「 ( ・・・あつ、い・・・ ) 」






 暑い、暑い、暑い。






 体育館と校舎を結ぶ廊下に下りて、裏に在る水場に行くまではよかった。
 夏休みも中盤。お盆直前で校舎自体に人気のない時期だから、絶対空いていると思ったのに。
 うちのバレー部と同じように、たまたま彼らも休憩時間なのだろう。
 グラウンドの埃にまみれた野球部員たちが水場に詰めかけていた。
 ・・・うう、水を使いたいのはこっちも同じだけど、今は絶対彼らの方が必要としてるよね!
 仕方ない。ちょっと遠いけれど、校舎裏の水場なら空いてるかも。
 大きなバケツを抱えたまま回れ右。走ってようやく着いた水場は、予想通り乾ききっていた。
 固く締められたそれを握ると、あまりの熱さに眉を顰める。


「 んんーっ!! 」


 思わず声が出て、それでも一生懸命蛇口を捻ると、しゃわしゃわ・・・と何とも弱々しい音が出た。
 最初は温い飛沫も、数分で通常通りの冷たさを取り戻す。
 持っていたバケツを一度濯いで、中に水を溜め始める。
 しばらく時間がかかりそうだ、と私は水場の縁に腰を下ろした。


「 ( それにしてもなんて暑さ・・・、みんな、よく倒れないなぁ・・・ ) 」


 目標があるって、すごい。
 勉強だってスポーツだって目標があるのが大切なのは解っているけど、こんなに実感したのは初めてかも。
 バレー部のみんなのエネルギーは、猛暑と言われる今夏の暑さにも負けない。
 枯れることの知らないそれを滾らせて、ただひたすら勝利だけを目指してる。


「 ( 1、2年はともかく、3年生の先輩方は受験だって控えているのに ) 」


 同じマネージャーの潔子先輩、スガ先輩は今までの成績を保つにも、一層の勉強時間が必要、で。
 東峰先輩は進学組じゃないって聞いたけど、でも・・・就職するならその準備だ、って・・・。
 ・・・ああ、早く水、溜まらないかな。みんな、待ってる、かもしれないのに・・・。




 最後に思い浮かべた柔らかい『 彼 』の笑顔が、閉じた裏に浮かんでは消えた。
 考えがまとまらない。視界が揺らぐのは、蜃気楼のせいだと思ってた。だけど・・・・・・。


 力を失った手が、鉄板のように熱くなったコンクリートへと落ちる。熱い、とは思わなかった。












「 ( ・・・・・・・・・つ・・・め、た・・・? ) 」


 ぼんやりとした視界が映し出したのは、長細い蛍光灯にやっぱりぼんやりと照らされた天井。
 二度、三度と瞬きを繰り返す。視界を半分覆っていたものは、濡れたタオルだった。
 なんか冷たいって思ったのは、これだったん・・・・・・。


「 お、気が付いたか 」


 天井と私の間に入った人影が覗き込む。にかっと笑ったその笑顔につられて、私の口角も上がった。
 上手く笑えなかったのは、やたらと唇が渇いていたせいだ。


「 さ・・・わ、むら、せんぱ・・・?どうし、て・・・ 」


 ・・・と、そこで、何が起きたのかを悟った。
 上がった口角が引き攣って声も出ない。さぞ焦った顔に変化したのか、先輩の方が先に動いた。
 起き上がろうとする私の肩を押さえて、まあまあまあ!と宥めるように言った。


「 わっ、わたた、私・・・あああのッ!!練習は!?バケツ、バケツそのままでっ! 」
「 、とりあえず落ち着くんだ。何があったか説明してやるから 」


 な?と先輩は頷いてみせる。唇を戦慄かせていた私は、恐る恐る応えるように頷いた。
 それを見た澤村先輩は席を立つと、コップを持ってすぐに戻ってきた。


「 まずは水、飲めるか?ゆっくりだぞ 」
「 う・・・はい 」


 差し出された飲み物は、清涼飲料水を薄めたものだった。
 初めて水を口にしたかのように、喉を通るたびに身体に沁み込んでいく感じ。
 思っていた以上に喉は乾いていたみたい。ゆっくりと味わいながら飲み干して、ほっと一息吐く。
 胸を撫で下ろした私を見て、彼も肩の力を抜いたのが解った。


「 何から話そうか。そうだな・・・ええっと、は熱中症で倒れていたんだ。
  休憩前に出て行ったって清水から聞いたから、どこに行ったんだろうってみんなで話していたんだ。
  いつまで経っても戻ってこないから、俺と旭で手分けして探した結果、校舎裏で倒れてるお前を発見した。
  それでここ・・・保健室まで連れてきたってわけ。今、保健の先生は用事があって席を外してるよ 」


 意識が朦朧としたのも、起きた時に喉が渇いていたのも、熱中症のせいだったんだ。
 ええと、それから・・・と少し考えるような素振りを見せてから、澤村先輩は言葉を続けた。
 

「 今日の練習は終わったよ。鵜飼さんが、ここしばらく練習を詰め込み過ぎたって反省していた。
  その代わり、明日は夜まで練習するから、は体調を整えることに専念すること 」
「 ・・・はい 」




 絶対、私のせいだ。




 マネージャーの私より、選手であるみんなの方が断然運動量も多いし、疲労も溜まっているはずなのに。
 先に私の方が倒れちゃったから、鵜飼コーチはみんなが倒れる前にと思って、休憩を言い渡したのだろう。
 ・・・悔しい。皆を支えたくてマネージャーになったのに。
 こんなんじゃ、私、烏野排球部のマネなんて名乗れな・・・・・・。


「 はは、そんな顔するなって 」


 隣に座っていた先輩の存在を忘れて、俯いてばかりいると。
 シーツを握りしめていた拳に、そっと暖かいものが触れた・・・澤村先輩の、手、だった。
 目が丸くなるのが自分でもわかった。驚くと同時に熱中症状態を上回るほど、全身が熱くなっていく、のも!


「 さっ、さ・・・わむら、センパ・・・! 」
「 なあ、。お前が一生懸命部活の為に尽くしてくれてるのは、みんな知ってるぞ。
  だからこそ、支えられてる俺たちだっての為に何かしてやりたいと思ってる 」


 慌てて振りほどこうとした手を離す気はないらしい。
 動揺している私とは対照的に、澤村先輩はとても真剣な顔つきだ。漆黒の瞳がじっと私を見据えている。
 真っ直ぐな視線に、もう、どうしようもない気持ちになって・・・たまらず顔ごと視線を逸らす。
 そ、そんな風に思ってもらえるなんて、すっごく、う・・・れしい、のに。顔から火が出そう。
 重ねたてのひらの中で、がっちがちになった拳がこれでもかってくらい爪を食い込ませる。


「 俺は、の力になりたいんだ 」


 力強いキャプテンの声に、はい、と渋々返事をするのが精一杯だった。
 

「 ・・・ありがとう、ございます。澤村先輩 」
「 ああ、遠慮するなよ 」


 先輩はほっとしたように笑って、今度は私の頭をくしゃくしゃっと撫でる。
 前髪の上で揺れたタオルが額から落ちると、気づいた澤村先輩が拾ってくれた。
 手に取ってみるとそれは温くなっていたのか、隣に置いてあった桶の冷水で改めて絞ってくれた。


「 ・・・ついでに、と言ってはなんだが 」


 ちゃぽ、ん、とタオルの先端から最後の一滴が落ちて、水面に波紋を呼ぶ。
 水音に紛れた小さな呟きに、私は先輩の背中へと何気なく視線を向けた。
 短髪の間に染まる耳。驚きに目を瞠った私に、向き直った彼は照れたようにはにかんだまま・・・。
 それでもしっかりした口調で言った。


「 たくさんいる部員の中でも、俺のことを一番に頼ってくれたら、もっと嬉しいんだけどな 」
「 え・・・あ、で、でも私、いつも澤村先輩に頼ってばかり、で・・・ 」

 だって、同じ3年生のスガ先輩にも東峰先輩にも潔子先輩にも頼ってばかりだけど。
 澤村先輩は、主将だから。他の部員以上に相談したり、頼らざるを得ない。
 一番・・・負担を駆けたくないのに。そう言うと、彼は一度驚いた表情をして、それから・・・。


 戸惑う私に、いつも部活では見せないような優しい顔で・・・澤村先輩は微笑んだ。


「 俺は、のお願いなら、どんな負担も負担にならないよ 」
「 でも、でも・・・ 」
「 でもでもって言い過ぎ。はもっと自信持っていいんだぞ。何せ・・・・・・ 」








 ・・・その『 告白 』に、今度こそ顔だけじゃなくて、全身が沸騰するかと思った。








 先輩は、ほら、と何事もなかったように、硬直したままの私へ声をかけて。
 絞り直したタオルを私の額に乗せようと、彼の長い腕が私へと伸ばす。
 反射的に瞳を瞑った。その直後にひやりとする。
 冷たいタオルが無事に額に乗っ・・・たみたいだけど、目を開けて彼の視線を受け止める勇気はなかった。




 きっと・・・もう日焼けなんだと誤魔化せないくらい、顔は真っ赤になっている。














 太陽の熱はタオルで冷やせても、澤村先輩が私に点けた火は、しばらく消えてくれそうになかった。






微熱じゃなくてだった

( どうしようどうしよう、私・・・先輩に想われてるって知って、こんなにも嬉しいだなんて )




Title:"シャーリーハイツ"