梅雨が完全に明けて、煩いくらいの蝉の鳴き声が、屋敷内を支配している。






 夏の日差しと蝉の声を背に気ながら、目当ての部屋に着くと腰を落として、室内の気配を伺う。
 そっと開くつもりだったのに、失敗したのか、かたん・・・と音がした。
 物音に、部屋の中で即座に動こうとする気配がした。俺はもう音など気にせずに、一気に襖を開ける。
 予想通りというか、なんと言うか( よく無茶をする彼女らしい・・・? )
 今しがたまで寝ていた身体を起こそうとする彼女を見て、慌てて止める。


「 ・・・あ、小十郎、さん 」
「 何が『 小十郎さん 』だ!いいから、寝てろ 」
「 だって・・・折角、来てくださったのに、寝たままでは失礼です 」
「 そんなもんは気にしなくていい。とにかく、もう一度横になれ・・・いいな? 」
「 はぁい 」


 子供をあやすように言えば、はのんびりとした返事を返してきた。
 クスクスと笑うけれど、それがやがて咳に変わる。
 苦しそうに丸めた背中を撫でて。落ち着いたのを見計らうと、俺は彼女の身体をゆっくりと倒す。
 じわりと掌に伝わる湿気。外の暑さも加わって、随分と汗をかいているようだ。
 枕に頭をつけると、眉間に寄っていた皺を解いて・・・ようやく、視線を交えた。


「 ・・・夏風邪だってな 」
「 はい。ご心配をおかけして、すみません 」
「 いや・・・咳だけじゃねえな。熱もあるのか? 」


 枕元に置かれた水桶。今年の奥州は、例年より猛暑だ。水もあっという間に温くなるだろう。
 の額に乗せていた手拭に手を乗せて、温くなっているのを確認する( やっぱり、な )
 外して、自分の右手を彼女の額に当てれば、あ・・・と小さな声を上げた。


「 小十郎さんの、手・・・すごく、気持ちいい・・・ 」
「 今さっきまで、畑にいてな。近くの井戸水で手を洗ってきたばかりだ 」
「 そうでしたか。いいお天気が続いていますから、野菜の育ちも良いでしょう 」
「 ああ。治ったら、一番に喰わせてやろう。今年のは、出来がいい 」
「 ふふ・・・楽しみ、です・・・ 」
「 ・・・まだ、熱があるな 」


 右手に頬擦りする彼女の熱は、まだ病人のものだ。
 もうすぐ挙げる祝言のために、が奥州へとやってきたのは、つい先日のことだ。
 今回の風邪は、慣れない旅の疲れからきたものだろう。
 俺は、から手を離して、女中を呼んだ。すぐに冷たい桶と、新しい手拭を用意させる。
 しばらくして持ってきたものを受け取ると、襖を完全に締め切った。
 夏なのに?と、彼女が不思議そうに首を傾げる。
 枕元に座って、冷たい水に手拭と浸してぎゅっと絞る。


「 ・・・、悪ィがもう一回起きられるか? 」
「 え、あ、はい・・・どうなさったんですか? 」
「 さっき、背中を触った時にな。だいぶ汗をかいているみてえだから、ふ、拭いてやろうか、と・・・ 」
「 ・・・・・・ 」


 きょとん、と目を丸くして・・・が口元を押さえる。
 ( そ・・・そこまで・・・驚かれると、こっちが恥ずかしいじゃねえか・・・っ! )
 部屋の温度が、少しだけ上がって。固まった俺の背中に、じわりと汗が宿る。
 襖の向こうから聞こえていた、煩いくらいの蝉の鳴き声が、一度止まったその時、だった。


「 ・・・いい、んですか 」


 コホ、と一度咳を治めてから、は身体を起こす。
 俺に背を向けて、寝着の襟元を緩めた。露になった肩に、背中に流れていた髪を引き寄せる。
 むき出しのうなじが、やけに白肌で・・・思わず、生唾を飲み込んでしまう。
 そんな俺に気づかず、目の前の許婚殿は潤んだ瞳で、お願いします、と柔らかく微笑んだ。


「 お・・・おう、 」


 手拭越しなのに、肌に触れる時、自分の心臓が飛び跳ねたのが解る。
 すっと動かせば、から吐息が零れる。気持ちよいのだろう。抱えた膝に、ぐったりと身体を預けた。
 そのほっとしたような表情に邪念も飛んだ・・・といいたいところだが。


「 早く・・・良くなって、もらわねえとな・・・ 」
「 秋には祝言、ですものね 」
「 ・・・お前を喰らいたくなった時に『 これ 』じゃ、お前に辛い想いをさせるからな 」
「 え、こじゅ・・・・・・ぁァ、ッ! 」


 なだらかな背骨の山から髪の生え際まで、舌先でなぞる。
 の身体が、舐めたラインに沿って、ゆっくりと反り返った。
 後から、白かった肌が朱に染まるのを見て・・・俺は、満足そうに下唇を舐める。
 彼女はぐらりと揺らぐと、後ろにいた俺に身体を預けるように、倒れこんできた。
 ( ・・・さすがに、やり過ぎたか!? )
 仰向けに倒れた細い身体を受け止めると、腕の中で真っ赤になったが、口をパクパクさせた。
 は、はっ・・・と荒い息。、と名前を呼べば、熱に浮かされた黒目だけが、動いた。


「 こ・・・こじゅ、ろ・・・さん・・・ 」
「 すまん・・・調子に乗りすぎたな。すぐ横に・・・ 」
「 いえ、もう少し、このままで・・・・・・あ、あの・・・ 」


 胸に預けた顔を、そのまま上げる。
 見下ろす形になるので・・・胸の谷間やら、汗で、肌に張り付いた乱れ髪が気になるが・・・。
 赤くなって、視線を外した俺の顎に、の指が這う。






「 早く良くなってみせますから・・・ね? 」






 ・・・そう言って。
 は恥ずかしそうににこっと微笑んで( そんなところが、一層愛らしくて )
 そっと身体を伸ばして、俺の頬に唇を寄せた。


 そこからはまさに『 本能 』だった・・・と、後から思う。
 離れようとした彼女の腰を引き寄せて、もう一度自分の胸に閉じ込めると。
 風邪を引いてることも忘れて・・・の唇に喰らいつく。
 んんッ・・・!と、くぐもった苦しそうな声がしたが、の両手が俺の頭に回った。


 まるで・・・やめないで、と言われているように・・・。










 蝉の鳴き声は、もう気にならなかった
 耳に聴こえるのは、彼女の吐息。身体に感じるのは、夏の熱気よりも、彼女の肌の温度
 夏風邪とは違う、別の・・・永遠に冷めない『 熱 』に支配される
 舌先を絡め取って、名残惜しそうに離した唇を繋ぐ銀糸
 潤んだ瞳に捕らえられているのは、かろうじて理性の残っている俺の顔




 秋の祝言まで、やっぱり待てそうにねえ・・・と呟いた俺に、彼女は微笑む
 それは私も同じ、ですよ。だって、私、小十郎さんのこと、が・・・と呟きかけた言葉を、呑み込んでやった
 







 その先の台詞はな、・・・男の俺から言うのが、筋ってモンだろ









だってあなたが好きなんだ



( 耳元で唱えた愛の呪文に喝采を送るかのように、蝉が鳴き出したことだけ・・・覚えている )






Title:"群青三メートル手前"
Material:"空色地図"