悲鳴、というほどの声を上げた覚えは無かった。


 どちらかというと、息を呑む、という表現が正しいと思う。






 だけど、彼にはお見通しだったらしい。






 突然の足音に、手に持っていた包丁を慌てて板の上に戻して、指先の傷を反対の手で覆って隠す。
 案の定、窓辺で本を読んでいたはずの小十郎さんが、本を放り出してキッチンへと入ってきた。
 どうしたァッ!?と語気を荒くして、私へと詰め寄った( きゃーきゃー! )


「 !お前今、悲鳴を上げただろう!? 」
「 ひ・・・悲鳴なんて、上げてません! 」
「 いや、今確かに・・・なんて問答している場合じゃないな。何があった!? 」
「 ・・・えっと・・・その、 」


 肩を掴まれて、がくがくと前後に揺さぶられるから、ケガの痛みどころじゃなくなった。
 ・・・き、傷を見せるのは躊躇われるけれど、隠したところで彼はそれで納得するような人じゃない。
 眉間に深い皺を寄せて、私に迫る小十郎さん。
 鬼気迫る彼の視線を受け止められなくて、あたふたと視線を散らしていたが・・・間もなく覚悟を決めた。
 おずおずと差し出した右手の人差し指を、小十郎さんは首を傾げて見つめている。


「 包丁の刃先で、ちょっと掠めただけなんです・・・ 」


 消え入りそうな私の声・・・うう、やっぱり恥ずかしい。
 日曜日の午後、ちょっと遅めのランチですけど、たまには私が作ります!・・・なんて立候補したけれど。


 ・・・小十郎さんは、私なんかよりもずっとオトナのヒトで。
 一人暮らしも長いから、いつも小十郎さんちに遊びに行くと料理を作るのは彼だった。
 日頃、実家暮らしで作る機会が少ないせいもあって、料理はまだまだ修行中。
 ( だから、少しでも気を抜くと包丁を持つ手すら危なくなる )
 それでも、たまには役に立ちたいなと思って、お母さんから習ったばかりのレシピだったんだけど・・・。
 料理は当然未完成のままだから、途中から見れば、一体何を作っているのかわからないようなこの惨状。
 このままじゃ、遅めのランチどころじゃなくて、おやつになっちゃう。


 小十郎さんは、赤い筋を作っただけの指先を見つめていたが、やがてがっくり肩を落とす。
 無言で大きな溜め息をその場で吐くと、困ったように苦渋の表情で頭を掻いていた。
 私はというと・・・出した指先もそのままに、青褪めたまま佇んでいた。


「 ( どうしよ・・・どうしよう、怒らせちゃ、った・・・ ) 」




 絶対、料理もまともに出来ない、ダメな女の子だって思われた・・・ッ!




 なのに、滲んだ視界に映った光景に涙も引っ込む。
 震えていた指先を、小十郎さんが咥えている。上げていた髪の一房が、ふわりと手の甲に触れた。
 自分の指先と、彼を見比べて。そこから伝わる唇の熱に、感触に・・・脳内が沸騰した。


「 き・・・きゃああぁッ!! 」
「 おい、どうし「 きゃああッ、ここ、ここじゅ!きゃぅぅあぁ!! 」


 指を切っても、悲鳴なんか上げずにいたのに。
 真っ赤になってプルプルと震えだした私を、そのまま懐に閉じ込めた( ・・・あ、 )


 埋めた胸元から・・・小十郎さんの、匂いがした。


 ・・・うわ、すごく落ち着く・・・大好きな、この匂い。彼の存在を一番感じさせてくれるもの。
 小十郎さんにしがみついたまま、息を大きく吸い込む。
 そして・・・肺の中の空気を吐く頃には、興奮も鎮火していた。


「 はぁ・・・まったく、お前ってヤツは 」


 その言葉に、びくりと大きく肩が震える。
 また怒らせたかも、イライラさせちゃったかもしれない・・・と思ったのに。
 次の瞬間、小十郎さんの肩が揺れ出した。
 くつくつと耳元をつく苦笑にも似た笑い声に、おずおずと顔を上げると、彼の顔がすぐ近くにあった。


「 ・・・小十郎さん? 」
「 俺の前で、背伸びなんてする必要はねえ。お前はお前で、俺の惚れた『  』のままでいろ 」


 見上げた顔には、眉間の皺なんか綺麗に消えていて。
 ちょっとだけ眉尻を下げた、優しい微笑だけが浮かんでいた( それだけで、肩の力が抜けていく・・・ )
 大きな掌が、私の頭を撫でる。額を覆う前髪を少しだけ横に分けて、小さなリップ音が響いた。
 頬に熱が宿る。興奮一歩手前だとわかっていたのか、悪戯する子供のように、彼が熟れた頬を摘んだ。


「 いひゃい! 」
「 あとは俺に任せろ。は、代わりにソファに座って待ってるんだ 」
「 で、でも!私、あの、 」
「 ああ、そうだ・・・冷蔵庫の中にレモン水が入ってるから、それを出してくれ。あとコップもな 」
「 は・・・はい! 」


 『 役目 』を与えられた私は、こくこくと何度も頷いて冷蔵庫を覗き込む。
 そんな私の背中を横目でこっそり見ていた小十郎さんが、嬉しそうな微笑みを浮かべていたとも知らずに・・・。






 その後、テーブルに並べられた料理は、まさにお母さんから習ったレシピそのもので。
 感動すると同時に項垂れた私の前に、お皿を並べた小十郎さんが


 「 料理は、お前が嫁に来てから俺が教えてやる・・・徹底的に、な 」


 と言ってくれたので( 今度は悲鳴も上がらないほど興奮して・・・卒倒しました )








 いつか・・・彼の言葉が『 現実 』になってもいいように、やっぱり今から特訓しておかないとね、うん!!










壊れ物を扱うように





( そのままでいい、そのままのお前を、俺は『 大切 』にしたいんだ )






20120506 /// もーちゃんとこまち様の企画「煌メク空」に献上させていただきました☆
右目は、料理でも裁縫でも何でも出来そうですが、逆に出来ないこととかあるんですかねぇ・・・。
ドラマCDで赤ちゃんあやすパパ倉の姿にはビックリしましたけどwww
( 色恋も苦手なだけで、思えばあとは力づくで押しすすめるタイプだ、と灯は思っています )
灯自身も久々のこじゅ作品で楽しませていただきました。お二人とも、楽しい企画をありがとうございました。

Title:"Traum der Liebe"