破廉恥、というのは何処が境界線なのであろうか。
そういつも叫んでいるのは自分のはずなのに、何処が、と問うてみたところで答えは出ない。
自問自答している間も、某の手は殿と繋がれている。
・・・いや、触れているだけ、という表現が正しいか。
私が持ちます!いや某が!と散々争った結果・・・一本の傘の柄を持つ、二人の手。
その手の向こう側から、殿が大きな瞳を某に向けた。
「 あの、幸村さま 」
「 な、何でしょうか、殿 」
「 もう、またそのように敬語を使わなくてもよろしいのに。私はただの侍女でございますので 」
「 も・・・申し訳ござらぬ、癖のようなものでして 」
「 お気遣いいただくのは嬉しいのですが、お館様に叱られてしまいますわ。
客人に、一介の侍女ふぜいが何か無礼を働いているから、幸村さまが気を遣わざるをえないのだと 」
「 そ、それは某も困りま・・・困、る!いつも・・・甲斐を訪れる度に、殿が配慮してくれるからこそ。
某や真田の者たちが、自分の屋敷と同じくらい此処で居心地良く過ごせるのでござる 」
「 まあ・・・お褒め頂きまして、ありがとうございます、幸村さま 」
くすくすと微笑んだ彼女の頬が、薄っすらと桃色に色づく。
周囲はこれ以上にないくらい冷えているのに、そんな様子を見るだけで、身体の熱が上昇する。
それを悟られたくなくて・・・某は、ふいと視線を逸らした。
単身、賑わう麓の街まで降りていたが、突然の雪に露店の大半が店を畳んだしまった。
目的は既に果たした後だった。
今は、武田の屋敷まで続く静かな帰途で、傘を持って迎えに来てくれた殿と歩いている。
高い木々に囲まれた徒歩用の小道は、悪天候のせいもあってか、某たち以外に歩んでいる者はいなかった。
深々と降り積もっていく真新しい雪の上を、二人の草履が踏み荒らしていく。
彼女の小さな草履より、一回り大きな足跡が某の、だ。
寄り添うように並んでついていく跡は、時間が経てば降り積もる雪に埋まってしまうだろう。
それは・・・いつまで経っても縮まることの無い、某と殿の心の距離のようだと思った。
もう、彼女とこうして話すように随分経つというのに。
侍女としての彼女への『 尊敬 』の念が、殿自身への『 恋心 』に変わるくらい。
こうして傘を持っていても、触れた部分がとても・・・熱い。
恥ずかしい、離れたい、でも離したくない。どうしたらいいのか冷静に考えたいのに、鼓動ばかり煩い。
意識しているのは、悲しいかな某だけか。彼女は顔色ひとつ変えない。
振り向かせたくとも、某には・・・あと、一歩を踏み出す勇気が無い。
・・・だから。
「 あの、幸村さま 」
「 な、何でしょ・・・あろうか、殿 」
「 傘。重くないですか?やっぱり、私がお持ちいたしますから 」
「 某は武人。むしろ女性に重いものを持たせることこそ、男としては恥でござる 」
「 でも、幸村さまは武田家の客人でございます。もてなすのは、侍女として当然・・・ 」
「 殿!! 」
「 は・・・はいッ!! 」
彼女の背筋がぴんと伸びる。
お互いに意地を張って、二人で持っていた傘の柄を持つ手に、ぎゅっと力が篭った。
彼女が握っていた柄のすぐ下に、某の手があった・・・が、傘の柄から一瞬放す。
そして、そのまま殿の手に、自分のを重ねた。
殿が、信じられないものを見るような目つきでその光景を見守っていた。
やがて、耳元まで真っ赤に染め、おずおずと某へと視線を移す。
「 あ・・・あの、ゆ、ゆき、幸村・・・さま 」
「 何であろうか、殿 」
「 ・・・・・・いえ 」
何でも、ありません・・・と呟いた声は、雪が降り積もる音よりも小さく、儚かった。
僅かでも優位に立てたことが、嬉しくて( この辺りが子供だということは、重々承知している )
某は反対の手に持っていたものを、彼女の眼前で広げて見せた。
「 殿・・・これを、そなたに 」
間もなく雪が降って、屋敷までの道程が雪に埋まるであろうことは、とうに解っていた。
だけど・・・どうしても、彼女に渡したいものがあって街まで出た。
( さすがに、当の本人に迎えに来てもらうことは、想定外だったが・・・ )
「 え、私に、ですかっ!? 」
「 左様。京の都で流行っている髪飾りなのだと、佐助に教えてもらったのだ。
そっ、某はこういうことに疎い故・・・慌てて、買い求める結果になったが・・・ 」
言われてみて初めて、何人かの侍女がつけているのに気づいた。
そうか、その髪飾りというのは流行なのだろうな・・・と納得した。
・・・が、ふと、殿がつけているところは、見覚えが無い。
彼女は武田の侍女の中でも、客人をもてなすという役割を担う、特別忙しい身の上だ。
もしかしたら、買い求める暇さえないのかもしれない。
・・・そう思い立ったら、我慢できなくなった。
彼女自身が買い求める前に、誰かが彼女に送る前に・・・どうしても、自分で送りたくなった。
某の贈り物に、喜んでくれたら。想像するだけで、頬が緩む。
色恋沙汰が苦手な某には、このような方法でしか・・・殿を喜ばせる方法が思いつかなかった。
「 ・・・綺麗 」
躊躇いながら受け取ったそれに、殿が感嘆の溜め息を零す。
大切そうに一度手で包み込むと、片手で器用に自分の髪に挿した。
「 あの・・・幸村さま 」
「 何であろうか、殿 」
「 ありがとうございます・・・とっても、嬉しいです 」
「 ・・・よく、似合うておりますぞ 」
「 そ、そうですか・・・え、へへ・・・ 」
殿は照れたように頬をかいて、嬉しそうに微笑んだ。
・・・ああ、これだ。この笑顔を、某は見たかったのでござる( ほら、頬が緩んできた )
高鳴る鼓動に、柄を持つ手に自然と力が入った。彼女が、ふと顔を上げる。
羞恥にか、少しだけ熱を含んだ眼差しは、某が想像した以上に・・・愛らしくて。
「 ・・・あの・・・幸村、さ、ま・・・? 」
破廉恥、というのは何処が境界線なのであろうか。
・・・この気持ちは、破廉恥なのか。
もっと、もっと彼女に触れたいと思ってる某は・・・破廉恥な男、なのか。
だとしたら・・・彼女を前にすると、某はその境を越えてばかりいる。
自分の定めた境界線など、肝心な時には何も役に立たぬ。
名前を呼んで欲しい、笑って欲しい、想って欲しい・・・彼女が、恋しい。
殿を手にいられるのなら・・・この真田幸村、何と罵られようとも、構わぬ・・・。
至近距離まで迫った顔に、彼女は慌てたように身を捩るが、片手はとうに柄ごと捕らえられている。
( そしてその手を、某が離すわけが無い )
やがて・・・殿が、観念したように身体を強張らせた。ぎゅ、っと瞑った瞳の睫の、それは長いこと。
その影も見えなくなるくらい顔を近づけて、某も・・・殿に倣って、目を瞑る。
雪を踏む音が止み、代わりに・・・二人を隠した傘から雪が落ち、視界を白く染めた。
重くなるとも
持つ手は二人
かさに降れ降れ夜の雪
( 屋敷に着くまでの道程が、今日、今ほど長ければいいと思った日はない )
蜜豆あこ様の企画に献上させていただきました☆