突然の豪雨だった。




「 きゃ・・・っ!! 」


 強く光った曇り空に、身体を竦める。
 ポツ、ポツ、と掌に当たった雫が雨だとわかると同時に、勢い良く降り始めた。
 人々は、まばらに一時の宿を探して、散り散りに駆けて行く。
 遅れて私も、辺りを見渡して・・・・・・と。


「 ( あった! ) 」


 シャッターの下りた洋菓子店の、丸くなった軒下。
 道路の水溜りも気にせず、一直線に目指す。
 体当たりするように駆け込む。上がった息が苦しかった。


「 大丈夫?おねーさん 」


 誰もいない、と思った軒下だったのに。
 いつの間にか現れた隣人の心配そうな声に、私は答える。


「 あ・・・ハイ、平気です。お騒がせしてすみません 」
「 いや、俺は構わないんだけど 」


 視界に映った『黒』を見上げる。
 白い手袋から覗いた、浅黒い肌。対照的に真っ白なシャツ。
 首筋に散った、漆黒の髪。琥珀色の、金の瞳。
 見事なコントラストに見惚れていると、かの人が振り向いた。
 急に恥ずかしくなって、慌てて顔を背ける。


「 す・・・凄い雨ですね 」
「 そうだな。珍しいんじゃない?この辺の土地にしては 」
「 この辺りにお住まいの方なんですか? 」


 いや・・・と彼は否定して、シャッターを軽く小突いた。
 振動に、飾ってあった『定休日』の札が、左右に揺れる。


「 ココのケーキが好きな奴がいてね、遠くから買いに来たんだけどさ 」
「 ・・・恋人さんに、ですか? 」


 一瞬、呆気にとられた顔して・・・クツクツと笑った。


「 残念ながら、小さなオンナノコでね 」
「 え、あっ!す・・・すみません!! 」


 悪気がないとはいえ、我ながら失礼なことを言ったものだ、と
 自己嫌悪に陥る私の肩を、ポン、と叩く手があった。
 顔を上げると、隣の彼がにっこりと微笑んでいた。


「 ・・・あれ・・・?? 」










 前にも・・・この微笑みを、見たことがなかった・・・?






 記憶が揺らぐ。過去を遡る
 どこ、どこだっけ??どの扉に、隠されている?


 ちらついた残像を掴もうとして・・・手を伸ばした、瞬、間










 「 ・・・・・・っっ!? 」


 背筋を襲った、強烈な悪寒。
 足の裏から頭の天辺まで、物凄い速さで駆け抜けると。
 私の身体が、突然、震えだした。


「 ・・・は、っ・・・ 」
「 お、おい。急にどうした?? 」
「 い・・・いえ、ダイジョ、ブ・・・です 」


 耐え切れず、私はその場にしゃがみ込んだ。
 ガチガチと鳴る奥歯。両腕で身体を抱き締める。
 細胞のひとつひとつが、悲鳴を上げているみたい。




 ・・・まるで、何かに・・・怯えてい、る・・・?




「 大丈夫なワケないだろ・・・ホラ 」


 バササ・・・ッ


 大きな布地の音がして、ふわりと私に舞い落ちる。
 それは、彼の着ていた『黒』いジャケットだった。
 驚いて見上げると、彼が慣れた様でウィンクする。


「 春とはいえ、この雨だからな。急に身体が冷えてきたんだろ 」


 そう言って、青くなった私をぎゅっと抱き締めた。
 ・・・お・・・男の人に、こ、こんなことをされたのは初めてで・・・っ!!
 振り解こうともがいたけれど・・・彼は離す気など、更々ないらしい。


「 ( ・・・あ ) 」


 鼻をくすぐる、紫煙の匂い。
 ジャケットからなのか、頬を埋める彼の身体からなのか、わからない。
 朧げになっていく思考。だんだん、彼の温度に包まれていく気がして・・・。
 私は・・・・・・瞳を閉じた。


「 ・・・残念だけど、お別れの時間のようだ 」


 囁かれた言葉に、顔を上げた。


「 迎えが来た。君を探している 」


 耳を澄ませば・・・確かに、雨音に混じって、私を呼ぶ声がする。
 彼はすっと身体を離して、シルクハットを軽く傾けた。


「 ちぇ、折角いいところだったのになぁ。また改めて、な・・・ 」
「 ・・・え、っ 」




 どうして・・・私の名前、を!?




 疑問を口にしようとした瞬間、彼は、雨の中に・・・消えた。
 世界を激しく打つ雨音が、再び怒号のように鼓膜を揺らす。
 呆然とした私の元へ・・・足音が近づいてきた。


「 おい、! 」
「 ・・・か・・・んだ 」
「 ったく・・・探したぞ、なかなか戻って来ねぇから 」


 はぁ、と息を吐いた神田は、滴り落ちる雫を拭う。
 そして・・・微動だにしない私に、語りかけた。


「 ・・・おい、どうした 」
「 あのね・・・神田、あの・・・ 」


 ほんの数分の、その出来事を、わずかでも彼に伝えたかったけれど。
 色んなことがぐちゃぐちゃに混ざっていて・・・上手く表現できなかった。


「 何でも・・・ない 」
「 ・・・ちっ、行くぞ 」


 神田は私の手をとると、小雨になった街を駆けた。
 陽の差し出した空は、まもなく晴れていくだろう。
 雨粒のなごりが、肩を濡らす。私は、そっと触れた。






 ・・・気がつけば、肩にかけられたジャケットも消えていた






 なのに・・・どうして、だろう・・・















 紫煙の匂いと、彼の温度だけが・・・永遠に、ココロの底で燻っていた











雨の温度




( 幻影、というには、あまりにも鮮明すぎて )




Title:"TV"