息を切らせて、走る。




 ばくばくと胸打つ鼓動が、いかに身体中の血中酸素を運んでいるのかが解る。
 逸る足音に気づいた彼が振り返り、視線が交わった。


「 さん 」


 張りのある声に、今までとは違う意味で心臓が跳ねた。
 き、とブレーキをかけて一度止まり、足に纏わりついたスカートの裾を払って早足に近づいた。
 彼は一緒に居た2つの人影に、先に行っててくれますか、と声をかけてこちらへ歩いてくる。
 私が止まると、担いでいたボストンバックをコンクリートの上に降ろして向かい合った。


「 ありがとう・・・正直、本当に来てくれるとは思わなかった 」
「 ・・・鳴上くん・・・ 」


 春風の舞う中、少しだけ頬を赤らめた彼は、嬉しそうに目を細めた。
 首筋を伝う汗の冷たさが、見惚れていた私を現実に引き戻す。慌てて右ポケットを漁った。
 かさりと鳴ったそれを見せると、鳴上くんは確信めいた顔つきで頷く( ・・・やっぱり )


「 鞄の、外ポケットに入ってたの 」


 『 PM14:08 駅発 』と丁寧に書かれた男の人の文字。
 誰のものかすぐに解った。私が・・・それを見間違えるはずがない。


「 俺が入れたんだ。さんが気づいてくれるかどうかは、賭けだったけど 」
「 ・・・どうして 」
「 本当は、何も言わずに去るつもりだったんだ。
  また八十稲羽に来た時に・・・偶然逢えたとしても、ぎこちなくなるのが嫌で。
  でもさんが来てくれたら、俺も、素直に言えると思ったから 」


 そう言ってはにかむ彼の瞳に映る私は、赤らむ彼よりもほんのり頬が紅い。
 まだ肩で息をしているから・・・だけ、じゃない。
 彼の真っ直ぐな視線に目を奪われて、目が離せない。けれど、先に逸らしたのは鳴上くんの方だった。


「 そうだ。さん、今日携帯、持ってきている? 」
「 あ・・・あっ、うん! 」
「 LINEは繋いでるけど、今までちゃんと電話番号とかメールアドレスの交換、してなかったから。
  もし嫌じゃなければ、赤外線通信で交換してもいいかな 」
「 えっと、ごめん・・・私の携帯古くて、赤外線出来ないんだ 」
「 そうか。じゃあ、俺から送るから口頭で教えてくれる? 」


 お互いに携帯電話を取り出すと、彼に携帯番号とメールアドレスを伝える。
 ( メルアド、簡単にしといてよかったって、こういう時に思う )
 真剣にアルファベットを打ち込む彼の顔を、こっそり見つめる。


 ・・・こうやって鳴上くんの表情見るのも、これが最後なのかなあ・・・。


 思えば、転校してきたばかりの昨年の春、鳴上くんが私の隣の席に座ったのがきっかけで。
 教科書を見せてあげるついでに、端正な横顔に一目惚れ・・・しちゃったんだっけ。
 2学期になって、花村くんが私と彼を学級委員に推薦してくれて。
 席が離れてがっかりしたけど、行事の多い学期だから、一緒に行動する時間が多くて嬉しかった。
 その時にLINEを交換して、初詣に誘われたり・・・2人で出かける日が来るなんて想像してなかった。
 バレンタインデーに、こ、こく、はくは出来なかったけど、渡せただけで満足だ、ったし・・・。


 だから・・・こうして、鳴上くんが此処を去ってしまうことになっても。


「 鳴上くん 」
「 ん? 」
「 ・・・元気でね 」








 微笑って、送り出せるんだ。








「 ・・・ありがとう、さん 」


 彼は一度手を止めて、ちらり、と視線だけ持ち上げて・・・唇を持ち上げる。
 次の瞬間、てのひらの中で携帯が震えた。表示されたディスプレイがメールの到着を告げている。


「 俺のメールアドレスと番号。登録しておいてもらえるかな 」
「 う、うん!手間かけちゃってごめんね 」


 いや・・・と首を振った彼を呼ぶ声。駅前には見慣れた同級生たちの姿。いや、下級生もいるっぽい。
 あと少しだけ、と鳴上くんが叫んでいる間に、急いでメールを開く。
 番号が書いてあるか確認をすれば、ちゃんとした登録はまた後で・・・・・・と、思っていたのに。




 そこに書かれた予想外のメッセージに、目を瞠った。




「 好きだ 」


 頭の中でリフレインしていたメッセージが、大好きな声で再現される。
 ぱちぱちと瞬きを繰り返す私を、既に予想済みだったのか。
 特に驚いた様子もなく、彼は再び、さんがずっと好きだったんだ、と言った。


「 ごめん。もっと早く言いたかったけれど、勇気が出なくてギリギリになってしまった。
  気持ちを告げて、もし成功したとしても長距離恋愛を強いることになるだろう?
  そんなの、さんに申し訳なくて・・・ 」
「 ・・・・・・・・・ 」
「 でも、賭けてた。さんがメモに気づいてくれて、見送りに来てくれたら、って。
  だから過去形に思ってくれても、いっそこの告白も、俺のことを忘れてくれても構わない 」


 でも伝えておきたかったんだ。そう言って鳴上くんはもう一度笑むと、ボストンバックを担ぎ上げた。
 そして、その場から動けずにいる私に背を向けると、まっすぐ駅に向かって歩き出す。
 呆然と瞬きを繰り返すごとに、鳴上くんの背中が遠くなっていく現実を受け止められずにいた。
 風が木の枝を擽る音に、足音がかき消えていく。だ、め、待って、いかないで( 私、何も・・・っ、 )


「 ・・・な・・・鳴上、くんッ!! 」


 日頃出さないような大きな声が出た。はっと口を押えるが、もう遅い。
 駅前で待つ見送りの人々にも聞こえたのだろう。彼らも顔を見合わせていた。
 彼らと私の間に居た鳴上くんが、ゆっくりと・・・振り向く。


「 さん・・・? 」


 さっきのやり取りがデジャヴする。
 でも今度は、春風に背中を押されるように、ブレーキをかけたはずの足を一歩踏み出す。
 踏み出してみたらもう止まらなかった。そしてスカートの裾も気にせず、彼の胸に飛び込んだ。
 ( ああ、そうだ。私だって本当はずっとずっとずーっと!!彼に伝えたくてたまらなかったくせに! )


「 か、過去形なんかにしない。好き、って言ってくれたことも、鳴上くんのことも絶対に忘れない!
  それに、わっ、私・・・!長距離恋愛でも平気だからっ!! 」
「 ・・・え 」
「 だから・・・だから現在進行形だって思っても・・・いいよね!? 」


 それが、今の私の精一杯、だった。
 胸に飛び込んだものの、抱き合うわけでもなく、ただ寄り添うだけ。
 こ・・・この後、どうしたらいいのかなってのが本音。何も返答がなく、沈黙に困って視線だけで見上げる。




 そこには・・・出逢った頃なんかには想像もできなかった、輝かんばかりの王子スマイルがあった。




「 ・・・ああ!現在進行形で、これからもよろしく 」




 一瞬だけ、私を抱きしめて( わあ! )彼はホームに入ってきた列車と待っている人々に駆け寄る。
 私はというと・・・急速にこみあげてきた熱に、へたりと地面に座り込んでしまった。
 両頬が熱い。足に力も入らない。そんな私などおかまいなしに、列車はあっという間に発車してしまった。
 しばらくして、鳴上くんを見送っていた花村くんたちが改札から出てきたのを見て、肩の力が抜けた。


「 ( ほん、とに・・・行っちゃったんだ・・・ ) 」


 ・・・私、結局何にも伝えられなかった、のに・・・。


 精一杯だったとはいえ・・・夢のような一瞬から醒めてしまえば、激しい後悔に胸が締め付けられる。
 涙が頬を伝った時、ぶるりと手元の携帯電話が震えた。
 列車の中ですぐ送ってくれたのか、登録したばかりの彼のアドレスが表示されていた。慌ててメールを開く。








『 ずっと叶わないんだって思ってた。
  ・・・だからかな。今、電車に揺られていても、どうしようもなく落ち着かない。
  距離は離れても、さんを思う気持ちはずっと変わらないから。それだけは信じて 』








 普段は口数の多い人ではないけど、興奮冷めやらぬ、といった様子で綴られた気持ち。
 もしかして・・・鳴上くんも同じように、夢から醒めた気分でいてくれているのかな。
 まだ信じられない気持ちもある。でも今・・・私たちは、確かに繋がっている気がするんだ。
 彼と離れてしまったとしても、彼の心は今まで一番近い距離に在るような・・・。


 目元の涙を拭って、震える足を奮い立たせて立たせる。
 列車の消えた方角を見つめる私の顔には、自然と笑顔が浮かんでいた。






 鳴上くんに・・・私も約束するね。離れていても、貴方をずっと想うって・・・。








ハロー、ハロー、


届きますか?



( 今、この瞬間から始まる私たちの恋愛は、きっと・・・未来進行形で! )




Title:"コペンハーゲンの庭で"