とぼとぼ・・・と、夕暮れに染まる校舎を歩く。
足が重い。今日は避けた女子の人数も多かった・・・厄日かな、俺・・・。
調理実習があったとかで、どこにいても追いかけられた。
教室にも廊下にも屋上にも居られなくて・・・あの『 秘密の場所 』にずっと身を隠していた。
「 ( ・・・今日は全然、構ってやれなかった、な ) 」
こんな夕暮れは・・・アイツのことを、思い出すことが多い。
ふ、と細めた赤とも紫色ともつかない光の中に、彼女の顔が思い浮かぶ。
俺がこれだけ追い回されているのを、きっとアイツは気づいているだろう。
だから『 秘密の場所 』にも来なかった。そんな時の俺が、誰にも話しかけられたくないのを知っている。
・・・まあ・・・アイツにしては、よく出来た行動だとは思うけれど・・・。
ようやく昇りきった階段の先に、自分の教室がある。最終下校時刻に近い廊下には、誰の姿もなかった。
だから( すごく )ほっとして・・・大きな溜め息と共に、教室の中に入る。
「 ・・・げ 」
机に向かっている姿を見た時、たまらず『 素 』で声を上げてしまったのだ。
けれど・・・その影は驚く様子もなく、にこり、と微笑んだ。
「 あ、佐伯くん。まだ学校に残ってたんだ 」
「 ・・・?お、お前、こそ・・・ 」
教室に人が居るとは思わなかった、という驚きと、素を見られたのが彼女でよかった、という安心感。
でも・・・最後に残ったのは『 ようやく逢えた 』という嬉しさ、だったりする・・・。
彼女の手には、ペンが握られている・・・ああ、そうか。
目線を投げた黒板には、彼女の書く少し丸い字で、彼女の次の『 日直 』の名前が書かれている。
「 まだ書き終わらないのかよ、日誌 」
「 ううん、もう少し・・・もう帰るよ 」
日誌に向けていた視線を上げて、佐伯くんは?と首を傾げた。
大きな瞳に夕陽の光が差し込む。邪気のないその瞳が、眩しくて、眩しくて・・・俺は、背ける。
逸らした視界を、教室の大きな窓から差し込む光が覆う。これで、波の音があれば、完璧だっただろう。
・・・柔らかい、唇。今の今まで、何度こうしてフラッシュバックさせただろう。
ほんの『 一瞬 』だったのに、感触まで覚えているだなんて・・・。
「 ・・・できた 」
彼女の声に、現実に引き戻される。
ほっとしたかのように溜め息を吐いて。力を抜くように、ととん、と自分の肩を叩いた。
「 終わったか? 」
「 うん・・・思ったより時間かかっちゃった 」
「 じゃあ、帰るか 」
「 そうだね 」
「 よし、行くぞ・・・あ、課題で確認したいとこがあるんだ。帰りにどこか寄ろう 」
いつもならこんなことないけれど、今日は全然授業が頭に入らなかったしな・・・。
俺は自分の席の位置へと戻り、机の脇にかけてあった鞄を取る。
明日の時間割と、予習できるよう鞄の中身を確認して、アイツを振り返る。
身支度を整えている彼女が、あ・・・と小さな声を上げて、俺を見つめた。
「 ・・・あの、佐伯くん・・・ 」
彼女が頬が薄っすら、染まっているように、見える。
躊躇うように俯いて、もう一度顔を上げた彼女の顔は、やはり朱色に染まっていた。
「 私・・・一緒に帰っても、いいの? 」
「 ・・・は?どういう意味だよ。いつも一緒に帰ってるだろ 」
「 だ、だって!今日は疲れたでしょ・・・いっぱい追いかけられてた、から 」
私だって、その、一応『 女 』だし・・・一緒にいると疲れるかな、って・・・。
最後の方は、消え入りそうな声だった。恥ずかしそうな彼女を前に、照れてしまうのは俺の方。
ば・・・バカ!どうして、そーいうこと、不意打ちで言うんだ、よっ!
た、確かに『 女 』だけど、俺を追いかけてくる『 女子 』とは違う、というか・・・。
お前だけは・・・、だけは、トクベツ、だというか・・・。
浮かんだ言葉を飲み込んで、ぷるぷると首を横に振った。
その様子を不思議そうに眺めているの頭へ、すかさずチョップ。
当然、抗議の声が上がったが、それを無理矢理静止した。
「 いっ、痛・・・もう、佐伯く・・・ 」
「 ウルサイ。さっさと行くぞ、誰かに見つかったら厄介だからな 」
少しだけ涙目になった彼女が、口を尖らせている。
恨みがましく上目遣いに睨んでくるが・・・どうしても『 唇 』に目が行く今の俺には、何の効果もない。
( むしろ、そのまま塞いでしまいたい、なんて思えてきてるから、ホント・・・どうしようも、ない )
「 あ、待って。職員室に日誌、提出してこなきゃ・・・ここで待っててくれる? 」
「 いや、俺も行く 」
「 大丈夫?あの、ほんと疲れているだろうから、私、一人で行って来ても・・・ 」
俺の姿を見ていてくれるからこそ、気遣える。そんなお前だから、こそ・・・俺は・・・俺、は。
口にしないようにしていた理性を退けて、たまらず告げる。
「 ・・・『 お前 』となら、ずっと一緒に居たって、構わないんだ 」
扉の前で隣同士に並んだ彼女が、はっと見上げて、それって・・・と呟く。
その距離・・・まさに30cm。
手も握れるし、抱き締められるし、あの時のように・・・キス、だって、出来る距離。
いつもだったら逸らす視線を逸らさずに、見つめ合ったままその場に立ち尽くす俺たち。
の瞳が、固まった身体とは対照的にゆらゆらと揺れて・・・まるで、誘われているよう。
夕暮れ時、波音、他愛もない彼女との会話。
二人で歩く、学校から自宅までのいつもの道程・・・になるはずだった。
蹴躓いた拍子のふいな『 キス 』は、感触以外、何も『 感じる 』ことができなかった。
「 ( 『 二度目 』は・・・違うのだろうか・・・ ) 」
刻が・・・ゆっくりと、あの日のあの『 瞬間 』に戻っていくような、感覚・・・。
手を伸ばす。頬に触れると、じ、と見上げていたが・・・そっと瞳を閉じた。
自分の心臓が、それこそ寄せかえる波音のように、どくんどくんと苦しいくらい鳴り響く。
ごくりと喉元が動いて、薄く開いた唇が息を吸い込むと口の中が酷く乾いた。
「 ・・・・・・・・・・・・ 」
初めて呼んだ、彼女の『 名前 』
それはとても甘美だったが・・・その後の『 行為 』以上に、勝るものはなかった
忘れられないキスがある
忘れたくないキスがある
( 映画のように、キスしていいか、なんて訊ねる余裕すらなかった・・・ただ、君が欲しく、て )
Title:"capriccio"
Material:"Sky Ruins"
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