恋の揉め事、仲裁役には、前田慶次へ




 そんな俺にとって、お祭り騒ぎとはまったく無縁の場所へ、いそいそ足を運ぶ
 午後4時48分。第2校舎の3階にある、特別教室








 いつからか始まった、俺と彼女の放課後の、秘密の逢瀬








「 おっ!ちゃん、やってるねえ 」
「 ・・・前田くん 」


 美術室、と書かれた部屋の中にある、いつもどおりの景色。
 教室の電気もつけずに、外から差し込む夕陽の中に佇む、ひとつの影。
 俺はそれ以上声もかけずに、隅にあった椅子に腰をかける。
 ちゃんも無言で、もう一度描いていた画に向かい合った。


 ゆっくり筆を上げて、画仙紙に下ろす。
 彼女の得意とする水墨画は、大きな美術展に入賞するくらい、素晴らしい・・・らしい。
 俺は、絵のことなんかさっぱりわからねーけど・・・でも、圧巻される。
 華奢な身体の中から、ほとばしるエネルギーを筆に込めて。


「 前田くん、はさ 」


 それが自分の名前だと気づくのに、しばらく時間がかかった。


「 どうして、毎日此処に来るの? 」
「 好きだから 」
「 え?美術室が?? 」
「 ・・・うん、まあ、それもある 」
「 そう 」


 彼女は、それ以上深く突っ込む気がないらしい。
 けれど、何を思ったのか・・・珍しく筆を休めて、傍にあった手ぬぐいで手を拭いていた。


「 ・・・あれ、今日はもう終わり?? 」
「 うん・・・イマイチ、気分が乗らない 」


 陽の沈むまで画仙紙に向かうのが、いつもの彼女のルールなのに。
 本気で止めるのだろう。筆やら文鎮やらを片付け出す。
 首を傾げた俺に、ちゃんがバックから取り出したモノを渡してきた。


「 いつも来るから、予め買っておいたの 」


 そう言って、自分の分のお茶をゴクゴクと飲み出した。
 俺の手には、ビタミンウォーター。
 ちゃんが・・・『 いつも来る俺のコトを考えて 』買ってくれた飲み物。
 今、どんなに顔が赤くなったとしても、世界はオレンジ色に染まっているから。
 俺はありがとう、とお礼を告げて、プルタブに力を込めた。


「 ここはさ・・・静かなんだよな、とても 」


 普段なら、ここまで他人に心を許せないんだけど、さ。
 なんとなく・・・話してみたくなったんだ。
 ちゃんなら、きっと受け入れてくれそうだから。甘えてみたく、なったのかも。


「 俺さ、お祭りも好きだけど、それと同じくらい静寂な空間だって好きなんだぜ 」
「 へえ・・・意外かも 」
「 自分の心と向かい合う感覚は、忘れちゃならねえって思う。人間、成長するために 」
「 なら、闘技場とかにすれば良かったのに。ここ、美術室なんだけど 」
「 ちゃんがいるからさ 」
「 ・・・私? 」
「 誰もいない美術室で、一心不乱に筆を動かすちゃんを見て、気づくことのほうが多いんだ。
  正しい仲裁を出来たか、『 恋人同士の幸せ 』とは何であるか・・・ちゃんの背中に、考えさせられる 」


 驚いたように、彼女の瞳が開かれた。そんな深いコトこと考えてたの?と、口をあんぐり開いて。
 ・・・そうだよ。もう、誰も不幸な目にあって欲しくないから。
 そこまでは言えなかったけれど、ちゃんは納得したようだった。


「 私の悪い癖なんだけど、集中しちゃうと何も見えなくなっちゃうんだ。
  前田くんに話しかけたり、気を遣ったほうがいいのかと思ってたけど・・・やめます 」
「 いや、ちゃんに構ってもらえたほうが嬉しいんだけどさ、俺としては! 」
「 どっちなのよ・・・もう!! 」


 どちらともなく笑い出して、お茶とビタミンウォーターの缶をコツンと合わせた。
 そしたら一気に打ち解けたように、たわいもないクラスの話や、家族のこととか。
 とりとめない話をしているうちに・・・オレンジ色の世界は、深い闇に包まれていった。
 さすがに暗くなってきたのに気づいて、ちゃんが慌てて時計を見た。


「 ・・・あ、引き止めてゴメン。すっかり遅くなっちゃったね・・・っと! 」
「 待てよ、前に机がある・・・もしかして、見えてない? 」
「 うん、ちょっと暗すぎて、すぐに目が慣れない・・・電気、つけてくる! 」
「 俺が行くよ。ちゃんは此処でじっとしてな 」
「 え!いいよ、私が行く・・・きゃ! 」
「 おわァっ!! 」
「 どうした、何の騒ぎだ? 」


 尻餅をつく音と、スイッチの入る音が、同時に鳴った。
 急に明るくなった電光に驚いている俺たちと、そんな俺たちに驚いている・・・


「 ・・・片倉、せんせ・・・ 」


 転んだ拍子に抱き締めたちゃんが、腕の中で強張った。
 ああ・・・もしかして、と気づいてしまったのは、職業病ってやつだろうか。
 俺は反射的に顔を背けるようにして、彼女を逃がさないよう腕に力を込めた。
 片倉先生は、頭を少しかいて、ため息をひとつ。


「 前田、・・・2人のコトに口出しするつもりはねぇが・・・学校だってことだけ忘れるな 」


 扉を閉めて、足音が遠ざかっていく・・・どんどん、どんどん。
 遠ざかるほど、ちゃんの顔が歪んでいく。
 本当なら・・・追いかけて、誤解を解きたい・・・とでも思っているのだろうか。
 完全に聞こえなくなってから、俺は閉じ込めた小鳥に語りかけた。


「 ・・・ごめん 」
「 ううん、私こそ、つまづいちゃってごめんなさい。ありがとう、助けてく・・・ 」
「 違うんだ! 」


 語気を荒くした俺に、もう一度彼女の身体が固まった。
 そっと覗き込むと・・・ビックリしたままの彼女が、俺を見て、瞳を潤ませた。


「 驚かせて・・・ごめん。でも、ちゃんに内緒にしてたことがあるんだ 」


 泣きたいのを我慢しているのか。整えられた眉を寄せて、涙を浮かべて。
 口をへの字に結んだ彼女を、今度は壊れ物に触れるかのように、そっと抱き締めた。






「 本当は・・・美術室には、ずっと、ちゃんに逢いに来ていたんだ 」






 告げるタイミングが、予定よりずっと早くなってしまったけれど。
 その瞳に映しているのが、別の野郎だとしても。
 今すぐ受け入れてくれなんて言わない・・・けれど、どうか俺を拒絶しないで。












「 ・・・が、好きなんだ 」












 『 友達 』という垣根を、一歩超えた領域に脚を踏み入れる。
 瞬間・・・彼女の左目から大粒の涙が頬を伝った。










 拭おうと伸ばした俺の指先が、彼女の頬に到達する前に


 の形の良い唇が、そっと言葉を紡いだ・・・・・・












きらきらのお星様に





耐えられない





( 次の瞬間、俺は落胆するのか、それとも奇跡に感謝するのか )






Title:"群青三メートル手前"
Material:"七ツ森"