上げた。


「 見つめているだけで、幸せだから 」


 へにゃり、と微笑んだ顔は、とても幸せそうには見えなかった。
 見え透いた嘘に騙されるほど、俺は馬鹿じゃない。
 でも・・・必死に繕おうとしている彼女を、これ以上けなす気分にはなれなかった。
 気持ちが萎えることで、ようやく『 止まった 』ことに・・・心底ほっとしていた。
 冷静になってみれば悔恨しか残らない。さっきまで、どうしてあんな気持ちに、俺は・・・。


「 ( この絵をあいつも見ればいい。そうすればさんの想いが、すぐに伝わる、のに ) 」


 黄金色の中に、大切に大切に描かれたさんの恋心。
 初めて見た瞬間の・・・この気持ちの元凶である『 傷み 』を思い出して、唇を真一文字に結んだ。


「 関興くんは、好きな人、いる? 」


 さんは微笑んでいた。
 涙を堪える潤んだ瞳は、まっすぐ、ひたむきに・・・俺の姿を正面から捕えていた。
 震えながらも真っ直ぐ立った足元から、音もなく真紅が忍び寄る。


「 関興くんも・・・いつか、きっとわかる。見守る恋もあるってこと 」
「 ・・・俺、は・・・ 」
「 恋は実らせるだけが目的じゃない。叶えばいいってものじゃないって 」


 刹那的な輝きを放つ真紅の光が、彼女を包み込む。
 落陽に世界が呑みこまれる時、黄金色の道路も、その一瞬だけは色を失う。









「 ( ・・・ああ、 ) 」









 柔らかく微笑む頬を伝う光に、眩さのあまり瞳を細めた。









 その場から動けずにいた俺を無視して、さんはてきぱきと画材を片づけると踵を返した。
 閉まった箱の中で画材が揺れる音が遠ざかり、独り取り残された俺は・・・そのまま、空を仰ぐ。
 陽は沈み、まだ明るい夜空には薄らと星が輝き始めていた。
 ・・・そうだ、日誌。日誌を出して帰らないと。あとは職員室に提出して帰るだけだ。
 汗ばむ手に日誌を握り直して、何事もなかったかのように岸辺を目指す。
 一晩寝ればまた陽が昇って、海はその光を浴びて、またもや黄金色に染まるのだろう。
 俺はいつものように登校して、いつものように波を揺蕩い、いつものように、教室、で・・・・・・。


 そこで、ぴたり、と足が止まる。






「 ( 見守るだけの恋、か・・・いつか俺も、そんな恋をするのだろうか ) 」






 明日、さんに在った時、俺の顔はどんな色に染まるのか。


 怖いような、でも知りたいような・・・今までにない程ざわめく胸元を、もう一度押さえるのだった。






もう同じ明日は描けない



( あの時感じた胸の痛み・・・今なら、説明がつく。これが嫉妬、これが・・・恋 )




Title:"moss"