「や、やっぱり駄目! 趙雲、おねがいっ」
「しかし、・・・・いいのか?」
「うん。あなただから、いいの。だから・・」

 言葉の続きは、じっと見つめることで伝える。
 趙雲は視線をやや落として、静かに頷いてくれた。






二人で三倍



 は上機嫌で、台所に立っていた。

「ふんふんふん〜」

 気が付いたら鼻歌を歌っているくらいに機嫌がいい。
 暖かくて着心地のいいオフホワイトのセーターは、腕まくりするのにちょっと重かった。ずるずると落ちてくるのを上げようかどうしようか迷いつつ、チーズをカットする。他には似たようなサイズの食材がいくつかある。クラッカーに乗せるだけの簡単な料理だ。

「夕飯にはちょっと早いし、いいよね」

 とか言いながら、作っているのは酒のつまみである。
 料理上手な友達にもらった常備菜も出そうと思い、食器棚の中を物色する。少しずつ増えてきたそれらに、の口元が緩む。
 ぱさ、と髪の房が落ちた。
 髪留めに使っている和柄のシュシュは最近集め始めた。
 一つ使うだけでも十分にボリュームが出るので、整えるのが面倒な時に重宝するのだ。ゆるく纏めただけなので、こうして屈んだ拍子に滑り出てくることもあるが。

「んふふ」

 いつもは鬱陶しがって跳ね上げるのに、の笑みは収まらない。
 カラオケが好きで、振り付けを覚えたら本格的に踊れる。だが今踊ったら、発見された時の恥ずかしさが黒歴史レベルに達する。我慢だ、我慢。

「だって嬉しいものは嬉しいもんねえ」

 せめて独り言くらいは許してほしい。
 そうやって己に言い訳をしつつ、カナッペを完成させていく。彩も豊かで、我ながら見事な出来映えだ。天才かもしれない。

「よし、タワーを作ってみよう」

 調子に乗るとろくなことが起きない、は忘却の彼方だ。
 完成品からバランスのよさそうなものを選び、それを慎重に乗せて――。



 ぴんぽーん、・・ガチャッ



「ただいま」

 玄関の扉が開く音に、思わず飛び上がりかけた。

「おっ、おかえり・・・・趙雲」
「じっとしていられなかった?」

 微笑む彼にそう言われて、顔が赤くなる。
 同時にホッとした。
 趙雲がもう少し帰ってくるのが遅かったら、取り返しのつかないことになっていただろう。三段目まで積み上げたそれを、こっそりと隅へ追いやる。

「え、えっとね、カナッペ風のおつまみ作っていたの! 具を切って、乗せるだけ。甘いのと辛いのとしょっぱいのを」
「これかな」
「あー!! 食べちゃ駄目だってばっ」

 クラッカーは一口サイズだ。
 初めて見るカナッペに興味が惹かれた趙雲は、目についた一つを食べてしまった。慌てて止めようとしたの手は宙を泳ぎ、ひどく情けない顔で睨む。

「お行儀が悪い」
「ごめん。でも、美味しいよ。の味がする」
「な・・っ」

 臆面もなく何を言い出すのか。
 これだからイケメンは、と内心で悪態を吐いても意味がない。顔は火を噴かんばかりに真っ赤だし、熱をもった頭はクラクラする。
 情を含んだ視線から逃げるように、そっと距離をとる。
 そういうのは、まだ後でいい。けっして嫌なわけじゃないのだが。

「ワインを買ってきたし、そろそろ始めよう。、ワイングラスを出してくれないか。その料理は私が持っていくから」
「あ、うん」

 紺のコートからのぞく、オフホワイトのセーター。
 趙雲が着ているのはVネックで、のはタートルネックだ。厳密にはペアルックと言えないかもしれないが、同じ編み目を間近で確認するたびに恥ずかしくなる。

「そういえば、趙雲。マフラーを巻いていかなくても平気だった?」
「ああ、問題ない」
「寒さに強いんだね」
は寒がりだろう? もう一枚着ておいた方がいい」
「エアコンつけてるし、重ね着してるからだいじょ・・・・、うわっ」
「女人に冷えは厳禁。だろう?」

 カーキ色のポンチョストールは、今年になって買った新品だ。
 ふわりと肩に掛けるだけでいいのに、趙雲はぐるぐると首に巻きつけようとする。ワイングラスを持っているので抵抗できず、されるがままになりながらダイニングへ向かった。
 いつもは地味な部屋が、色彩にあふれている。
 モノトーンのテレビにテーブル、ソファの位置はそのままだ。
 ワインボトルとカナッペの大皿があるだけで、こんなにも印象が変わるものだろうか。いつの間にかテーブルには真新しいテーブルクロスで覆われ、ふかふかのクッションが並んでいる。

「本当。すっかり馴染んだねえ、趙雲は」
「必要だったから、としか言いようがないな」
「うっ、・・・・その節は大変お世話になりました」
「どういたしまして」

 ぺこりと頭を下げるに、笑い混じりの声が応じる。

「さあ、開けよう。ぼぞれー、だったか? 飲むのは初めてなんだ」
「ボジョレーヌーボーね。お店で試飲しなかったの?」
「君の指定した銘柄にしたから、味は問題ないさ。先に楽しむよりは、君と一緒がいいに決まっている。君のお祝いなのだから」
「・・うん」

 どうしてか、しんみりとしてしまった。
 趙雲は何百年も昔の中国で生きていた人だ。どういう理屈でこの時代、この世界にやってきたのかは分からない。突然現れて、帰る手段も分からないまま今に至る。
 長くてツヤツヤの髪はそのままで、鎧から洋服に着替えただけ。
 夏頃から知り合いの紹介を経て、アルバイトも始めた。勤め先が警備会社っていうのが少し笑える。似合っているような、そうでもないような――。
 二人は対面で座った。クッションエリアはが占拠している。

「資格試験、合格おめでとう」
「ありがとう!」
「三度目、いや・・・・四度目の正直かな」
「それは言わないでー。今回だってギリギリだったんだから」
「合格は合格だ。君が頑張った成果なのだから、素直に喜んでおくといい。少なくとも私は自分のことのように誇らしくて、嬉しいよ」
「そうだね。うん、わたしも嬉しい」

 チン、とグラス同士が鳴る。
 もっと早くに合わせてもよかったのに、ついついグラスを持ったまま話し込んでしまった。口に含むと、葡萄の芳醇な香りが広がっていく。この苦みが嫌いだという人間もいるが、馴染んでしまうと来年もまた飲みたくなる味だ。

「趙雲、美味しい?」
「悪くないな」

 そう言いながら、こちらに注いでくれる。
 もまたお返しとばかりに、趙雲のグラスへ注いだ。まさしくワインレッドと呼ぶに相応しいロゼカラーが、揺れながら満たされていく。


「ん?」
「愛している」
「と、唐突だね・・っ」

 噎せそうになりながら、何とかその台詞を吐き出す。
 まっすぐ見つめてくる視線から逃げて、カナッペを凝視した。手を出したいが、このタイミングで口に入れるのは危険だ。また何か言われた時に噴き出す可能性大である。気管に入って盛大に咳き込んだら、それはそれで雰囲気ぶち壊しになるだろう。
 いや、現時点でも微妙すぎてロマンティックかどうか怪しい。

「本当のところは・・・・いつ言おうか、迷っていた」
「え」
「いつ消えるか分からない人間に好意を告げられても、が困ると思った。それでも男として、惚れた相手に養われるままというのも、我慢ならなくてね」

 心の内を白状しながら、趙雲は苦く笑う。
 そうだ。仕事をしたいと言った時にはとても驚いた。
 戸籍も何もない彼が、定職に就くのは難しい。三国時代では一騎当千の武将でも、現代日本では国籍住所不明の外国人なのだ。公的機関に見つかったが最後、この家には二度と戻ってこられない。たまたま物好きな知人がいて、趙雲が「いわくつき」でも気にしないタイプだったからよかったものを。
 もしもを想像するだけで、血の気が引く。
 趙雲にいてほしくて、合格率がとても低い超難関の資格試験を受けるのだと伝えた。主夫みたいな仕事を頼むことになるが、仕事には変わりない。
 試験勉強をする間、家のことは全くできなくなる。ありていに言えば、の世話をしてほしいと訴えたようなものだ。思い返しても情けない話だが、趙雲は二つ返事で頷いてくれた。
 でもアルバイトも始めてしまった。
 試験勉強のため、より良い環境を作るには金が要ると。

「しりゅーは、言い出したら聞かないもんねー。人の気も知らないでさー」
「悪いとは思っているが、間違ったことはしていないぞ」
「しってるー」

 ワインの一本目が空く頃、はいい気分になっていた。
 一つの節目を乗り越えたことで気持ちが緩んでいたのだろう。
 簡単料理であるカナッペも美味しくて、結局クラッカータワーも作ってしまった。足りない分は趙雲がコンビニで買ってきた。食べ物を粗末にできないからと一番大きなお盆で被害が済むようにして、ふらふらと頼りない手つきで積み上げていく。もちろん完成したタワーは二人で美味しくいただいた。
 はワインを一気飲みする。

「だいじょーぶ!」
「何がだ?」
「ちゃあんと覚悟、してるから。わらひは、大人なのれすっ」

 カチャン、と食器が鳴った。

「もしもーしりゅーがいなくなっても、わらひは生きていけます! 生きて、いかなきゃならんのれすっ。わかるか、ちょーしりゅー!」
「・・分かりたくは、ないな」
「なんだとー、しりゅーのくせにナマイキな」
「私はきっとがいなかったら、生きていけない」
「ひぃ、っく」

 大きなしゃっくりが出た。
 体が揺れなかったのは、趙雲が支えているからだ。いつの間にか傍にいて、いつの間にか熱を分け与えてくれる存在。たとえ現代日本に生まれ育っても、永遠はありえない。いつか別れが来るのは、どうやって現れたか分からない趙雲に限らない。

は思ってくれなかったのか?」
「な、にを・・」
「私がいなければ、君は寝食もままならなかっただろう?」

 眠くて眠くて、それでも詰め込むように勉強した。
 長く勤めている会社を休むわけにはいかず、電車でウトウトしたことも数えきれない。それを知った趙雲が会社まで護衛すると言い出すのを何とか止めて、交換条件として警備会社のアルバイトを認めたのだ。
 どうやって契約したかまでは知らない。知らない方がいい、きっと。
 重要なのは、趙雲がのために定期的な収入を得ようとしたことだ。その上で、家事をすっかり任せきりにしてしまった。が頼んだのでなく、趙雲がそうしたいと思ったから。

「ずるいよ、しりゅーは」

 恥ずかしくて呼べないはずの字を繰り返し呟く。

「しりゅーのばか。イケメン。兼業主夫。ばかばか、ばーか。しりゅー、の」
?」

 だいすき。
 いい年した大人がと笑われそうだが、愛してるはまだ言えない。仮にこの場で結婚しようと言われても、は頷かない。酔っていても、それくらいの分別は残っている。
 突っ伏したまま、小さく唸った。
 子龍のばか。でも、好き。大好き。
 むにゃむにゃと幸せな夢に落ちていったは知らない。渡し損ねた箱を見つめ、趙雲が悩ましい溜息を吐いたことを――。
 エメラルドグリーンのリボンがかけられた箱を見つけるのは、25日の朝。
 遠い過去からやってきたサンタクロースに抱きつく未来は、愛おしげに微笑む男ですら知らないことであった。




『まつろわぬ民の隠れ家』の武藤渡夢さんよりいただきました。
灯の資格試験合格を彼氏にしたい男No.1の趙雲と共に祝ってくれました!わーい!!
いや違うな、合格祝いに趙雲をもらったカンジですかね?wwついでにクリスマスプレゼントも趙雲であればいい。 満面の笑みで「 お前が欲しいのは、私か? 」とかいってネクタイをしゅるりと緩めて(スーツ設定)優しく押し倒して襲いかかって(ry
とにかく!お話の中には、料理が苦手だとか、得意な友達がいるとか、台所でカラオケしたり踊ったりしているのとか、 ワインが好きなのとか・・・灯がブログで撒き散らしている小ネタを拾って詰め込んでくれて、『私』がそのままお話の中に登場しているような感覚になります。ということはですよ・・・?趙雲も生身、ってことでウァァァアアアア(冒頭の妄想に戻る) 嬉しいです嬉しいですー!趙雲に美味しくいただかれますー!(そういう話ではありません)
何より、合格をむっぺが一緒にお祝いしてくれた!ってのがとーっても嬉しいです。
あらためて、ありがとうね、むっぺ。年末企画とかで忙しい中、灯のために書いてくれてありがとう。
むっぺのお話だと緑色のリボンとのことですが、背景はクリスマスの贈り物として定番のティファニーカラーにしてみましたw
ちなみに、むっぺんちの『 和風50のお題 』内にある『 杜若 』が土台になっています。ぜひぜひそちらもお楽しみくださいませ!