部屋の中の『 事態 』を、ようやく『 把握 』すると・・・かっと身体に熱が宿る。




 慌てふためき混乱状態に陥るが、これ以上ここにいちゃいけない、という本能だけが働いた。
 開けようとしていた扉の柄から手を離そうとして・・・自然と興味本位が働いて、もう一度だけ中を覗いてしまった。


「 ・・・殿? 」


 ふいに背後から声をかけられて固まる。
 ぎくり、なんてもんじゃないくらい。それこそ心臓が口から飛び出すかと思った。
 そんなところでどうしたのですか?と優しく問いかける声が廊下に響きそうになるのを防ぐ。
 ( いつものなら無意識にでも胸が高鳴る声には間違いないんだけどッ! )
 大袈裟に振り返って、慌てて声の主の口を押さえた。
 声をかけた相手から突然襲い掛かられて、その人は驚いたように一歩後ずさる。


「 わ、ぷっ!い、いかがしたのですか、殿ッ 」
「 しー、しーッ!!静かにお願いします!! 」


 趙雲さまーッ!と抑えた声で懇願すると、さすがは数々の戦場を越えてきた将軍。
 すぐさま黙ると、反対に落ち着けというように興奮した私の肩をひとつ叩く。
 周囲の気配を探って、最終的に扉へと視線を投げた。
 原因はあそこですか?と私を見つめ、こくこくと頷いたのを確認すると趙雲さまが扉へと近づいた。


 ・・・そして・・・私と同じように、しばしの間固まったあと。


 大きく溜め息を吐いて私の横を通り過ぎて、部屋を離れる。
 充分距離をとると、その場で立ち尽くしたままの私を、ちょいちょい、と手招きした。
 私は慌てて、それでも足音を立てずに趙雲さまの背を目掛けて駆け寄った。


「 ちょ、趙雲さま・・・ 」
「 とりあえず私の執務室にでも避難しませんか? 」
「 あ、は、はい 」


 この場を離れたいと思うのに、どうにも足が止まってしまっていたところで。
 今はただ縋る想いで彼の後をついて行った。腕に抱えていた竹簡が、歩く度に乾いた音を立てる。


「 それを持っていく予定だったのですか? 」
「 え、ええ。今日中に目を通していただかないとと思ったのですが、む・・・無理ですかね・・・ 」
「 ・・・さあ、どうでしょう 」
「 だ・・・だって、どの、くらいかかるか、とか・・・その、わかりませんし・・・ 」


 ああ、だんだん不毛な会話になってきた( こ、こういう会話を趙雲さまにするのも、どうかと思うし! )
 訪ねた部屋の主は、その・・・どこぞの誰かと『 お楽しみ中 』だったようで・・・。
 執務室の扉を開けるまで私は全く気づかなくて、かすかに聞こえる嬌声に自分の耳を疑った。
 ・・・しょ、職場でするのもどうかと思うけれど、せめてバレないようにして欲しいっ!なんて甘いかしら・・・。
 ( 耳に飛び込んできた色んな『 音 』を忘れようと努めているのに、一向に消えてくれなくて・・・困る )


 思い出したら・・・また顔が熱くなってきた。
 頬を隠すように袖で頬を覆った私を見てか、趙雲さまがくすりと笑う気配( こ、子供だと思われた・・・! )
 反論なんてしないけれど、何となく傷ついてちらりと視線だけ上げる。
 そんな私の様子なんかには気づかず、彼はふと私の数歩先へと足を速めた。
 いつの間にか彼の執務室の前まで来ていたらしく、大きな扉を開けて先に中へ入るよう促される。


「 さ、どうぞ 」


 部屋の窓から差し込む光の中で、一点の曇りもなく微笑む趙雲さまは聖人君子のようだと思った。
 導かれるままに・・・私は彼の執務室へと足を踏み入れる。
 ああ、そういえば趙雲さまのお部屋って初めて、かも。いつもは扉の前で用事を済ませてしまうから。
 趙雲さまの執務室の印象は、一言で言うと質素。
 余計なものは一切なく、壁に立てかけられた武器は収集しているのか、様々なものがあった。
 落ち込んでいたことなどすっかり忘れて、物珍しそうにきょろきょろと見渡した。


「 無骨者なので、殺風景でしょう?女性には好かれないわけですね 」
「 そんなことありません!とても珍しくて・・・って、すみません、見渡してばかりで失礼ですね、私 」
「 いいえ、殿に気に入っていただけたのなら光栄だ 」


 ぱたん( がちゃり )と扉を閉めて、趙雲さまがこちらへやってくる。
 近づいて見せていただいてもいいですか?という私の問いに、彼は快く頷いてくれたので収集品に近づいた。
 竹簡は、応接間の机の隅に置かせてもらい、趙雲さまは一本の槍を手に取る。


「 集めている訳ではないのですが、周囲の警護も兼ねてと部屋に置いていたらいつの間にか増えてしまいました。
  この槍は、いつも儀礼用の槍ですが重さは戦闘で使うものと同じなのですよ 」
「 へえ・・・儀礼用というだけあって、柄にも飾りがついていて綺麗ですね 」
「 試しに持ってみますか? 」
「 え、いいんですか!?で、ではぜひ!! 」


 刃は切れないように加工してあるから大丈夫ですよ、と微笑んだ彼が、そっと差し出す両手に乗せる。


「 きゃッ!? 」


 思った以上に重く、悲鳴を上げてしまった。
 途端に彼の手が伸び、よろめいた身体と槍を背後から支えてくれた。


「 す・・・すみません、趙雲さま 」
「 いいえ、殿が無事なら。この程度の重さで倒れてしまうなんて・・・やはり貴女は、 」


 まだまだ子供なんですね、と言われたらどうしよう・・・と、また胸がずきりと疼く。
 ( そ、そんなこと、お優しい趙雲さまが私に言うはずないんだけど )


 ・・・子供染みていることは否定できないけれど、私、そ、そこまで子供じゃありません!
 一人前の女性として、趙雲さまに・・・恋、してます。お勤めしてからずっとお慕いしておりました。
 だから、大好きな貴方に『 子供扱い 』なんかされたくない。私、こ、これでも一人の『 女 』なんです。






「 ( ・・・なんて大それたこと、・・・さっ、さすがに今は言えない! ) 」






 ぎゅっと苦しむ胸ごと抱えるように身体を丸めていると、その背に重みがかかった。
 まるで私ごと抱き締めるように、彼の身体が覆いかぶさる。
 ・・・ああ、温かい。こんな風にいつか恋人として趙雲さまに抱き締められたら、幸せだろうなあ。
 人肌の温もりに心も身体も解されそうになって・・・ふと、慌てる。
 じたばたともがき出した私の耳元で、低い声が静かに呟いた。


「 重くて動けないでしょう?槍をお預かりするので、このまま動かないで下さい 」
「 え・・・あっ、は、はいっ! 」


 趙雲さまの声音はいつも通り。槍の重さが掌から消え、目の前を通り過ぎていくように持ち上げられる。
 かたん、と槍を壁際に戻して振り返った彼は、部屋に入った時のような柔らかい微笑みを浮かべていた。
 ・・・ど・・・どきどき、しちゃった!危うく、趙雲さまに抱き締められた、なんて錯覚するところだった。
 そんな訳、ないじゃない。目立たない、ただの女官を前にして。
 私も『 いつも通り 』を意識して微笑んだつもり・・・だったけれど、彼は苦笑した。


「 疲れさせてしまったかな。今、お茶でも淹れましょう。諸葛亮から美味しい茶葉をもらったんだ 」
「 あ、け、結構です!どっ、どうぞお構いなく!!・・・せ、せめて私に淹れさせてください!! 」


 蜀の大将軍ともあろう方に、お茶を淹れさせるわけにはいかない!( しかも私のために、なんて )
 あの奥にあるんだろうか・・・彼が続き部屋へと歩いていくのを見て、私は駆け出した。
 趙雲さまよりも先に部屋の置くに入ると、そこは仮眠室だった。
 牀榻のそばの小さな机に茶器がある。あれを早速・・・。












 どさ、っ。












「 ( ・・・・・・えっ? ) 」


 伸ばしたはずの手は茶器を掴めずに宙を舞う。身体と共に、ぱたりと牀榻に落ちた。
 天蓋つきの牀榻の中は暗く、私の上に跨った趙雲さまが帯紐を解いているのに気づくのにも時間が要った。
 先程部屋を覗いた時以上に状況は『 把握 』し難く、混乱すら起こらないくらい、頭の中は真っ白だ。


「 私が女性に好かれない、と言った時、殿は否定してくださいましたね。あれはどういう意味ですか? 」
「 ど・・・どういう意味、といいますと・・・? 」


 彼は至極『 いつも通り 』で、その異常な状況に悲鳴が上がるどころか私まで『 いつも通り 』な答え方をしてしまった。


「 少なくとも、殿は私を好いてくれている、と受け止めてしまったのですが・・・ 」


 この状況から逃れる為には『 違います! 』と否定するだけなのに、どうしてそれが出来ないんだろう。
 だって・・・違わない、もの。好きです、趙雲さまが好きです。
 でもどうして?好いていると告げていないのに、私を欲するのですか・・・?
 いけしゃあしゃあと言い放つのは、わ、私の、子供っぽい恋情なんてとうに見透かされてしまっているから、なの?


 この際、と感情を吐露した私に、趙雲さまは微笑みは絶やさず、ゆっくりと首を振った。


「 貴女を子供だなんて思ったこと、ありませんよ。殿は私にとって立派な一人の『 女性 』です 」
「 で、でも非力だし、その、だ、男女のコトもさっぱりわからな・・・ 」
「 そんなところが貴女らしくて、一層愛しく思うのです。それに、 」
「 ・・・それ、に・・・? 」


 帯を床に放り、胸元の襟を緩めると、逆光で見え辛かった顔をそっと私に近づける。
 彼の髪がさらりと音を立てて落ち、きっと真っ赤になっているであろう私の頬を撫でた。
 本当は瞳を逸らしてしまいたいほど恥ずかしい気持ちで一杯なのに、逸らすことができなかった。
 心の奥底まで見通す碧がかった瞳が、この後の展開に怯えと好奇心を抱く・・・私の視線と、ぶつかる。






「 折角ですから、一度火の着いた情事にどのくらい時間がかかるか・・・私がお教えいたしましょう 」






 ああ、そうだ。私の場合、鍵はちゃんとかけておきましたから、安心して啼いてください。
















 そう言って、にこり、と微笑んだ彼の顔は、やはり聖人君子のようなのに


 どうして・・・今までとは比べものになられないほど『 黒く 』見えてしまうんだろう・・・


















微笑んだジーニアス



( 実は私の方こそずっと好きでした、と気持ちを告げるまで、しばし時間をいただけますか? )






Title:"シャーリーハイツ"