「 お身体の具合はいかですか、半兵衛様 」






 彼女は、部屋に入る時に必ずそう尋ねる。
 襖を音もなく静かに開けて、膝を少しだけ上げて移動すると、また静かに両手で閉める。
 そして向けていた背中をくるりと反転させて、両手をそっと畳の上に付けて、伏せる・・・。
 流れるような一連の動きを見ているだけで、僕はほう・・・と息を吐いて、見惚れる。


「 相変わらず、だよ・・・ 」
「 左様でございますか。でもお医者様のお話では、日々、快方に向かっているそうです 」
「 ・・・そうかな。自分じゃ、そうは思わないけれど 」


 ちら、と枕元に置かれた盆を見る。盆の上には愛用の湯呑みと、薬が乗っている。
 良薬苦し、とは言うけれど、これはちょっと尋常ではない。
 もう飲みなれたから、何とか喉の奥に流し込めているけど・・・と、少し笑う。
 そんな僕の様子を見て、が緊張を解いたかのように、彼女も頬を緩めた。
 ごそごそと帯の間に指を入れて、何やら探る様子。
 一体、何を・・・と思っていると、あった!とが嬉しそうな声を上げた。


「 これは・・・? 」


 帯の間から取り出した、小さな紙の包み。
 それを広げて、温かな彼女の手が私の手を掴んで、広げてください、と言う。
 の言うとおり、掌を広げたそこに、細い指先が摘んだものを乗せる。
 琥珀色に光った、小さなそれは・・・。


「 飴です。半兵衛様、お嫌いでしたか? 」
「 いや・・・けれど、どうしたんだい、これ 」
「 苦いお薬ばかりだと、お辛いかなと思いまして。
  甘いものを、お医者様に止められているわけでもございませんし・・・ 」


 彼女は、うふふ、と口元を押さえて笑った。
 早く食べて、感想を聞かせて欲しいのだろう。が瞳を輝かせて、僕の反応を待っている。
 ・・・こういう期待には、応えたくないんだけどな・・・もちろん、わざとだけど。


「 ・・・美味しい・・・ 」


 放り込んだ飴は、予想以上に美味しくて。
 思わず零れた一言に、が満面の笑みを浮かべる。
 知り合いの菓子職人さんにもらったんです、と言って、嬉しそうに頬を染める。


「 よかったです、気に入ってもらえて! 」
「 ・・・は、これ、もう食べたのかい? 」
「 いいえ、まずは半兵衛様に食べてもらいたかったんです 」


 にこ、と笑った。花が咲き誇るように、ふんわりと笑う。
 その優しい気遣いと・・・彼女の笑顔が、眩しくて。
 手元に引き寄せるように、飴を乗せた手を引き寄せた。きゃ、と小さな悲鳴が耳を突く。
 彼女の身体が、飛び込んできた。それを受け止めるくらいの体力は、まだ僕の中に残っていたから。
 抱き締めて、そのまま有無を言わさずの顎を持ち上げて・・・吸いつく。


「 ・・・・・・、ん、うっ・・・!! 」


 ぎゅ、と彼女の手が、僕の胸元を握った。
 身体を氷のように固まらせて、それでも懸命に・・・この事態に応対しようという姿勢が、愛らしい。
 苦笑すれば、彼女は機嫌を損ねるだろうから。それを堪えて『 悪戯 』を続ける。
 掻き回した口内に、舌に乗せた飴の欠片を放り込む。
 閉じていたの瞳が、驚いたように見開いて・・・薄目で見ていた僕の視線とぶつかる。


「 ( ここまでかな・・・ ) 」


 仕方ないな・・・開放してあげるか。
 最後にもう一度。味わうように唇を音と立てて吸い上げ、そっと開放する。
 今の今まで、繋がっていた・・・その、証。彼女の唇と、僕の唇を繋ぐ銀糸が、ぷつりと音も無く切れた。
 真っ赤な顔をして、恥ずかしさに、今にも泣いてしまいそうな表情な


「 は・・・はんべ、さま・・・ 」
「 ふふ、そんな非難めいた目で見ないでくれたまえ。あまりに貴女が可愛らしくて、ね 」
「 もう・・・心配したのに!こんなお仕置き、酷いです 」


 せめてもの牽制というワケか。ぷい、と横を向いたが、その顔の熱はまだ醒めない。
 ・・・ここは謝っておかないと、拗ねられて足が遠ざかっては、僕が困る。
 ヒトの心も、戦略と同じ。
 豊臣軍師として、上手な駆け引きを展開しようと思うのに『 彼女 』相手だと、どうも上手くいかないな。
 ( 何故なら、そこには僕の『 感情 』が入ってしまうからだ、とわかってはいたけれど )
 真っ赤に熟れた頬に手を添えて、わずかに力を込めれば、観念したようにがこちらを向いた。
 恥ずかしそうに、一度俯いて。潤んだ瞳で、ゆっくりと僕を見上げる。
 上向きな視線に、もう一回『 意地悪 』をしてやりたい気分になったが・・・それは、我慢することにした。


「 すまなかった、・・・愛しているよ 」
「 ・・・ずるいです。そんなこと言われたら、何も言えなくなっちゃうじゃないですか・・・ 」


 何も言えなくするために、なのだが、そこまで言う必要はないだろう。
 抱きすくめて、愛している、ともう一度耳元で囁けば、そっと背中に手が回る。
 私もです、半兵衛様・・・という彼女の呟きが、心を震わせる。






 ( ああ、どんな菓子よりも甘く、身体も心も癒される・・・彼女の、声 )






 傍らの良薬の量は、日毎増えていく。
 その『 意味 』は・・・自分でも、理解しているつもりだ。自分の身体のことは、一番知っている。


「 ( だから、こそ・・・ ) 」


 だからこそ、夢見てしまうのだ。永遠に続けばいいと、と過ごす、濃密な逢瀬の刻を。
 迫る死の闇も、僕には恐怖を与えない。だけど・・・と、彼女のことを、考える。
 ・・・きっと泣くだろう。泣いて泣いて、いつかは立ち直ってくれるだろう。
 そうでなければ困る。の『 刻 』は、まだ動いているのだから・・・。


 けれど・・・それを、心のどこかで寂しく思う僕は、やはり愚かなのだろうか。






「 半兵衛・・・様・・・ 」






 口付けの『 予感 』に、彼女がそっと瞳を閉じる。
 愛らしい・・・彼女を見ていると、この『 世 』を手放すのは、非常に惜しいのだけれど。
 ( 唯一の未練があるとすれば・・・それは、彼女だ )






 縁側から差し込む、午後の穏やかな光。


 映し出された障子の影が・・・そっと、寄り添うように重なった。







人は愚かな夢を見る

( どうか僕の命朽ちた後も、彼女が幸せでありますように )




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