ふとなにかを感じて私は火鉢から離れると、羽織っている打掛の裾を踏まないようにゆっくりと室を横切った。
衝立(ついたて)の脇をすり抜け、庭へと繋がる縁側の障子を開くと、
「 ……雪 」
白い真綿のような雪が夜空から落ちているのをみつけた。
降り始めてからどれほど経っているのだろう、
庭に点在している松の木や石篭の傘はすでにうっすら雪化粧だ。
初雪は半月ほど前で、少しずつ雪を見る数が増えてきて。
今の降り様はと空を見たら、どうやら本格的に積もる気配がある。
これでとうとう冬籠り状態になるのかと思ったら、なんだか余計に寒くなってきた。
「 火鉢と温石(おんじゃく)で乗り切れるのかなぁ、甲斐の冬 」
ぽつりとつぶやけば、白い吐息が口元からくゆる。
元の世界でも雪は降ったし積もったしで、見てきた光景ではあるが、
寒さの質や対策が異なると感じ方も違うのか。
しんしんと降る雪も、
白く染まる風景も、
見たことがないわけじゃないのに、初めてじゃないのに。
どこか居場所がない心地になる、
どこか心細くなってしまう。
眺めていると、自分がなんて頼りない存在なんだろうと知らされてならなくて。
「 ……寒い、なぁ 」
「 殿、いかがなされた? 」
つぶやいた途端、応えるが如きタイミングで聞こえた声に、
私はびくっと肩をすくめ、そちらを振り向いた。
「 ゆ、幸村くん。驚かさないでよ 」
縁側とは逆側の廊下より私の室を訪れたらしい幸村くんは、それはこちらの台詞だとばかりに肩をすくめた。
「 驚いたのは某のほうでござる。室がからになっていれば、何事かと思うもの 」
障子も開いていた故、曲者でも現れたかと一瞬身構えましたぞと生真面目に答える赤い着物姿の彼は、
眉間にしわを寄せて告げてきた。
「 いくら家康殿の手で天下統一されたとはいえど、未だ不満を唱える者も多い。
かの戦で敗した国の武将を動かそうと暗躍している輩の噂も流れている以上、
未だこの甲斐とてまだ安全ではござらぬ故、あまり無防備にひとりの姿をさらさないでくだされ 」
「 ……ごめん 」
諭すように伝えられる言葉の数々に、私は力なく項垂(うなだ)れた。
反論なんて、できるわけがない。
そもそも私がこうして無事であるのも彼が、
真田幸村が周囲の反対を押し切って保護してくれたおかげでもあるから。
原因はさっぱりわからないが、乱世の終盤間近の戦国時代である日ノ本に私・河村は落ちて、
甲斐の虎を継いだばかりの真田幸村くんに助けられた。
自国の立て直しや同盟の検討、戦の準備と大変な時期にも関わらず、家臣や守り人達が不躾に向けてくる
疑いの目を己の立場を盾に退け、ここにいてもいいとしてくれた。
戦場そのものを目の当たりにはしなかったが、小競り合いのたびに良く見た顔がいなくなったり、
怪我を負ってきたり―――そこには幸村くんや見張り役の忍びの人も含まれている―――するごとに、
この世界で生きるのは決して容易くはないのだと知らされて何度も怯えたものだ。
時には泣きじゃくり、城仕えの侍女たちに宥められても震えが止まらなかったし、
忙しい幸村くんに八つ当たりして困らせたこともあった。
恩を返すどころか迷惑しかかけていない日々をどのくらい過ごしたか。
秋の中ごろにようやく日ノ本は東軍と呼ばれる側に勝ちを与えて平定。
敗れた西軍にも領地や権限の縮小はされたが、お家断絶なる最悪な結果は避けられた。
共に国造りをするのを条件に恩赦を得た甲斐の国も、平和な時間が戻ってきたが、
私は変わらずに幸村くんの住まう城の一角にいる。
派手な髪の色した真田忍ビ隊の長・佐助さんには
「あんたの言動は、町中ではどうしても目立つからね。まだ目の届くとこにいてもらうのが一番なんだよ」
と言われているが、裏を返せばまだいくばくかの不安要素が私に見られるということかしら。
それはそれで、もの悲しいものがある。
身分や身の上がこの世界で明らかにできない以上、私には反論の余地もなく。
日がな与えられた室でおとなしく過ごし、
たまにやってくる武士を装った忍ビの人をお供に庭を散歩するくらいしかできない。
窮屈すぎる日々だが、右も左もわからない国を彷徨うよりは、はるかに安全であるのは確か。
ここは自分が耐えるしかないのだ。
「 ごめんね、勝手なことをして 」
「 ……いや、何事もなかった故、もういいでござるよ 」
柔らかく笑いながら、幸村くんが改めて私を見て、少しばかり目を丸くした。なんだろう、その顔は。
「 その打掛は…… 」
「 あ、これ? 昼間、忍ビの青海(せいかい)さんが持ってきてくれたの。
お嬢用に特注の、綿をしっかりつめたぬくぬくの打掛やでー……って言いながら 」
重たくてなんの拷問道具かとも思っちゃったけど、長い裾のおかげで足もすっぽり隠れるし、
たくさん綿が詰まっているから着てしまえば体温でほかほかしてありがたいものだった。
元の世界で生まれは日本の南側。冬でも積もるほどの雪に見舞われることはめったになかっただけに、
寒さが大の苦手なのだ。
これがなかったら火鉢がいくつあっても足りないとわめいて、また幸村くんを困らせることになる。
おとなしくしていなきゃいけないのに。
「 動きにくいけど、これ着て動くこともないからって鎌之助さんも言ってたから、遠慮なく着ているけど。
色がきれいだね。鮮やかな朱色に金糸銀糸の……芙蓉の花かな、この刺繍は 」
ぱっと見は派手だけど、色味も暖色系で目からも温まる打掛だねと嬉々と話す私を、
幸村くんは良かったと一言こぼして続けた。
「 某は反物のことは良くわからないが、この布を見たとき、そなたの顔がすぐ浮かんだのだ 」
「 ……幸村くんからの、プレゼント……贈り物? これ 」
「 秋の半ばからずっと、殿は甲斐の冬はどのくらい寒いのかしきりに聞いていたであろう。
あの口ぶりからして、よほど寒さに弱いとお見受けした故、いくらか作りに注文をつけてみたのだが。
いかがでござろうか 」
「 あ、すごく暖かいよ、うん。ありがとう 」
礼を述べれば、もう一度良かったとつぶやいて笑みを浮かべられる。
その面差しのままでじっとみつめられて、私の頬にかっと熱が上った。
これは、打掛の保温効果がいいだけではない熱だ。どうにもじっとしていられない感に包まれる。
わずかな沈黙も、息苦しい。
「 ……そ、そういえば今日は師走の二十四日、だっけ? 」
「 早いもので間もなく大晦日になりますな 」
「 あ、そうか。キリスト……異教徒伝来はあっても、クリスマスまではまだ広まっていないんだっけ 」
「 くりすます? 」
聞き慣れぬ単語をおうむ返しにした幸村くんに、私は答えた。
「 私のいた世界では、師走の二十五日に西洋の宗教の始祖である人の誕生日を祝うお祭りがあるんだ。
元が誕生日なだけに、日本では友達や好きな人と贈り物を交換したり、
美味しい料理を食べて過ごしたりするパーティーの……宴会の日になっているけど 」
話しながらまず思いだしたのは、きらびやかなイルミネーションに飾られた街並みだった。
ツリーそのものを飾ったり、街路樹をそれに見立てたり。ビルの壁面に、ショーウインドウを光り輝かせてみたり。
そして、あちこちからクリスマスにちなんだ曲を始終流すものだから、
否応なしに雰囲気に飲まれて盛り上がっていたっけ。
去年までは当たり前だった光景が、今年はずいぶん遠くなったなぁと苦笑も浮かんだが。
思いがけないところで、いわれの日にちなんだ風習であるプレゼントをもらえたのがうれしくて。
たととえクリスマスを知らない幸村くんからであっても、幸村くんからもらえたことが、ことさらうれしくて。
素直にありがとうと、口からこぼれた。
「 来年は、わたしからもなにかあげられたらいいなぁ 」
「 殿から某にですか? 」
「 まあ、佐助さんから町中に出ても目立たないってお墨付きがもらえたらの疑いが晴れたら、
奉公ってやつ?どっかで働いて……ってしないとなにも用意できないけどね。
働かないとお金稼げないからしっかり働いて、
ささやかだろうけどお団子なり善哉なり買ってあげたいかな 」
この打掛とは雲泥(うんでい)の差がある贈物にしかならないけど。
そのときはもらってくれるといいな、そう思いながら伝えれば。
袖からのぞかせていた指先が、やんわりと掴まれた。
幸村くんの手に。
「 殿 」
いつになく真剣な声音で名を呼ばれる。
「 殿、そのぷれぜんととやらをひとつねだっていいのならば、
そなたがどこにも行かないことを、所望したい 」
「 ……幸、村くん? 」
「 帰る場所があるとしても、今のこの日から次の年、そのまた次の年……と。
ずっと同じこの日をそなたと過ごせるひとときを、某に贈り続けてもらえないだろうか 」
「 ……それは、帰れることになっても帰るなってこと? 」
「 だめでござろうか? 」
某は、これから始まる太平の国に殿と共にありたいのだ。
ひときわ強く指が握られて、
ひときわ熱く思いを告げられて、
心臓の音がどくりと高鳴った。
振り払えるはずがない。この暖かなぬくもりからどうして逃れられるといえよう。
振り払うはずがない。たとえ恩義の念が先にあったとしても。
振り払う勇気はなかった。
いつだって、心に巣食った寂しさを埋めてくれたのは、
いつでも絶対的に私を守ってくれていたこの人の存在だったから。
上手く声が出せない代わりに、私は空いていた右手を、左手を包みこむ彼の手の上に添える。
間近で向かい合う形になったせいで、どちらともなく息を飲んでいたけれど。
ぎこちない仕草で、顔を近づけてくる幸村くんに合わせて目を閉じれば、
柔らかな吐息と唇が、私のそこに降りてきた。
一度離れて、もう一度。
重ねられる温もりを感じながら、
閉じた瞼の裏側で、元の世界の様子が遠くなるのを覚えた。
いつかあの日々をまた思い出したとしても、寂しさはまばたきていどで終わるはず。
街を染める色とりどりのイルミネーションの代わりに、町を埋める白い雪。
サンタクロースの代わりに、暖かい大好きな人。
わたしも望もう、この世界にいつまでもいられることを―――
決意
( この決意を私は悔やまないだろう・・・・・・ )
ばさら仲間の『Lunaforis』の美紀彦さんから
いただきました。
甘い・・・甘いよ、ひこたん・・・それもこれ、灯用に書いてくれたっつーから・・・。
ゴロゴロしてもいい?坂とか転げ落ちていい?ってレベルです・・・ごろごろごろ・・・。
いやーんきゅうーん!ちょっと積極的なゆっきーに抱き締めてもらいたーい!!(ハアハア)
ひこたんありがとー!そしてもうひとつ、欲張りな灯は遠慮なく強奪してきてしまいました・・・!
つ づ く ☆
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