覚えているのは、硝子のような女だった・・・という印象だけだ。






その女は、秀吉様から賜った『 もの 』だった。
地方武将の娘だという女は、物静かで、しとやかであったが・・・所詮『 もの 』に過ぎない。 私にとって、それ以上でも、それ以下でもなかった。
何故なら、私の心も身体も、魂までもを、すでに秀吉様に捧げている。


ましてや・・・何故この私が『 もの 』と情を交わさなければならないのだ。


だが、その女を大切にせねば、秀吉様は嘆くやもしれぬ( それは避けたかった )
不自由なき生活を送れるよう手配してやったが、奥間には一切近づかなかった。 初夜以来立ち寄りもせず、顔を見ることもなく閉じ込めて、年月だけが過ぎていき・・・次第に、その『 存在 』すら忘れていた。


それなのに・・・あの『 瞬間 』だけ、飛び出してきたのだ。










まるで、自分の使命は・・・私を『 護る 』ことだと、言わんばかりに・・・。










「 故郷(くに)に、彼女の双子の妹・・・というのがおるらしい 」


執務をこなす私に、そう言ったのは刑部だった。


「 替え玉を用意しておけば、しばしの時間稼ぎは出来ようぞ。
  あれを失ったと知れば、そなたに与えた太閤も、さぞがっかりするだろう 」
「 ・・・私が斬ったわけでも、殺したわけでもないのにか? 」
「 何故死んだか知った時に、嫌でも耳に入ってしまうだろうよ。
  不自由なき暮らしをさせてはいたが・・・露ほども、愛していなかった、とな 」
「 ・・・・・・・・・ 」


生活を保障してやっているのに、何故私が悪者になる。
秀吉様の耳にそのような噂が入ってくらいで、私の印象が悪くなるような安い働きをした覚えはないが・・・・ 念には念を入れて、というやつなのだろう。
刑部が動くことで、私が不利になったことなど、ないのだから。


「 貴様の好きにしろ 」


その一言さえ与えれば、奴がどういう行動に出るかは目に見えていた。
御意・・・と薄笑いを浮かべて、刑部は仰々しく頭を下げる。
ふん、と鼻を鳴らして、私の視線は再度机上の執務へと戻った。
まるで、この話に興味など一切なくなったかのように。






そして、その10日後・・・、という娘が、この屋敷にやってきたのだった。




























寝所に入った私を出迎えるのは、あの日と同じ、小さく震えた背中。


双子なのだ、背格好が似ているのも当たり前だろう、と浮かんだ既視感を打ち消す。
奥間までついてきた者たちが下がると、私は女の顎に手をかける。
ぐ、と持ち上げたその瞳には・・・今までにない、輝きがあった。
どこかで見覚えがある、と思った矢先に思い出したのは、戦場。


その目に宿っていたのは、怒りの『 焔 』だった。


「 三成様と姉は・・・本当に、夫婦だったのでございますか? 」
「 ・・・何だと 」
「 夫婦として、愛し合っておられたのですか? 」


・・・くだらぬ。何故そのようなことを、私に聞くのだ。
( 数時間の間に・・・誰かに、何か吹き込まれたな。身体の震えは、怒りからか )


この私に質問など認めぬ、とはぐらかして、事をなして、さっさと部屋に戻ればよかったのかもしれない。 だけど・・・この女の瞳には、有無を言わさない、強い光があった。


「 あれは秀吉様から頂いた『 もの 』であり、私に情を交わす義理はない 」


大きく見開いた女の瞳から、浮かんだと思った涙の海が、あっという間に溢れていく。
蝋燭の光を受けていたから、だろうか。赤い・・・血の涙が、零れたのかと思った・・・。
柄にもなく動揺した、その瞬間。パチン、と音がして、ほんのり私の頬に熱が宿る。






「 姉は・・・『 もの 』ではありません!心を持った、一人の人間です!! 」






肩で息をした女が、怒りを込めて、全身全霊で・・・私を、睨んでいた。
・・・けれどそんなもの、眼中にない。
私を平手打ちしたという、その『 事実 』に・・・感情が、爆発した!!


「 貴様ァ!!! 」
「 私を殺せば、太閤様のお怒りを買いますぞ! 」
「 ・・・ッッ!! 」


この女は・・・知っているのだ。自分を、この屋敷に招かれた理由を。
・・・もう良い!私を嵌めるなど、どれだけ重い罪か思い知らせてやる・・・ッ!!


素早く女の襟元を掴んで、そのまま押し倒すと、首に手をかける。 女の口から、ひゅっと息が漏れる。苦しそうに私の掌に爪を立てて抵抗するが、 武人たる私にそんなものが利くはずない。次第に力が弱まり、ぱたり・・・と布団に落ちた時だった。


「 そこまでよ、三成。殺してしまっては、呼び寄せた意味がない 」


ただごとではない、と騒ぎを聞きつけて、やってきたのであろう。
刑部はいつものように、薄い哂いを顔に貼り付けたまま、私と女を見比べた。
力が緩んだ隙に、女は息を吹き返す。闇の中から伸びた手が、げほッ!と咳き込んだ背中を 宥めるように撫でている・・・フン、この女の忍か。


「 殿も、知恵などつけずに、大人しく飼われていればいいものを 」
「 本当に・・・姉は・・・姉は、三成様に・・・ 」
「 噂の通りよ。そなたもどこぞで聞いたのであろう?全く愛されていなかったと・・・ 」
「 ・・・・・・! 」


疑心から確信に。愕然とした表情を覆うように、とめどなく頬を伝う、涙。
慟哭している女を横目に、着物を調える。忍の腕に縋って、泣き続けている背中に・・・おい、と声をかけた。


「 、といったか。貴様にひとつだけ、言っておくことがある 」
「 ・・・・・・ 」
「 私に逆らうな。私を裏切るな・・・・・・さすれば、斬るッ! 」


吐き捨てるように言い残し、その場を後にした。


( そういえば・・・初めて、あの女の名前を口にした・・・ )


・・・と、舌に残った音の感触を確かめるように呟いていれば、後ろについてきていた 刑部がくくっと笑いを零した。


「 気に入ったか? 」
「 ・・・まさか 」






・・・ただ、『 もの 』ではないと言い切った時の、あの、涙が・・・






脳裏に残った彼女の声が反芻されるのを防ぐために、首を数度横に振れば。
またもや笑い声を立てた刑部を置き去りにするように・・・早足で、自室へと向かった。




それでも・・・涙で濡れたあの女の顔が、瞼の裏から消えることは、しばらくなかった。




raison d'etre

- 存在理由 -

( 硝子のような、あの女の名前を・・・私は、呼んだことがあっただろうか )




Material:"24/7"
Title:"TigerLily"