自分が千鳥足なのは、わかっている。
ふらふら、と。ゆらゆら、と。
足元が揺れているのに加えて、視界も揺れているから、こんなに不安なことはない。
けれど、深く酒に浸っていた私の心に、不安など微塵もない。
あるのは、勝利の余韻だけ。
秀吉様を失って、心暗くなった私にも・・・ようやく、その余韻を味わう余裕が出てきた。
普段なら、月も見ずに一人で飲んでいただろう。
秀吉様への勝利を、心の中で捧げるだけで、この胸は熱くなっていた。
・・・が、今夜は違う。共に戦った刑部や左近たちと、酒を酌み交わした。
途中から左近が誘った者たちも加わった。顔は知らなかったが、前線で戦った者たちらしい。
酒を注がれたので、注ぎ返せば誰もが驚いていた( ・・・自分も、含めて )
光栄です、と照れくさそうな笑いを浮かべて。そうだ、みな、笑っていたように・・・思う。
「 ヌシは変わったな・・・あの女の、おかげかの 」
にやり、と笑って刑部は杯を飲み干す。
それもそうだと思って素直に頷けば、その刑部でさえ、飲んだ酒に咽ていた。
あの女・・・とは、妻である、のことだろう。
最初は、身代わりの花嫁として嫁いだ娘だった。
けれど、彼女は自らの力で花開かせ、私たちの予想を超える、大輪の華となった。
その『 存在 』は、何にも換え難いもの。失えば、二度と代わりは見つかるまい。
私の愛する妻は、この世に、唯一人・・・。
足が、自然と止まった。酔っていても、どこが寝室かは身体が覚えているらしい。
襖の向こうには、先に酒の席から立ち去っていた彼女の姿があるのだろう。
「 ( ・・・お・・・怒って、いる、だろうか・・・ ) 」
障子に手をかけたものの、開くのを一瞬躊躇ってしまう・・・。
いや・・・そこまで機嫌を損ねてしまうようなことを『 言った 』わけではないのだが。
宴席で、着物の袖を捲り上げて酒を振舞っていたので、私は思わず注意したのだ。
「 、貴様!女のくせに、はしたないだろう!! 」
「 だって、お酒を注いで回るのに、袖があったら邪魔じゃないですか。
大体、みんな着物を緩めているのに、襟元閉めてるの、三成様だけですよ?
ほらぁ、いっそのこと私が脱がして差し上げましょうか、よい、しょ・・・ 」
「 なッ、何をッ、やめ・・・わ、私は良いのだ!!お前は、その、女だろうがッ! 」
「 んまあ、急に『 夫 』ぶっちゃって。どこで覚えてきたんですか、そんなこと 」
意地の悪い笑みを浮かべて、くすり、とわざと笑ってみせる。
そして、あっかんべ、と赤い舌を出すと、くるりと身体を翻した。
持っていた酒瓶だけは、注いでしまおうと考えているのだろう。
袖捲くりは解かずに、周囲の兵たちに酒を注いで回っていた。
「 ( あ・・・あれはッ!彼女が、悪いのだっ!! ) 」
私以外の、男に・・・か、彼女の白い肌を、見せるなど、と・・・ッ!!!
・・・けれど、彼女には言えない。そんな情けないことを、わッ、私には言えるかッ!
お前を独り占めしたかったのだ、などと知れば彼女に哂われるのがオチだ。
かっと昇った熱は、怒りか、羞恥か( それとも勇気や覚悟、だろうか )
勢いに任せて、襖を開く。深夜の部屋に、すぱん!と小気味良い音が響いた・・・が。
「 ・・・・・・何!? 」
畳の上に敷かれた布団、二つ並んだ枕。
見慣れたいつもの寝室なのに・・・何故、彼女が居ない、のだ・・・!?
「 い、一体、どこへ・・・ 」
・・・ま、まさか、腹を立てて出て行ったのでは・・・い、いや待て、早まるな!
おおおお落ち着け、落ち着くのだ、そうだ!私はまず、落ち着かねばならない!!
襖を閉めるのも忘れて、駆け出す。
走ってから気づいたが、千鳥足、だったのだ( そういえば酒宴の後、だった・・・ )
思わずよろけるが・・・わ・・・私は、負けないッ!!
廊下を這い蹲るようにして、まずは彼女が昼間滞在している『 奥間 』を目指した。
気配を察知してか『 奥間 』の襖は、自分で開ける間もなく、あっさりと開いた。
襖の前に到達するや否や、力尽きた私の姿を見た女が意地悪そうに唇の端を持ち上げる。
・・・ああ、注意しておかねば。コイツがいるから、彼女まであんな嫌な笑みを浮かべるの、か!?
常に彼女に付き従う忍は、部屋の奥へと声をかける。
「 さま・・・殿がおいででございます 」
「 え、三成さま!? 」
とたとた、と畳を踏む音。突っ伏した私の視界に、10本の足の指が行儀良く並んだ。
・・・?を呼ぶと、はい、と怒った様子もなく元気な返事が返って来た。
「 どうしたのですか?もう、お酒の席にいなくてもいいんですか?? 」
「 あ・・・ああ。どうした、のだ、寝室に・・・お前の姿が、なかったから 」
ぽかん、とした彼女が、吹き出す。隣の忍( 凛、と彼女は呼んでいたか )も笑う。
『 哂われる 』ことが一番癇に障る私は、素早く立つと『 怒鳴る 』準備に入る。
・・・が、気にする様子もなく、彼女は立った私の手を引いた。
「 こちらへ、三成さま 」
奥間の『 奥 』へ。柔らかな手に導かれて、私は歩く。
凛は、私と彼女が奥へと進むのを見届けると、奥間の入り口の襖をそっと閉めて・・・消えた。
二人だけの空間・・・それは、いつものことなのに、何故か胸が高鳴る。
畳をいくつか越えた奥の空間に、小さな床の間があった。
彼女の好きな華が、一輪飾ってある。その前には、裁縫道具が並んでいた。
( いかにも先程まで触っていたという雰囲気・・・ああ、祝宴の後、ここにいたのか )
手を離し、彼女は座る。そして、自分の隣をぽんぽん、と手で叩いた。
「 ( 座れ、ということか ) 」
千鳥足で歩くのも、疲れる。彼女の言う通り、腰を下ろした。
腰を下ろすや否や、裁縫道具の横に落ちていた布を私に当てる。
驚いた顔の私と、その布地を見比べて・・・彼女は、に、と笑った。
「 実は・・・着物をお仕立てしようと思っていたんです 」
「 ・・・私の、か? 」
「 はい。さすがに、職人さん程上手じゃないないですけど、まあ程ほどには。
故郷では、父上の流しは私が作っていたので・・・三成さまにも、ぜひ一着 」
「 ほう・・・いい、色合いだ 」
「 お好きな色ですか?なら、良かったです 」
当てていた着物を膝に置き、針を持ち出した。 布地に音もなく針が刺さり、つい、と持ち上げる。
衣と似た色の糸が、一針、また一針と着物を彩っていくのに・・・見惚れていた。
「 ( そういえば・・・酒を、煽っていたのだった、な・・・ ) 」
『 』が絡むと、どうも私は彼女以外の全てを忘れてしまうようだ・・・。
周囲がそう明るくないのも手伝ってか、見惚れているうちに、瞼が落ちていたらしい。
三成さま、という声にはっと気がつくと、目の前の彼女が苦笑交じりに言った。
「 布団でお休みになったらよいのに 」
「 しかし・・・そなた、は、まだ・・・ 」
まだ、起きているのであろう・・・?と訊ねるのは、我侭な子供のようで、口篭る。
( 覇者の言うことではないであろう!とわかっていても・・・私は、寂しかった、のだ )
「 ・・・なら、こちらにいらっしゃいませ 」
彼女は、灯を持って座ったまま膝だけを動かして・・・私の、頭をそっと引き寄せた。
ぐらり・・・と視界が揺れる。なッ、と声が上がったが、酒に酔った身体では抵抗できなかった。
頭は、そのまま彼女の膝へと着地する。身体も一緒に畳へと転げた。
「 しばらくは、私の膝で我慢して下さいな 」
「 う・・・うむ・・・ 」
「 まあ、素直な三成さま。明日は槍でも振るんじゃないかしら 」
皮肉に反抗しようにも、その言葉とは裏腹に優しく頭を撫でられては・・・声が、出なかった。
掌から伝わる、彼女の温度。膝の上に置いた頬も、どんどん熱が上がっていく。
・・・だが・・・悪くない。
の温もりに包まれて、私は、今・・・幸せ、だと思った。
ゆっくりと、眠りに落ちていくのがわかった。視界がだんだん狭くなっていく。
下から見上げた彼女の手は、静かに動いている。灯されたの表情は、とても穏やかだ。
その穏やかな表情で仕立てられた着物は・・・どんな、心地がするのだろう。
「 ・・・おやすみなさいませ、三成さま 」
小さな、その呟きを最後に。
幸福に満ちた意識が、眠りの世界へと旅立ったのだった・・・。
今宵、ぼくは
きみの夢をみる
- raison d'etre 閑話 -
( 秀吉様・・・どうか、私と彼女が幸せになる未来へ歩き出す、勇気を )
Material:"24/7"
Title:"LostGarden"
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