危ないッ!!という声がして、幸村は我に返る。
眼前まで迫った大きな柱。木目まではっきりと確認できるまで迫っていても、気づかなかった。
無意識に呑んでいた息を・・・ゆっくり吐き出しながら、数歩下がる。
「 大丈夫ですか?幸村さま 」
「 か・・・たじけない、殿 」
後から追ってきた彼女が、どういたしまして、と笑う。
その微笑みにほっと肩の力を抜いて、彼女が抱える籠に目がいく。
は幸村の兄・信之に仕えている。だが侍女ではなく、女だてらに小姓に近い役目を担っていた。
なのに、どうして洗濯物を抱えているのか・・・と幸村が不思議な顔をしていれば。
すぐに視線に気づいたが、ああ、これは、と籠を揺らした。
「 信之さまがご来客で席を外されているので、私は洗濯物でも干して暇を潰そうかなって 」
「 洗濯物・・・殿、干せるのか? 」
「 父曰く、ワシにとっては小姓紛いの者ではなく只の小娘、だそうなので。家に居る時は家事もしますよ 」
「 ・・・見てても、よいでござるか?? 」
「 何をですか? 」
「 殿が洗濯物を干す、後姿を 」
幸村は、あ、とすぐさま後悔する。つい思ったことを口に出してしまったけれど、迷惑だったのではないか。
相手は仕事をしようとしているのに、考えも無しに自分がついていっては邪魔になるのでは・・・。
彼女に・・・邪険にされることほど傷つくことはない、と幸村がこっそり落ち込む。
けれど特に気にした様子もなく、彼女は頷いた。どうぞ、と笑った背中を幸村は嬉しそうについて行く。
背後で瞳を輝かせる様子に、はこっそり苦笑した。
「 ( きっと信之さまにもこんな頃があったんだろうな )」
自分のひとつ年下には思えない、真田家の可愛い若虎。
幸村が子供じみているのか、それとも自分が背伸びしているのかわからないが、年が近いようには見えまい。
女は苦手だと豪語する幸村なのに、信之に仕えているせいかには不思議と懐いてくれた。
背丈や体格などは年を重ねるごとに追い越されていったが、重ねた分だけと幸村は仲良くなった。
彼が『 個人 』の能力を認めると、周囲から子供だと女だと馬鹿にされることもなくなった。
真田家の次期当主とその弟に好かれ、恐れ多いと思う反面・・・は素直に嬉しく思う。
竿のかかった庭へと降りると、幸村は軒先にちょこんと座って、黙っての後姿を見守っていた。
「 殿は・・・器用でござるな 」
家事に疎い自分でも解る。手際よく、効率よく干され、あっという間に陽の下で風に揺れる洗濯物。
感嘆の溜め息が零れた彼の隣に、空になった籠を抱えたが座った。
「 私ももう18歳。今は信之さまの元で勉強できても・・・いつかは、嫁に出されるでしょうから 」
はいつものように笑ったが・・・そのまま顔を曇らせる。
嫁、とオウム返しに呟いた幸村に、曇りを払拭するかのように、彼女が笑いかけた。
「 幸村さまだって、そのうち可愛い奥様をお迎えするんですよ。愛し、愛されて、幸せな家庭を築いて・・・ 」
「 そっ・・・某は・・・そ、れがしは・・・ 」
大袈裟なほどびくりと肩を震わせて、今度は彼が俯く。小さくなっていった呟きは、そのまま消えてしまった。
隣に座ったが覗き込んでも、頑なに顔を上げない。幸村の拳がぎゅっと固くなった。
急にどうしたのだろう、とが首を傾げていると、近づいてくる足音に振り向いた。
幸村は弾かれたように顔を上げ、近くの部屋に慌てて入っていく。
障子を締め切り、影が映らないよう身を低くしたのがわかった。幸村さま?と声をかけようとしたが、
「 、ここにいたか 」
やってきたのは信之だった。は姿勢を正し、頭を下げた。
「 幸村を見なかったか?あやつ、自分への客人のくせに席を放って逃げおった 」
「 まあ・・・本当は、幸村さまへのご来客だったのですね 」
彼が席を放り出すほどの来客とは、一体どんな方だったのだろう・・・。
そんな無礼は躾けられているはずないし、幸村は元々礼儀を重んじる人だと思っていたのに。
はちらりと障子の向こうに視線を投げる。2人の会話に動揺したのに、かた、と物音がした。
信之は部屋の向こうの気配などとうに悟っていたのだろう。こほん、と咳払いをすると
「 とにかく!相手の姫さまには帰っていただくが、真田家を考えれば良い縁組なのだから考えておくように! 」
がたたっ!と障子が揺れ、信之とは吹き出しそうになるのを必死に回避する。
「 あやつももう子供ではないのに。戦果を上げる以上に、いい加減自覚しろというのだ 」
「 そうですね、真田を担うご子息であるならば、お家を存続させる立場を・・・ 」
「 いや、そうではなくてあやつはお前のこと・・・ああ、子供が2人では面倒くさいな 」
疑問符を浮かべたに溜め息一つ吐き、あとはよろしく、と耳打ちして信之は去る。
は、と答えたものの・・・どうすれば良いのか見当つかなかったが・・・。
どうやら、彼が出逢った時に非常にぼんやりしていたのは縁談を持ちかけられたからだ、ということはわかった。
信之の背が完全に消えたのを見計らって、は幸村を呼んだ。恐る恐る、といった様子で障子が開く。
兄様は?と尋ねる声に、もういらっしゃいませんよ、と答えるとようやく幸村が顔を覗かせた。
辺りを見渡し、その言葉が真実かを自分で確かめると、大きな身体を丸めての隣へと戻る。
「 良いご縁組だと信之さまは仰っていましたよ? 」
「 ・・・結婚など、早すぎる。そ、それに恋など、某にはっ、わからぬ 」
「 幸村さまも真田家を担うお一人。いつかは結婚せねばなりませんのは、お分かりでしょう 」
「 け、けれどッ!結婚とは・・・殿が言ったように・・・ 」
「 ・・・・・・私?? 」
愛し、愛される関係を築くこと。
きょとんとなったの隣で、幸村が真っ赤になって俯く。
ああ、しまった、自分の言葉が原因だったか・・・?は、幸村をじっと見守った。
極端に奥手に育ってしまった彼に、いきなり女を愛せとは無理な話であったか。
「 例えば・・・幸村さまは佐助殿のこと好きでしょう?喧嘩もしますが、結局使命以上の部分ってありますよね 」
「 勿論!佐助は部下だが、それ以上に親友でござるっ 」
「 それと同じです。夫婦と受け入れるのがすぐには難しくても、一緒にいれば沸く情もありましょう 」
言葉を選んで話したつもりだった。だって一歩間違えば、素直な幸村はすぐに影響されてしまうだろうから。
( そして、それこそが彼の最大の魅力だとは思っている )
しばらく考えた末に幸村は、では、と言葉を紡ぐ。
「 某には、既に・・・一緒に、長く居たいと思う女子がおりまする 」
真っ直ぐ見つめてくる幸村に、あら、何も問題ないじゃない・・・と心弾ませるだったが。
その視線が熱を帯びていることに気づいたのは、彼が伸ばした手に触れられてからだった。
触れる指先が、熱い。それもそのはず、目の前の幸村は真っ赤になっている。
だけど・・・自分だって負けていない。
「 ・・・・・・ゆ、 」
「 今までも長い間ともに過ごしてきた。そして、これからも変わらず側にいて欲しいと思うのでござる。
恋だと、この気持ちが恋だというなら・・・殿の言うような関係を築けるかも知れませぬ 」
無意識に距離をとろうとしたの手を、もう片方の幸村の手が捕まえた。
奥手・・・どころか、素直すぎて猪突猛進なのはどうかと思う・・・と冷静に判断した結果。
はその手を振り払おうとしたのに動けずにいた。それは力の差、なんかではなく。
「 殿 」
『 好き 』などと告げる間もなく、2人はお互いの唇に吸い付くようにして重ねた。
一度離れるが、また求めるように。そうして何度も繰り返すうちに、脳内が甘く痺れていく。
幸い、他人が近寄る気配もなかったため誰にも邪魔されず、二人は互いの熱に酔いしれた。
溜め息にも似た吐息が漏れて、幸村とは額をこつり、と合わせる。
少しだけ眉間に寄せた皺も、上気して桃色に染まった彼女の頬も、熱烈な口づけに応えた濡れた唇も。
すべてが、いとおしい・・・こっそり薄目を開いて見つめる幸村。感無量とばかりに唇が動いた。
「 ・・・お慕いして、おり申す 」
信之の隣で、控えめな物腰で座している姿も。女のくせに、と悪口が聞こえても凛と背筋を伸ばしている姿も。
化粧をして着飾る女子とは違う・・・憧れであり、尊敬の対象であり、幸村が唯一心を許せる女性であった。
愛し、愛される家庭を築くなら、彼女がいいと思うのだ。
「 ・・・わ・・・私は・・・ 」
「 すぐにお返事をいただこうとは、思っておりませぬ。某も、自分の気持ちを今悟った故 」
「 そ、れは・・・恐縮です・・・ 」
再び迫る顔に、は恥ずかしそうに肩を竦めた。その肩をそっと引き寄せる。
も恥ずかしそうに、幸村の胸に顔を埋めて瞳を閉じた。
「 ( ど・・・どうし、よ・・・ ) 」
どうしよう、どうしよう・・・もう隠せない。目覚めてしまった芽は、あっという間に伸びていく。
年下の子供だと思っていたいたのに、自分を抱き締める腕は武人のもので改めて彼を意識してしまう。
力強い両腕。どんな罵詈雑言にも耐えてきた身体が、抱き締められるだけで『 女 』の自分に戻ってしまう。
( だけど・・・その呪文を唱えられるのは、きっと幸村さまだけなんだ・・・ )
何処も彼処も、いとおしい。それは相手が幸村で、であるからが故。
ようやくその意味を・・・お互いに悟ったのである。
思いがけず恋
( これが恋なんだって自覚すれば、堕ちるのはとても簡単なことでした )
Title:"TigerLily"
Material:"ふるるか"
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