「 ( キャーキャーキャー!! ) 」






 縁側からある程度離れると、もう我慢できなくてバタバタと音を立てて走り出す。
 こんなところ見られたら、行儀作法の先生から絶対怒られそうな歩き方。
 ・・・だけどもう、そんなことを気にしていられない!それどころじゃ、ないんだものっ!!
 厨房へと続く渡り廊下を走って一つめの角を曲がると、途端に座り込む。
 通りかかった侍女がぎょっとして、大丈夫でございますかさま、と声をかけてくれた。
 はっと気づくと数度頷いて、愛想笑いで誤魔化せば、不思議な顔をしつつも彼女は会釈してその場を去った。


「 ( だ・・・大丈夫じゃ、ないです・・・ ) 」




 どちらかというと、もう倒れそうです・・・えーん。




 心の中だけじゃなくて、本当に泣き出しそうになるのを必死に堪えて、頬を両手で叩く。
 ・・・ダメダメ、こんなことで動揺してどうするのよ。
 これからだって、こんな風に『 同じようなこと 』があるかもしれないんだから。
 しばらく瞳を瞑ったまま気合を注入していたので、誰かの影がすぐ傍にあったなんてまるで気づかなかった。
 ぺち、と最後の一回を叩き終わって瞳を開ける。手元の暗さにふと顔を上げると・・・。


「 あんまり叩くと、ほっぺた腫れちゃうよ? 」
「 う、わ、わわッ!!さささ、さす、佐助さんッ!! 」


 驚きに背筋が伸びた。はわわわと口を開いて固まった私を面白そうに見ていて、にやりと笑った。
 佐助さんは忍者だから、あの、当たり前なんだろうけど・・・突然現れるから、いつもびっくりするんです!
 本当は普通に、わ、わざとじゃないのよね、反応が面白いからとかそーいうんじゃ・・・。


「 わざとだよ。だってちゃんの反応、とっても面白いんだもの 」
「 なっ・・・! 」
「 ちなみに顔に全部出てるよ、感情が 」


 警戒した私の頬をつまんだ指先は、気持ち良いほど冷たい。
 からかわれたのが悔しくて、佐助さんに掴みかかってみるけれど当然当たるはずもない。
 届かない拳がぶんぶんと唸りながら、宙を空回り。
 それを眺めていた彼はけたけたと笑うと、ちゃんってさ、と呟いた。


「 ちゃんってさ、素直で可愛くてホントまだ『 女の子 』なんだなあ。
  そうやってすぐ顔に出ちゃうのに、気づいてないのは本人と旦那だけなんだもんな 」


 旦那、と彼が呼ぶのは・・・私の夫である、幸村さま。
 私がこうやって顔を赤らめて、衝動のままみっともなく暴れてしまう原因は彼にある。
 幸村さまの話題になっただけで、鼓動が高鳴る。そして・・・項垂れた。


「 え、どしたの、ちゃん 」
「 だって・・・だって、さっき私、私ったら 」


 幸村さまは、その・・・女の人が苦手なのに。思わず抱きつこうとしちゃっただなんて。
 ただでさえ、そんなの『 今の時代に生きる女性としてあるまじき行為 』。
 幸村さまじゃなくても、嫌われてしまうだろう。


 だから・・・いつぞやみたいに振り払われるのは当然だって思うのよ、本当は。
 どう考えたって私の方が悪いんだもの。こんなこと思ってしまうのは見当違いだって・・・だけど。


「 ( ・・・だけど・・・あれはちょっと、傷ついた・・・ ) 」


 佐助さんに抱きかかえられた時に、見つめられた幸村さまの瞳。
 多分思った以上に力が入ってしまったのだろう、純粋に驚いていた。
 そして振り払った私に対して、悪いことをしてしまった、という後悔の念。
 色んな感情が渦巻いた『 色 』をしていた・・・だから今度は私が、青褪める。


  「 ( ・・・私、 ) 」




 私、幸村さまにそんな表情してほしかったわけじゃない。




 彼は情熱の塊のような人だ。戦場に出れば、その魂の真髄が具現化するという。
 戦場についていったことはないから、真偽の程はわからないけれど・・・。
 館で過ごす彼を見守れば、その表情はいつも穏やかで、色んな人に好かれ、慕われているように思える。
 朗らかに笑い、熱く語り、日々精進と鍛錬は欠かさない。
 とっ、時々、お館様に投げ飛ばされたり殴り返してたりして佐助さんに呆れられてたりするけれどっ!




 どんな幸村さまも『 幸村さま 』だから・・・結婚が決まる前と同じ気持ちで、ずっと恋してる。












 それはもう、随分前のこと。
 戦場で手柄を立てた兵士たちが、夕暮れの中を行列を成して帰って来た。
 とても小さかったが『 武家 』に生まれた私は、父親の姿を探して行列を追った。
 その行列の中で・・・父親よりも先に私の目を捉えた、一際輝く若武者の姿。


 一瞬で恋に堕ちるって、きっとこのこと。


 何の因果か、そんな幸村さまの妻になれる日が来ようとは、夢にも思わなかったけれど。












 ・・・だから私、幸村さまの『 お荷物 』になりたくない。
 本当はいつでも凛として、何事にも動じないような、そんな強い女性になりたいと思うのに。






「 ( そうしたら、いつか幸村さまも振り返ってくれるかも ) 」
















 なんて都合の良い・・・甘い期待をしてしまうから、願いは叶わないのかもしれない。
















「 ・・・・・・・・・? 」


 急に黙り込んだ私の頭を、佐助さんの大きな掌がすっぽり覆った。
 疑問符をいっぱい浮かべた私におかまいなく、何かを悟ったかのように一人頷いている。


「 佐助さん・・・?? 」
「 うんうん、やっぱ俺様、ひと肌脱ぐわ。ちゃんと旦那のためにさ 」
「 えええええッ!?ひ、ひと肌・・・って!? 」
「 ・・・あのね、着物を脱ぐってことじゃないのよ、一応言っておくけど 」
「 そ、そのくらいわかってますっ!! 」


 えー、ホント?とどこかおちょくるような視線に、ぷうと頬を膨らませた。
 けれど、その瞳がふっと柔らかくなる。急に真面目なるものだから、私の怒気も徐々に萎れていく。


「 いいんだよ、もっと頼っても。ちゃんも旦那も優しいから、自分で何とかしようと思うかもしれないけど 」


 ・・・ずるいよ、佐助さん。そんな目、しないで( 思わず縋ってしまいそうになるか、ら )
 彼の気遣うような声音にふと涙ぐんでしまう。俯いた私の顔を覗き込むように、佐助さんは首を傾げた。


「 ちゃんはさ、旦那のこと、好き? 」


 もちろん、とばかりに勢い良く頷けば、何だか頬が熱くなってきた。
 幸村さまのこと、好きよ。でも幸村さまは・・・絶対に私のこと、嫌い、なんだと思う。
 女性が苦手だと伺って入るけれど、きっとそれだけじゃない。
 そうじゃなきゃ・・・私は妻になっても、いつまでも清い身体のままなワケ、ないんだ。
 この気持ちを伝えることも、この距離が縮まることもない。その事実がずっと私を苦しめている。
 ・・・だけど・・・だけど、どうしたらいいと言うの・・・。


「 2人に足りないのは、お互いの領域に踏み込む『 切欠 』と『 勇気 』なんだよ 」
「 切欠と勇、気・・・? 」
「 俺様は旦那の忍で、もちろん主は大事だ。だけど同じくらい奥方であるちゃんのことも大切だよ。
  2人が仲良くしてくれたら俺様はもっと嬉しい。だからひと肌脱がせてよ 」


 今にも零れんばかりに浮かべていた涙は、彼の指に掬われる。
 私を映した佐助さんの瞳が、少しだけ細められた。弧を描く口元に見惚れていると、別れの言葉を象る。
 返事を返す間もなく、彼の姿は掻き消える。取り残された私は、しばらく放心したように動けずに居た。


「 ( ・・・佐助さん・・・ ) 」


 佐助さんの気遣いは嬉しい。優秀な忍に任せていれば、幸村さまは振り向いてくれるのかな・・・?
 でもそれじゃ何も解決しないって自分でもわかってるから、素直に甘えることも出来ない。


 私はそっと両手で視界を覆う。瞼の裏から消えない幸村さまの姿・・・大丈夫、まだ大丈夫。
 嫌われてていても『 此処 』に彼の影があれば、私は『 何でもないフリ 』を続けられる。
 幾度もかけてきた暗示を繰り返せば、何かがすうっと醒めていく。心の中を白い霞が覆っていくよう。




 ・・・見たくない現実なら、見なければいい。彼の心は、私なんかじゃ計れない。








「 ( 一番近くにいたいのに、一番遠い、私、じゃ・・・ ) 」








 次に瞳を開けば・・・ようやく、現実に戻ってこれたみたい。
 並んだ足の指先が目に入る。ぐ、と力を入れて立ち上がった・・・そうだ、お団子用意しないと。
 端から見れば、厨房に向かって凛と歩く自分の姿は、先程の動揺した様子が嘘のようだろう。
 忍者の佐助さんのように、紅葉が舞う廊下から音も無く私も消えた。








 座り込んでいた場所には・・・純粋に彼を求める心の欠片だけがひとしずく、置き去りにされていた。










ねがいごとを飲み干すの



( こんなに苦しくても幸村さまを好きになることを止められない、こんな自分が・・・嫌いで、仕方ない )






Title:"春告げチーリン"