いつの間にか・・・眠って、いたみたい・・・。










 眠る前より、雨足が強くなっているようだ。
 窓を打ち付ける雨風の音が、番組終了後に流れるノイズよりも大きく響いている。
 突発的に発生した台風だったけれど、酷いのは今夜だけで明日の朝には通過するのだとニュースで言っていた。
 起き上がろうと、ソファに横たえていた身体をゆっくり伸ばす。
 溜まらず、んんー・・・と声が漏れた。こみ上げる欠伸を開放して、細めた視界に入ったのは・・・。


「 ( ・・・・・・あ、 ) 」


 テーブルの上にあったリモコンを掴んでテレビの電源を切ると、隣に並んだ携帯電話を手に取る。
 甲高い操作音が、台風の足音が木霊する部屋にやけに大きく響いた。


【 通話履歴 / 23:37 発信 / 趙雲 】


 しばらく固まったように眺めていたが、省エネモードになった携帯電話は自然と灯が落ちた。
 それを機にテーブルに戻す。乱暴に放ったせいか、ガラス製のテーブルが音を立てて受け止めた。
 溜め息混じりにもう一度ソファに寝転がると、控えめな照明に照らされた天井がぼんやりと視界に入った。






『 なあ、・・・辛いのなら、辛いと言ってくれないか 』






 電話越しに聞こえた趙雲の悲痛な声が、脳裏に蘇る。


 付き合って3年も経つ彼は・・・どんな気持ちで、あの台詞を言ったのかな。
 なのに私、全然心が動かなかった。むしろ何でそんなこと言われなきゃいけないんだろうって腹が立った。
 次の言葉を紡ぐことが出来ず、沈黙を貫いた私に・・・彼は再度、、と言った。






『 俺は、お前にとって頼りない男なのか?好きな女の弱み一つ、受け止められない奴だと・・・? 』


『 ・・・・・・そんなこと、ないよ 』


『 じゃあ何故だ?声のトーンが落ちてる。何か辛いことでもあったんじゃないのか? 』


『 そんなことないってば!もう構わないでよ、私のことは放っておいて!! 』






 趙雲の声が聞きたくて電話したはずなのに。
 いつも電話をくれるのは彼の方だったから、私から電話したらすごく驚いて・・・すごく、喜んでくれた。
 最初は私も気を良くして話していたのだけど・・・途中で、何を話したらいいのかわからなくなってしまったのだ。
 感情に任せてただ愚痴を零すだけじゃ、きっと彼に嫌われる。
 だって趙雲は私に泣き言ひとつ言ったことない。女の私より仕事に追われている時間も長いのに。


 ・・・いつだって凛としていた彼の背中。私は何度憧れたことだろう。


 彼を意識するようになった頃、麗しい容姿に、男らしくも優しい性格の彼は社内でも社外でも有名だった。
 時々顔をあわせて会話することはあっても、ほんの束の間になってしまうことも多くて・・・。
 自分は『 その他大勢 』の一人でも良い。それでも傍に居たい・・・そう思った矢先の、彼からの告白だった。
 まさか私を選んてくれたなんて、最初は信じられなくて。夢じゃないかって思うくらい、本当に本当に嬉しかった。


 憧れるからこそ、趙雲と対等でいたい。
 『 お荷物 』じゃなくて、隣で手を繋げる『 ヒト 』でありたいの。






 だから・・・だから、私・・・。


















『 もう、いい・・・の気持ちは、わかった・・・ 』


















 ぷつり、と通話が切れた瞬間、私の瞳から一粒だけ涙が零れた。










「 ( こういう時、甘えられる『 女の子 』であればよかったのに・・・な ) 」


 ずっと憧れ、追いかけていた背中が立ち止まって。
 振り向いた彼の瞳が私を見つめてくれるだけで満足だと思ってた。なのに、幸せであればあるほど欲深くなる。
 次は甘えさせて、抱き締めて。大きなてのひらで、飽きるまで撫でていて。
 手を伸ばして縋ればいいのに、彼に失望されるのが怖くて、出しかけた手も引っ込めてしまう。
 趙雲の隣に立てる『 ヒト 』になるには・・・今の、弱いままの私じゃ、ダメなんだ・・・。


「 ( 趙雲に逢いたい。逢って、意地を張らずにちゃんと謝りたい ) 」


 台風のように轟々と吹き荒れる嵐のごとく、彼を求める気持ちが渦巻いていく。
 彼は・・・こんな嵐ではなくて、春に吹く清らかな風のような人だ。
 私を抱きしめていつも傍にいてくれる。飽きられたくない、捨てられたくない、もう、離れ、たくない・・・!


「 うっ・・・ふえ、っく・・・っ・・・ 」


 仰いでいた天井がじわりと滲む。照明の光が周囲の風景と交わるようにぼやけていった。
 ひとしずく零れ落ちれば、堰を切ったように涙が溢れた。
 それでも恋しい、逢いたくて堪らない。今すぐ逢いたいよ、趙雲・・・・・・。






















「    」






















 びく、と身体が震えた。突然のことに思わず涙が止まって、きょろきょろと辺りを見渡す。
 耳に入るのは相変わらず雨音だけ・・・なのに、私、どうしちゃったんだろう・・・。


「 ( 趙雲の・・・声が、聞こえた気がした ) 」


 そんな訳ないのに・・・と頭を振ろうとした瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
 悲鳴を上げそうになった口元を押さえて、恐る恐るソファから身体を起こす。
 壁にかけた時計の針はとうに25時を回っていた。
 一体、誰が・・・と脅える間もなく、何度も何度もドアを激しく叩かれた。
 混乱は最高潮を向かえ、警察へ電話しようと携帯電話を掴んだところで、今度はその携帯が激しく鳴る。
 着信相手も見ずに慌てて電話に出ると、凛とした声がパニックした脳内に冴え渡る。


『  』


「 ・・・・・・趙、雲? 」


『 今、お前の部屋の前にいる。開けてくれないか、思っていたより台風の雨風が酷くて・・・ 』


 ぷつり、と電話が切れて・・・私は慌てて玄関へと走っていった。
 本当に彼なのか確認もせずに鍵を解く。風が強いせいか扉は重く、簡単に動かなかったので身体ごと押した。
 その隙間から侵入してきたてのひらが扉の淵を掴む。
 するりと入ってきた長身。雨風が入らないよう、すぐに逆手のまま扉を閉めた。


「 ・・・趙雲・・・ 」


 全身ずぶ濡れで、足元にはその嵐の激しさを物語るように小さな水溜りが出来ていた。
 けれど、俯いていた顔を上げた彼は、いつものように優しい顔で微笑んでいた。
 漆黒の瞳が私を捉えて細められる。
 素早く伸ばした腕に有無を言わさず抱きすくめられ、彼の匂いに包まれた。


「 すまない、どうしても逢いたくなって・・・明日の朝まで待てなかったんだ 」
「 ・・・ど・・・どうして・・・私、あんなに酷いこと、言ったのに・・・ 」
「 逢いたかったから、だ。それだけだよ、 」


 信じられないものを見つめる私に、少し身体を離して、諭すように呟く彼。




「 貴女を愛している。だから来たんだ・・・それでは、理由にならないか? 」




 真摯な眼差しが私の心の奥を射抜く。全てを見透かされているようで、抗う気持ちなど沸かなかった。
 ・・・私・・・一番大切なことを忘れていた。


「 ( 私は、私は・・・彼に愛されている ) 」


 だから虚勢など張らなくても良い、彼が愛してくれた『 私 』を私自身も愛してあげなきゃ。
 憧れていた背中は振り向いて、優しく微笑む彼は私へと手を伸ばしている。
 必要なのは、その手をとる素直な気持ちだけ。
 それだけで趙雲は、これからもこんな私を受け止めてくれるだろう。




「 理由になるとかならないとか、そんなの関係ない・・・私だって、逢いたかった・・・!! 」




 零れる雫、ひとつひとつを拭うように彼の指が私の頬を撫でた。触れた指は冷たかったけれど心地良い。
 両手を伸ばして彼に抱きついた。驚いたのだろうか・・・一拍置いてから、彼の腕が私の背に回った。
 嗚咽し、泣きじゃくる私の耳元に、穏やかな調べが囁かれる。






「 私は貴女の『 恋人 』だ。のことなら何でもお見通しだよ。だからそんなに不安にならないで。
  少し意地っ張りで、甘え方を知らないところも・・・でもそれが貴女だ。私の好きになった、だ 」






 もっと『 貴女 』であることに自信を持って良いんだよ、と彼は笑った。


 そんな彼に私だって笑い返したかったのに、上手く表情が動かない。
 代わりに頬をすり寄せる。趙雲の顔も身体も、しっとりと雨に濡れていた。
 雨の雫と私の涙が混ざって雫になり、顎先から落ちる。


 ・・・このまま・・・溶けてしまえばいいのに。ひとつになってもう二度と離れたくない・・・でも・・・。




「 ( 私たちは『 二人 』だからこそ・・・お互いを好きになって、愛し合えるのよね ) 」




 私は貴方の背中を追って、隣に並んで、手を繋いで歩きたい・・・ずっと、笑い合いながら。
 身体を離して彼を正面から見据えると、ようやく微笑むことができた。












「 趙雲・・・大好きよ、どうかこれからも傍にいてね 」
「 それはこちらの台詞だ。以外、隣に置く気は無いからな・・・むしろ覚悟しておくと良い 」












 そっと近づく唇の予感に・・・私は静かに瞳を閉じる。


 煩かったはずの雨音が、まるで演奏を終えたコンサートホールに響く拍手喝采のように聞こえた。






願わくは永遠に似た



( いつの日にも手を繋いで、顔を上げて、2人で未来を目指そう )




Title:"loca"
Material:"月影ロジック"