10年前に出逢った彼女は、10ヵ月前に結婚が決まり、10日前に嫁いでいった。
















「 ・・・・・・・・・・・・ろう、小十郎、小十郎ッッ! 」
「 ・・・・・・はッ!いかがいたしましたか、政宗さま 」
「 いかがいたしましたが、じゃねえだろう、てめえは。何度呼んだと思ってるんだ 」
「 ・・・も、申し訳ございません・・・ 」


 執務中だというのに、筆を握ったまま呆然としていたのであろう。
 文机に置いた和紙には、数滴の墨汁が筆を伝って点々と落ちていた。
 硯の中は半分乾いていたし、どれだけの時間が過ぎてしまったのか容易に見当がついた。
 筆を硯に戻し、再度深く当主である政宗さまに頭を下げる。
 内心、酷く混乱していたのは長年の付き合いで恥ずかしくも露見してしまったようだ。
 返す言葉もなく平伏する私に、政宗さまはそれは盛大な溜め息を吐いた。


「 ・・・らしくねえな、小十郎。とりあえず頭を冷やして来い 」
「 い、いえ、ご心配には及びません。この小十郎、二度とこのような失態は・・・ 」
「 Get out!とにかく冷やすまでは帰ってくるな、いいな 」
「 政宗様! 」
「 逆らうつもりか、これは『 命令 』だぜ 」


 と、言われてしまえばぐうの音も出ない。長い沈黙の後に、は、と頷いて頭を下げる。
 ・・・あまりごねては周囲に示しもつかないだろう。
 簡単に身の回りを片付けると、のろのろと重い腰を上げて退室した。
 廊下に出ると、いいのかよ、と同じ部屋で執務に励んでいた成実の声がする。


「 あんな状態の小十郎、一人で放り出してさ 」
「 はっ、あんな状態だからだろうよ・・・ちったあ自分の心と向き合う時間が必要なんだよ 」


 声はしないが、彼の横できっと綱元も頷いているのだろう。
 俺がまだ其処に立ち尽くしているのを、武人である彼らは気配で察している。
 それなのにわざと話題に上げるのは、面と向かって言い難いことを示唆しているのだろう。
 何も答えずにその場を後にする。小さな衣擦れの音だけが、自分の後からついてきた。


 話は続いていたようだが、これ以上聞いているのは・・・正直辛い、と思った。












 私室として与えられている城の一室に戻ろうと思ったが、戻っても鬱々とした気分は晴れないだろう。
 ならば警護がてら、城の周囲でも見て歩こうかとふいに足の向きを変えた。
 城門を一人抜けて、堀を囲む並木道を歩く。爽やかな春風が心地良い。
 空を仰ぐように見上げれば、鈴なりに桃色の花をつけた桜の樹木たち。
 だがもう咲き納めか、ところどころ緑の葉も見える・・・そうだ、満開はそれこそ10日前だった。


『 ねえ、小十郎殿!どうして此処の桜ってこんなにも美しいのかしら 』


 無邪気な少女の声が脳裏によみがえる。
 ふわりと周囲を取り囲む風に舞うように、幼い二人の子供の『 幻 』が俺の前を通り過ぎていった。


「 奥州より北にも南にも有名な桜の名所があるけれど、私はここの桜が一番好き! 」
「 気に入っていただけたのなら何よりです。殿は、これからこの城にお住まいになるのですから 」
「 ・・・そうね。私、一生懸命お仕えするわ。伊達家の一員として引き取ってくれた政宗さまのためにも。
  政宗さまの側近である貴方が、護衛を引き受けてくださって感謝しています。よろしくお願いします 」
「 こちらこそ、御身をお守りいたす・・・この剣と、貴女をお預けくださった政宗さまに誓って 」
「 ふふっ・・・ありがとう、小十郎殿! 」






 二人で命を賭してお仕えいたしましょう。奥州のために、政宗さまのために。






 女中の母を持つは城下で生活していた。政宗さまの腹違いの妹、ということを隠しながら。
 だが『 伊達家縁の娘 』というだけで、目ざとく探し出した老中たちに体良く彼女を『 利用 』した。
 長い間奥州を離れ、遠い地で人質となっていたは権力を取り戻した政宗さまにより開放された。
 故郷に戻ってきた姫君は城下で隠れ住むこと辞め、奥州のために働きたい、と願い出た。
 それを受け入れた政宗さまは、専用の護衛兵が決まるまでは・・・と俺にその役目を与えた。
 おそらく、それはわずかな期間になる。奥州には手練れの武士が多いから。


 だが・・・故郷のためにと希望溢れる少女の姿は、俺の瞳には非常に新鮮に映った。
 きらきらと眩しい、眩しくて目を細める。
 細めた瞳に微笑む彼女は、誰よりも輝いていて・・・焦がれた。
 数ヶ月の護衛という役目を降りても、すれ違えば微笑んで言葉をかけてくれる彼女が愛しかった。






 明るく、誰にでもわけ隔てなく優しい彼女の『 評判 』は宣言通り、奥州を盛りたてた。






 そして・・・その噂は他国へと届く。
 一時的ではあったが飢饉に苦しむ奥州へ、大量の兵糧の代わりにを差し出せと言ってきたのだ。






「 政宗さま!相手の言うとおり殿を差し出すおつもりか!? 」


 あれは寒い日だった。朝から冷たい雨が降り続き、沈んだ気持ちをより重くさせた。
 前を歩く政宗さまは、しらねえ、と苛立った声音で答える。


「 殿は長らく人質でおられた。だからこそ今後人身御供のようなことはさせまいと、あれほど・・・ 」
「 Shut up!それ以上言うな小十郎!俺だって・・・アイツが行きたいと言わない限り、嫁がせたりし 」
「 なら私、嫁ぎますわ 」


 す、と柱の横から現した姿にぎょっと足を止めた。
 殿は場違いなほどにっこりと優しく微笑んで、そのまま土下座をするように頭を伏せた。


「 どうぞお願いです。私を彼の地へ嫁がせてくださいませ 」
「 殿っ!なりません!!貴方は、っ・・・!! 」
「 小十郎は黙ってろッ!!・・・、奥州のためだという理由は捨てろ。俺はその『 理由 』を望んでいない 」
「 ・・・それでも、です、政宗さま。民が苦しむのを見てられません。私は皆を愛しています。
  今、彼らを救わなければ伊達家は大きなものを失います。民の信頼、崇敬の損失は避けるべきです 」
「 それはお前自身の人生と天秤にかけた時、上回る価値のあるものか? 」
「 左様にございます。政宗さまが目指す天下に一歩でも早く近づくのなら、命すら惜しくありません 」
「 ・・・・・・・・・ 」


 政宗さまが黙る。後ろに控えていた俺は、何故黙ってしまわれるのか不思議でたまらない。
 ・・・了承されてしまう、のか。このままでは彼女の人生は『 人質 』で終わってしまう。
 しとしとと雨が降る注ぐ音だけが響く。誰も、微動だにしなかった。その沈黙を破ったひとつの溜め息。
 OK、と呟いた舶来語は近しい者だけがその意味を知っている。殿が頭を下げた。
 踵を返した主を追わねばと思うのに足が動かない。彼女に、このまま何も言わずに去ることが出来なかった。


「 ・・・貴女は・・・ 」


 何てことを、と震えた俺に、殿が微笑む。


「 小十郎殿・・・ありがとう、心配してくれて 」
「 殿はこれが最善の策と思われるのか!?犠牲になり、自己陶酔にでも浸るおつもりか 」
「 ・・・そう思われても仕方ないことなのは、よく理解しています。でも、小十郎殿・・・ 」


 一度瞳を瞑って、胸に渦巻くものを『 雫 』に変えると・・・悲哀に満ちた表情で、微笑んだ。
 こみ上げてくる気持ちは抑えられない程のものなのか、大粒の涙が後を絶たない。


「 私は奥州を守りたい。故郷を、政宗さまを・・・小十郎殿、を 」


 え、と聞き返すことも出来ずただ息を呑んだ。驚き戸惑った俺に、殿はやはり優しく笑顔を向けている。
 好きだと言った人たちの中に『 俺 』が含まれている・・・それは漠然とした『 予感 』でしかなかった。
 けれど、身体が動く。彼女の腕をとって抱き締めると、すんなり閉じ込められる柔らかな肢体。
 鼻腔を掠める匂いは・・・かつて護衛を引き受けた時に何度も眩暈を覚えさせた、それ、で。
 あの頃は堪えていたが、今は眩暈に身を委ねる。見下ろした殿が自分からそっと瞳を閉じた。


「 ・・・・・・っ・・・、 」


 これが・・・最初で、最後。
 小さく呻くような甘い音色を紡いだ唇を重ねて抱き締めあう。一度滾った熱は鎮火するのに時間が要った。
 だけど、お互い言葉に出して告げることはなかった。必要、不必要、ということではない。
 それを告げれば・・・『 何か変わってしまう 』ことだけは、わかっていたから。


 時折、睫を震わせては雨雫のように伝う彼女の涙。抱き合う二人の姿は、降り続く雨の中に紛れていく・・・。














 政宗さまの『 対応 』は早かった。許婚となった他国の武将は、約束通りの兵糧を送ってきた。


 奥州の民は喜び、同時にの婚姻を祝った。俺は・・・笑顔で返礼する彼女をまともに見れなかった。














「 達者でな、 」
「 政宗さまこそ・・・はどこにいても、伊達家の繁栄を願っております 」


 彼女の豪華な婚礼衣装が衣擦れの音を立てる。平伏した頭を上げた彼女の瞳は、赤く潤んでいた。
 使者の来訪を告げる伝令が、政宗さまに近づく。彼がこくりと頷くと同時には立ち上がった。
 奥州の危機を救った姫の退室に、家臣一同が頭を下げる。
 彼女の気配が俺の目の前を横切り、外へと移る。ふう、と無意識に吐いた溜め息に、成実が頭を掻いた。


「 ・・・殿が嫁いで『 平気 』なのかよ、小十郎 」


 問いには答えず、政宗さまの後を追おうと無視して立ち上がる背後で、今度は成実が溜め息を吐いた。
 綱元が何か成実に話しかけている。けどよォ!と叫んだ成実の声がした。
 追いかけた政宗さまは、籠の前でと短い挨拶をかわしていた。
 早春の陽射しに照らされ、最後に満開の桜を名残惜しそうに見上げた彼女に・・・思わず目を細める。
 ・・・ああ、そうだ。いつだって眩しかった彼女が、今度こそ、光の中に・・・溶けていく。
 小さな身体が籠に収まり、出立の号令がかかると控えていた者たちが立ち上がり行進が始まる。
 ぱちん、と何かが弾け、まるで夢から覚めたように堪らず足が動いた。


「 小十郎ッ! 」


 政宗さまの声がした。数歩で留まったが、俺の視線は桜並木から外されはしなかった。
 城門の外へと伸びていく行列が、桜の中へと消えていく。
 口づけを交わしたあの日の雨粒のように、桜の花びらが彼女を覆う。
 ・・・と小さく呼んだ名前は、花びら舞う風の音に消されてしまった。














 好きだ、と言ってしまえばよかった。


 奥州のためになら命を賭すと言った彼女を思い止まらせることはできなくても。
 きっと・・・こんな、辛い思いはしなくて済んだはずだ。






























「 ・・・盛りを過ぎてしまったとしても、私はここの桜が一番好き 」






























 その声は、正面から吹く風が運んできた。
 『 幻 』の続き・・・小さな『 彼女 』が振り返って言ったと、想ったのに・・・。
 ざ、っ・・・と吹き荒れた花びらの向こうに立った小さな人影に、目を見開く。


「 何処に行っても、ここを思い出すの・・・小十郎殿と、過ごした場所だから 」
「 ・・・、殿・・・ 」


 ただいま、小十郎殿・・・と『 いつものように 』ふわりと微笑んで、俺の前に立つ。
 彼女の黒髪が風に靡く。香る匂いが、それが現実であることを強く主張している。
 何も言わない・・・いや、何も言えずに立ち尽くしている俺に、照れた声音で彼女は言った。


「 嫁ぐ道中で政宗さまの急使が来て、やっぱり戻って来いって言われたの。最初は何のことかわからなかった。
  でもね、相手の要求の1番目は私、2番目は奥州で取れる貴重な資源だったそうなの。
  政宗さまが私の身柄の代わりに様々な財宝を要求以上に収めたので、お役御免になったそうなの 」
「 ・・・お役御免、でございますか・・・ 」
「 そう!政宗さまには全部お見通しだったの。私の気持ち・・・本当はちゃんと気づいてくれてた 」


 未だ呆然とした様子が抜けない俺に、殿が涙を零しながら嬉しそうに話す。
 拭うこともせずに、彼女はそのまま俺の胸へと飛び込んできた。その重みに・・・雨の日の記憶が蘇る。






「 小十郎殿の元に、ずっと居たいという気持ち・・・誰でもない、貴方の傍に 」






 そう彼女が呟いた瞬間、震える両腕がぎゅうと抱き締める。
 彼女は少しだけ苦しそうに顔を顰めたが、それでも抵抗するどころか俺を抱き締め返すように抱きつく。


「 、殿・・・・・・ 」


 未だ幻を掻き抱くように彼女の身体を手繰り寄せる俺を、彼女はしっかりと受け止めてくれた。
 幻なんじゃないよ、私はちゃんとここにいる、とその存在を確かめさせるように・・・。
 どちらともなく、吸い寄せられるように唇を寄せた。甘い疼きはゆっくりと胸を満たす。


 一瞬にも似た、長い抱擁の後・・・俺は殿をまっすぐ見つめた。






「 殿・・・貴女を愛している。どうか、私の元に嫁いで欲しい 」






 桜色に頬が染まった。はい、と微笑んだ彼女を腕に抱き上げて、並木道を歩く。
 2人で空と自分たちの間に葉を茂らせる桜の樹を見上げた。
 来年の桜はまた一緒に眺めましょうね、と笑った。そうですね、と隣で頷いた俺も彼女に微笑みかける。
 すると、彼女が更に顔をくしゃくしゃにして、久々に見る小十郎さんの笑顔が何より嬉しい、としがみついてきた。










 風が吹く。葉の間から差し込む光が過去を見せることはない。


 俺の視界に移る、最も欲していた『 幻 』は『 現実 』となり、もう決して手離すことはないだろうから。












幻 が とけて いく





( 今まで以上に奥州に、政宗さまにご尽力申し上げる。もちろん貴女と共に、だ )






Title:"黄昏に紅"
Material:"七ツ森"