鼻を突く、優しき匂い・・・ああ、の好きだった花の香り、だ。
ふいに思い出したが、それは今の今まで忘れていた事柄だった。
戦場に必要ない思考は持ち込まない主義だ。私の全ては、秀吉様だ。
秀吉様のこと考え、秀吉様に従い、秀吉様のために空を翔けて、刀を振るう。
・・・だが、もう彼の人は、いない。
西軍が勝利したというのに・・・この空しさは、何だ。
慣れているはずの廊下も、霞がかっていて・・・よく見えない。
おぼつかない足取りを、左近が導き、刑部の叱咤を受けながら、進む。
秀吉様が亡くなられてから、私の視界はこうだ。いつだって曇っている。
涙が心を覆っていて・・・何も、見えない
( 違う・・・秀吉様のいない世界など、見たくないと思っているからだ・・・ )
だから・・・気づくのが、少し遅かった。その足音は、確実に私へと向かっていたのに。
「 三成様! 」
さ、ぁ・・・と吹き抜ける風。霞がかった視界が、一瞬で晴れ渡る。
開けた視界に、呆然と立ち竦んでいると・・・どん、と腹に衝撃を感じて、背を丸める。
ああ、この、匂い・・・屋敷に入った時に匂った、花、の・・・。
「 三成様!三成、様っ!! 」
「 ・・・・・・・・・・・・ 」
無意識に零した名前に答えるように、抱き締める腕に力を込める・・・彼女。
別れた時よりも、確実に長くなった髪を振り乱して、私の名前を呼びながら、
わあわあと泣いているのは・・・。
「 ・・・、っ・・・! 」
丸めた背中を、更にしならせて、彼女をそのまま抱き締めた。腕に抱え込んだ身体は、少し細くなっていた。
ふわりと香る、花よりも強い彼女の香りに包まれて、自分の中で強張っていたものが、緩んでいく。
自分の瞳から涙が零れ落ちるのも厭わず、二人してお互いの存在を確かめ合った。
周囲に人がいるのも忘れて・・・私は随分と長い間、を抱き締めていたようだ。
先に泣き止んだが、照れたように、そっと顔を上げる。
「 すみません、あの、もう少し、大人の女の対応をお見せするはずだったんですが 」
「 ・・・大人しくなったお前なんぞ、気味が悪い 」
「 酷い!相変わらず、口が悪いんだから・・・ 」
でも、三成様らしい・・・と、怒った顔から一転して、笑う。
両手で私の顔を撫でて、着物の裾で、涙を拭ってくれた。
そして、一歩距離を置くと、その場に三つ指を突いて、頭を下げた。
「 お帰りなさいませ、三成様 」
「 ・・・ああ 」
・・・伝令で聞いたのだが、留守中、動揺した屋敷の者を鎮めたのはだという。
家康が寝返ったと知り、誰もが動揺した時、が広間に皆を集めたそうだ。
忍からの現状報告と、石田家が今後どのような立場にあるか、どのような対処をしていかなければならないのか、
事細かに説明したらしい。家人からの湧き上がる怒りも、不安も、彼女はその小さな身で受け止めた。
次第に周囲が落ち着くと、的確な指示を出して、屋敷を取りまとめたという。
「 身代わり人形が、本物の人間になるとは、まるで魔術のようだな・・・ククッ 」
話を聞いた刑部は、肩を揺らす。素直に頷くことは出来なかった。
身代わり人形だと思って、彼女を石田家に迎えたのは事実だ。
だが・・・今思うと、彼女にはすまないことをしたと思う。
本来ならば・・・他の男に素直に嫁いで、子供を産み育て、幸せな家庭を築いていたのかもしれない。
・・・だが今の私には・・・。
「 ・・・これから、私は何をすればよいのだろうか・・・ 」
もう、なしの人生は・・・考えられない。
「 そうですね・・・差し詰め、まずは一緒にお茶でも呑みましょうか 」
頬を染めて、柔らかく笑ったに・・・私も微笑む。
隣を歩く彼女の手をとれば、少し驚いてから、嬉しそうに頬を緩めた。
視界はもう曇らない。今まで秀吉様と歩いてきた道だったが・・・
今度は彼女と歩く美しい未来が、目の前に開けているから。
「 三成様にまた逢えて・・・私、すごく幸せです 」
繋いだ手を握りしめて。光の中、にこやかに微笑んだ彼女は・・・
私の『 心 』の中で、この上なく尊く、美しい・・・かけがえのない、存在となった。
raison d'etre
- 存在理由 -
( 未完成だった私たちは、二人揃って、初めてひとつの存在となった )
Material:"24/7"
Title:"TigerLily"
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