見事な白梅。この山はいつも見事に花を咲かせると孔明が教えてくれた、と言っていた。






 は天を仰いだまま動かない。
 興奮に頬を染めて、青空に舞う雪のような白梅に魅せられたまま立ち竦んでいた。
 護衛として遣わされた私たち3人は、その愛らしい背中を見守っていたが。
 準備が整うや否やどうにも待ちきれなくて、とうとうへと声をかけた。


「 さあ殿、こちらへ!今日のために、この姜伯約が用意した料理の数々をご堪能されよ!! 」
「 ・・・どこか押し付けがましい気がするのは俺だけか、趙雲 」
「 馬超、察してやれ。姜維は今、はもちろん、その背後にいる丞相の機嫌取りに必死なんだ 」
「 ・・・・・・・・・ 」
「 うわーっ、ほんと!お料理いっぱい!!それも、私の好きなものばかり!! 」


 彼女の背後に控えていた2人の声は、有難いことに本人には届いていなかったようだ。
 振り向いたは敷物の上に広げられた料理を見渡し、無邪気な歓喜の声を上げる。
 私の手を両手でとり、ぴょんぴょんと跳ねながら、ありがとう!と何度も頭を下げた。


「 姜維、ほんとありがとうね!孔明に寝る間も惜しんで手配してくれたって聞いたよ? 」
「 い、いえそんな・・・殿のためなら、このくらい何でもありませんっ! 」


 そう言って、胸をどん!と叩いて高らかに笑って見せたが、目の下にあるクマを見逃さなかったようだ。
 彼女は少しだけ弱々しく微笑み、私の手を自分の胸に引き寄せた。
 驚いたのは私・・・だけではない。背後の趙雲殿と馬超殿も目を剥いていた。


「 私のため、であっても無理しないでね。姜維が元気でいてくれることが、私の幸せでもあるんだよ 」


 宝物を抱くように包まれた手が、恐れ多くもその柔らかい身体に触れた時。
 着物越しにも伝わる彼女の温もりに・・・どれだけ自分のことを心配してくれたかが解った。


 私は、自分の君主を君主以上に想っているが、彼女は私の気持ちなど知らないだろう。
 それでも、臣下として寄せてくれる優しさに・・・咽び泣いてしまいたい気分だった・・・。


 視界の端に、むっと眉を寄せた馬超殿の横で静かに動く趙雲殿が見えた。
 流れるような動作での腰を横から攫い、繋いでいた手が離れる。
 その手は名残惜しそうに彼女を追いかけたが、そこは趙雲の方が一枚上手。
 私の伸ばした手に気づかないよう、そっと目の届かない位置に誘導して、彼女を好きな料理の前へ着席させる。
 ぱっと輝く表情。彼女の興味が既に料理へと移ってしまったのを見て、思わずがくりと肩を落ちた。
 隣に来た馬超殿が宥めるように背を押されて、渋々自分たちも席に着く。
 趙雲殿は、手に持った箸で器用に殿の分を取り分けていた。


「 殿のお好きなものは、これとこれでしたね・・・ああ、あっちのもお好きでしたよね、取り分けましょう 」
「 趙雲ってば何でわかるの?私の好きな料理、教えたっけ?? 」
「 以前、宴席でよく召し上がったものを覚えていますから。美味しいから趙雲にも、と分けてくださいました 」
「 ああ!・・・うふふ、そうだったね。でも、やっぱり凄いよ。随分前のことなのに、覚えてくれてたなんて嬉しいな 」
「 それはもちろん、貴女が好きだからですよ 」


 間髪いれずに、けれど何とも自然な告白に・・・私は箸を落とし、馬超殿は持っていた杯の酒をひっくり返した。
 驚いて趙雲殿と殿へと視線を向けるが、彼らが『 変化した 』様子はない。
 趙雲が料理を盛った皿を差し出し、殿がお礼を言って受け取る。
 美味しそうに頬張る姿に、彼は嬉しそうな顔をした。2人共・・・何故こうも平然としていられるのか。


「 ( 殿は、色恋を意識するような人ではないのは私だって重々承知だ・・・だが、これはこれで ) 」


 自分だったら挫けてしまうかもしれない・・・と、少しだけ趙雲殿に同情を寄せた時。


「 ーっ!!俺も好きだッ!何にも換えがたい存在として、お前を愛している!! 」
「 び、びっくりした・・・馬超、ありがとうね、えへへ 」


 杯を放って立ち上がった馬超殿にとっては、この上ないくらい真剣な告白だったのに。
 殿にとってはこの程度。頬を染まっているが、それは愛の告白をされたからではない。
 赤くなった頬を冷ますように、彼女は両手で頬を挟んで嬉しそうに微笑む。
 が、次の瞬間には箸を伸ばして摘んだ料理を口に入れて、同じ表情を浮かべた。


 ・・・殿の中で、私たちが口にする『 愛 』は『 信頼 』と同意義なのだ。


 10歳で君主となった殿は、丞相に教育を『 施された 』と言ってもいい。
 清廉された君主として、他人の信頼に足る人物になるため世俗から隔離されてきた彼女。
 人を『 信じる 』ことに長けていても、『 愛する 』ことを教えてもらわなかったと密かに噂されている。
 君主となって数年、妙齢の美姫に育った彼女を一人の女性として好く者は多い。
 だが、は異性に寄せる『 愛情 』を知らないから、他人からの愛情に気づくこともない。
 清く美しく、純粋で人を疑うことのない殿が、唯一人と決めた異性を愛す日はくるのだろうか・・・。


「 ( それが・・・自分、であれば、私は全てを捧げるのに・・・ ) 」


 殿を手に入れれば、国も権力も思いのままだ。けれど私が求めるのは彼女本人だ。
 そう思うのは、きっと此処に居る趙雲殿も馬超殿も同じ。
 最初は反応の薄さに傷ついたが、そのうち慣れてしまうからこの恋は重症なのだ。


 料理を頬張る彼女を見守っていたが、突然、馬超殿が彼女を掬うように抱きかかえ、走り出した。
 箸が落ち、きゃんっ!と跳ねるような小さな声に、趙雲殿は素早く立ち上がって後を追う。
 僅かに遅れた私も、慌てて3人の影を追いかけた。


「 待て馬超!殿をどこへ連れて行く気だッ!! 」


 疾りながら叫ぶ趙雲殿の怒声が辺りに響く。
 それで馬超殿が振り返ることはなかったが、一際大きい白梅の樹の根元で足を止めた。
 抱きかかえていた殿を自分の目線の高さまで降ろすと、熱の篭った眼差しで見つめた。


「 俺は本気だ。お前を愛してる。この梅の、連理の枝のようにいつまでもお前を支え、傍にいよう 」
「 ・・・馬、超・・・? 」
「 、愛している・・・お前だけを、俺の生涯をかけて護る!! 」


 宣言と共に、そっと唇を近づける。
 梅香の中、寄り添う美男美女は一枚の絵のよう。止めなければと思うのに・・・不覚にも見惚れてしまった。
 その一瞬の隙にも2人の距離は縮まっていく。
 殿は、今、まさに口づけされようとしていることが解っていないのかもしれない。
 きょとんしたまま、彼の唇を避けようとも、身体を縛る腕から逃れようともしなかった。
 気づいた時には既に遅く、私は頭を抱えて青褪めたが・・・馬超殿の唇は、彼女には届かなかった。


「 冗談はそこまでだ。殿を離せ。さもなくば、斬るッ! 」
「 ・・・趙雲、俺は冗談なんぞ言わんぞ。特にへの気持ちに関しては、な 」


 その台詞に、馬超殿の首へと添えた槍の切っ先が煌めきを増す。
 本人は物怖じした様子など欠片もなかったが、目の前で繰り広げられた行為に殿が慌て出した。
 抱えられたまま、馬超殿の肩越しに趙雲殿を睨んだ。


「 趙雲っ!どうして馬超に刃物を向けているの!?降ろしなさい! 」
「 しかし、馬超は殿を・・・ 」
「 降、ろ、す、の!これは君主命令ですっ!! 」
「 ・・・・・・・・・ 」


 顔を真っ赤にしてぷりぷりと怒り出した君主の『 命令 』とあっては、いくら趙雲殿でも逆らうことは許されない。
 苦虫を潰したような表情で、やむなく構えた槍を降ろす。
 がつん!と地面に食い込んだ槍先が、彼のやりきれない気持ちの表れだった。
 かくいう馬超殿も、一世一代の告白に水を注されて気分が悪い上に、友である趙雲殿に殺意を向けられたのだ。
 彼女を地面に降ろすと、肺の奥から吐き出すような深い溜息を吐いた。
 不貞腐れた2人を見比べていた殿だったが、よし!と気合いの声を上げるなり、私の前に立った( え )


「 姜維、少し腰を落としてくれる?? 」
「 は、はあ・・・ 」


 言われた通り、腰を落として片膝をつく。
 すると殿がととと・・・と私の背後に回りこんで、ぺとりと蝉のように張り付いた。
 そのまま衣から伸びた二の腕が交差して、首をむぎゅっと締める( えぇえっ! )
 ・・・柔肌の感触に声を上げなかった自分を褒めて欲しい。ぐっと歯を食いしばって快感に耐えた。


「 身内の喧嘩なんて見っとも無い!2人はいつまでもそうしていたら?私は姜維と遊ぶからいいもん。
  ねえ姜維。私、あっちの梅の花見たいなあ。このままおんぶして連れてってくれない?? 」
「 そんな、殿っ!? 」
「 ー!! 」


 趙雲殿と馬超殿から同時に上がった嘆きの声。
 動揺を隠せず振り返った私の前には、有無を言わさない君主の微笑みがあった。


「 ( こ、これも『 命令 』・・・なんですね、殿 ) 」


 ごくりと喉が鳴る。今度は突如、背筋がぶるりと震えた。
 背中から伝わる温度にときめいて、体温が上がったはずなのに急下降する理由、は・・・。
 振り返らずとも・・・想像はつく。地面に突き刺した槍を引き抜く音がした。
 思考に蓋をして、鳥肌が立つほどの殺気に耐えて殿を急ぎ背負うと、その場から逃げるように走った。


「 待て、待つんだ姜維ッ!!くそ・・・何て羨ましいっ!!姜維ーッ!! 」
「 殿!姜維ではなく、この趙子龍ともっと美しい梅が咲く場所を見つけましょう!降りなさい!! 」
「 きゃーきゃー!!姜維はやーいっ!あははははっ! 」


 鬼の形相で馬超殿が、険しい顔つきで説得を繰り返す趙雲殿が武器を片手に追いかけてくる。
 肝心のは楽しげに笑ってはしがみつく、が、時々背中に触れる柔らかさは・・・胸、だろうか。
 それだけで当然自分の心は浮き足立ち、立ち止まりそうになるのだが、止まったら最期だ。




「 ( 丞相っ・・・こ、こんな時にどう対処したらいいか、未熟な私には判りかねますッ!! ) 」












 天国と地獄。答えの出ないまま半狂乱になりながら、その『 境界線 』をただひたすら走り続けた。














絶対君主に恋してる!

- 蜀の槍族 -

( 「 はあ・・・そろそろ私も殿の教育方針を見直すべきですかね 」「 ・・・・・・!!!( 更に厳しくなるの!? ) 」 )




Title:"capriccio"
Material:"Tiny tot"