『 仲権ーっ!ほら、早くおいでーっ!!ホント、あんたは私が守ってやらなきゃダメなんだから 』










 記憶の中のは、いつも少し離れたところから笑顔で俺に手を振っている。


 もがいて、必死に走って手を伸ばすけれど、彼女の姿は光に掻き消え・・・涙が、込み上げるんだ・・・。






























 彼女は小さい頃からいつも元気だけが取り柄で、男の子に混じっては街を駆けずり回っていた。
 俺は・・・昔からそんな彼女の背中ばかり追いかけていたのを覚えている。
 時に見失ってしまい、置いていかれたと大声で泣いていたっけ・・・( 今考えるとちょっと情けないけど )
 そんな俺を慰めてくれるのはの母親。泣きじゃくる俺の頭を撫でて、溜め息を吐くのだ。


「 も女の子なんだから、もう少ししとやかに育ってくれればねえ・・・ 」


 女の子なんだから、女の子のくせに、というのは最も『 に言ってはいけない言葉 』だ。
 怒って嫌われるのが怖くて、俺は絶対に口にしなかった。
 そんなこと言う仲権なんて嫌いよ!なんて言われたら、俺にとっては世界が終わったも同然。
 それに、そんなこと言わなくたって・・・俺にとっては『 女の子 』で、守ってやりたい存在だった。
 近所の悪ガキからチビだといじめられていた俺をかばってくれたのは、明るくて優しい彼女だけだったから・・・。




 ・・・と思っているうちに、案の定、数年後にはしとやかな娘になったは、父さんの伝手で城に上がった。




「 いやいやいや!びっくりしたぜ!お前と一緒に居たチビ娘が、あーんな別嬪さんに育ったとはよ 」
「 ・・・は元から別嬪だったよ 」
「 お!?さてはか!?狙いなのか、息子よ! 」


 黙りを決め込んだ俺を、にやにや顔の父さんが覗き込む( ああもうッ! )
 ・・・年頃の娘が入城すれば、当然噂になる。
 父さんの目には、俺の幼馴染としか映ってなかったから話題になる自体がそもそも予想外だったらしい。


「 今は惇兄のところで働いてもらっているが・・・息子、気をつけたほうがいいぞ? 」
「 は、何で? 」
「 惇兄の執務室にゃあ、曹丕様が頻繁に出入りしているっつー話だ。あの人に狙われてからじゃ遅いぜ 」


 ・・・父さんは知ってるくせに。俺の身長がと並んだ半年前から、彼女に逢わないように避けだしたことを。
 時々、俺のことを探してるのかなって思うような素振りをした、の姿を城内で見たことがある。
 でもさ、あいつの背中をずっと追いかけて追いかけて、それでもいつか追い抜いてやるって思ってたんだ。
 だから悔しくて。チビのままじゃ格好悪くって。彼女の隣に立ちたいと思っても、今の自分じゃ相応しくない気がして。
 追い抜いた日にゃ、をこの背で・・・今度は俺が守ってみせるって、そう決意していたのに。


 にやにや顔が苦笑交じりに変化して、ぽん、と俺の頭に手を置いた。


「 時間が永遠のものだと勘違いするなよ。機会を失えば、二度と取り戻せなくなるぜ 」
「 どういう意味だよ、父さん 」
「 さて、な。俺の息子が年頃だと言われるように、だって妙齢だ。やんちゃはしても後悔はするなよ。
  お前も俺も武将として、いつでも命を落とす覚悟があるとはいえ、別れは戦場で散ることだけじゃないってことだ 」
「 ・・・・・・・・・ 」


 やんちゃって、何だよ。父さんは俺とに何を期待してるっていうんだよ。
 が妙齢なんてのはとっくに知ってる。曹丕様が狙ってるのが本当だとしても、俺、身長伸びるまで逢えないし、さ。
 ぶすっと頬を膨らませて、拗ねた俺を見た父さんは・・・それ以上、何も言わなかった。





















 だから、驚いたんだ。その数日後に、突然・・・が体調を崩して、実家に戻ったって聞いた時は。





















「 ・・・仲権くん・・・!いえ、今は夏候覇殿ね 」
「 へへっ!こんにちは、おばさん 」


 扉を開けてくれたその人は、記憶よりもはるかに老けていた。俺の姿を眩しそうに見上げる。
 そしてその瞳が・・・あっという間に曇って、涙が溢れた。身体が崩れ落ちるのを、腕を伸ばして支える。


「 ああ、ごめんなさいね。貴方の顔を見たら、昔を思い出してしまって・・・ 」
「 おばさん・・・はいますか?俺、逢いに来たんです。彼女に逢わせてください 」
「 ええ、ええ、あの子も待っていたわ。誰よりも・・・最期に、仲権くんに逢いたいって 」
「 ・・・そう、でしたか 」


 おばさんは涙を拭って、家の中に案内してくれた。兜を脱いで一歩入れば、懐かしさを覚える。
 視点こそ違えど、もう何度も遊びに来た家だ。この家のどこにの部屋があるか俺は知っている。
 なのに、ふらふらと足元がおぼつかないのは・・・未だに信じられないからだ。
 自分の目で見るまで信じられない、信じない、信じ、たくない。




 彼女が、が・・・急な病で、この世を去ろうとしているなんて・・・。




「 ・・・仲、権・・・? 」


 部屋の入り口で、ぼんやりと立ち尽くした俺に、柔らかい声音が降る。
 牀榻に横たわった細い身体。痩せ細った腕が、震えながら俺に向かって伸びた。
 抱えていた兜が、がしゃん、と音を立てて転がった・・・あとはもう本能だったと思う。
 夢中で走って、駆け寄って、その腕を握った。俺は気がつくと泣いていて、牀榻に幾つもの涙が落ちた。


「 泣かないで、仲権・・・もう、貴方ってばホントに仕方のない人ねえ 」
「 だって・・・だっ、てっ、・・・!! 」


 人目も憚らずに泣き出した俺に、が笑いかける。弱々しい苦笑。
 こんな笑い方、らしくねえだろ・・・だけど、今はこんな笑顔しか浮かべられないほど衰弱しているのだ。
 その事実を目の当たりにして、俺の涙腺は更に弱くなる。おばさんが部屋から飛び出していくのがわかった。
 少し頬のこけたが、反対の手で俺の涙を拭い、頬を撫でた。
 顔を上げて彼女の漆黒の瞳を見つめる。見つめているだけで吸い込まれそうだった瞳・・・。
 その瞳だけは病にも負けなかったようだ。生気を失ってはいない。
 こんな時でも見惚れる俺に、ふっとは笑いかけた。


「 病のこと、夏候惇さま聞いたの?それとも夏候淵さまから・・・? 」
「 父さんからだよ・・・のこと、すっごく心配してたぜ 」
「 せっかく夏候淵さまの口聞きでお勤めしたのに、こんな結果になって申し訳ないとお父様に謝っておいてね 」
「 ・・・曹丕様がのこと、狙ってたってことも聞いた 」


 と言うと、一瞬驚いたような表情をして、すぐに破顔した。


「 丁重にお断りさせていただいたわ。ちょっと勿体なかったなって正直思ったけど 」
「 えええっ!?そ、それじゃ、おま、ほほほ本当に、求婚されたってことかッ!? 」
「 え、そこまでは知らなかったの?・・・まあ、こんな身体じゃお世継ぎも産めないし、ね 」


 狙ってただけじゃなくて求婚までしていたとは、俺にとって衝撃だったけど( 父さんの言う通りだった・・・! )
 『 こんな身体 』という言葉の方がひっかかった。牀榻に寄りかかって、の手を握りなおす。


「 なあ、・・・いつからなんだ、その病 」
「 半年くらい前、かな。食事が喉を通らなくなって、そのまま痩せて死んでいく病だって宣告された。
  こうして普通に話せるし、気持ちは元気なんだけど・・・どうやら体力が落ちてるみたい・・・。
  自分が病に侵されるなんて想像してなかった。仲権にも相談したかったのに、探しても全然つかまらなくて 」
「 ごめん、それについては本当に反省している・・・ごめんな、。不安にさせたな 」
「 ・・・仲権? 」


 城に上がる前も、上がった後も、俺とは何でも話せる『 親友 』だった。
 それを一方的な片想いと、つまらない意地で、距離を置いてしまった結果・・・これだもんな・・・。
 求婚のことも、病のことも、誰にも話せず、は一人で抱え込んで城を辞する道しかなかった。
 でも俺がもっと早く相談に乗っていたら、違う結果になったのかな。
 少なくとも、をこんなに苦しませることにはならなかったのかな・・・。


 ・・・なあ、父さん。後悔したらダメだって言われたけど、俺、今ものすごく後悔しまくってる。






「  」






 だから最後の最後で、やんちゃすることも・・・大目に見てくれよな。






「 俺と、結婚してくれ 」






 ぽかん・・・との口が開く。何度も瞬きを繰り返して、終いには眉を顰める。
 理解できないと言わんばかりのに、だから、と俺は繰り返した。


「 に、俺の嫁になっ・・・ 」
「 ちょ、ちょっと待ってよ仲権!私、病気なんだよ、子供産めないって今言ったじゃない! 」
「 いやいやいや!そんなこと関係ねえって言ってんの! 」
「 いやいやいや、じゃない!関係あるに決まってるでしょ!自分の立場わかってるの!?
  チビだって馬鹿にされていつも私にかばってもらってた仲権だけど、それでも夏候家の男でしょうが! 」


 ・・・こ、後半は若干傷ついたけどよ。俺だって、いつまでも『 チビ 』というか・・・子供じゃないやい!
 興奮に頬を赤らめたの身体を、そっと牀榻から持ち上げて抱き締めた。耳元で、ひゅ、と息を飲む音がした。


「 お前の言う通り、いつもにかばってもらった俺だけどさ・・・今度からは俺に守らせて。
  大好きなのことを守ってやりたいって、本当は小さい頃からずっとそう思ってた 」
「 ・・・ちゅう、け・・・ 」
「 追いつけたかどうかは疑問だし、チビなのも相変わらずだけどよ!お前を守れるくらいの男にはなったつもり!
  抱き締めてみれば、意外と、お前の背中はこんなに狭いしさ・・・。
  ああもう、こんなことならもっと早く手を伸ばしてみるんだったな。何かすっげえ遠回りした気分 」


 後悔してももう遅いけれど。だったら・・・『 これから 』は後悔しないように、生きたいから。
 の身体が震える。幼い頃から気丈な彼女が、泣いているのがわかった。


「 それでも・・・それでも、私、もうすぐ死んじゃうかもしれないんだよ・・・? 」


 この病は不治のものではないらしいけれど、原因不明で完治する治療方法が見つかっていない。
 これから仲権が戦場に行っても待っててあげられないし、帰って来てもおかえりなさいって言ってあげられない。
 奇跡を待つ時間の猶予もない。だから夏候家の子孫としての子供も、男女の甘い思い出も残せない。
 『 ない 』ことばかり。そんな私をもらって・・・仲権の得になることなんか、何一つ『 ない 』のに。


 なのにどうして、と首を降るの頬をそっと包み込む。大好きな漆黒の瞳は、俺以外の何をも映さなかった。
 ・・・それが、俺にはとてつもなく嬉しいことなんだって、お前は全然わかってないんだな!


「 損得勘定だけでお前を選んでないし!それに・・・戦場行ったら、俺の方が先に死ぬかもしれないだろ?
  どっちが先とか関係ない。が好きだ、その気持ちだけだ。だから・・・俺と結婚してくれよ! 」
「 仲権・・・馬鹿、ほんと、馬鹿なんだから・・・ 」
「 へへっ!いいよ、俺、馬鹿でも・・・それで、返事だけは欲しいんだけど 」


 泣いていたが、そっと瞳を閉じる。頷いた時に零れ落ちた涙を最後に・・・笑顔に変わった。
 自分の頬が高潮していく。彼女の細い身体をそっと引き寄せて口付けると、の頬も上気した。
 握った手のひらの、指を絡める。温かいな・・・唇も、手も、抱き締めた背中も。
 こうして口付けることも、お前を抱き締めることも、守られていた頃は想像がつかない『 未来 』だったけれど。




 今ならわかるんだ、俺。これから少しだけ先の『 未来 』に、たとえ本当に・・・がいなかったとしても。
 俺には、この幸せな一瞬を一生忘れることなんて出来やしないから。






























『 仲権ーっ!ほら、早くおいでーっ!!ホント、あんたは私が守ってやらなきゃダメなんだから 』










 記憶の中のは、いつも少し離れたところから笑顔で俺に手を振っている。


 だけどその手を捕まえて今度こそ離さない。死が俺らを分かつとしても・・・俺は、光の向こうまで追いかけるよ。










ぼくたちはいつも



こんなふうに回り道しかできないけど



( あの頃からずっと一緒だった。そしてこれからも、輪廻の先まで、ずっと一緒だ )






Title:"確かに恋だった"