その日は突然、やってきた。






最初は、自分の耳を疑ったけれど・・・冷静に受け止めなければ、武家の嫁ではないと思った。 すう、と息を吸って、吐いて。背筋を伸ばした。
目の前の凛は、呼吸が荒い。無理もない・・・戦場での偵察から、命懸けで帰還したのだ。 ところどころに、血の跡がある。しばらく休ませてあげないと・・・。
傍に控えていた女中に、休める場所を作るよう手配する。


「 ありがとう、凛。少し、休んでちょうだい 」
「 ・・・、様・・・ 」
「 三成様は家康殿を討ちに行くでしょう。だったら私も、心積もりをしておかないと。
  ・・・私は大丈夫よ、凛。さ、休んできて 」


促されて、凛は躊躇っていたが・・・ようやく頷く。 退室した凛を見送って、周囲に控えていた女中を一度下がらせた。 あたりに漂う気配が完全になくなるのを確認すると・・・保っていた視線を崩して、脇息にもたれかかった。


「 ・・・ふう・・・ 」



自然と、ため息が零れた。
本当は『 驚き 』なんて言葉じゃ言い表せないほど、動揺した。 家康様が裏切るなど・・・誰が予想できただろう。精悍で、人望の厚かった家康様。 そんなところを見込んで、太閤も一目置いていたというのに。


( 三成・・・様・・・ )


かの人は、どんな心境だろう・・・と案じずに入られない。 友情を、信頼を裏切られて。そして、秀吉様を失った寂しさに、肩を震わせているのだろうと思うと、私まで泣いてしまいそう。 あのヒトは、とても純粋なひとなのだ。もう何にも傷ついて欲しくないのに。






縁側に出る。四季折々の花が咲く、美しい庭。


この奥間に・・・三成様が最後に訪れたのは、もう何ヶ月も前のことだ・・・。






「 5日後に出陣することが決まった。留守を頼む 」
「 かしこまりてございます 」


畳に額がつくまで、ゆっくりと私が頭を下げるのを見て、彼は手を上げて周囲の女中を下がらせた。 衣擦れの音が廊下を去っていくと、頭を上げる。三成様と視線を合わせると、固かった表情が、少しだけ緩む。 それが合図だというように、私から間合いを詰めた。自分の膝に乗せていた彼の拳を、そっと両手で包んだ。


「 長い、戦になりそうですか? 」


彼は答えずに拳を解いて、腰を引き寄せる。胸元に閉じ込められて、着物越しに三成様の体温を感じた。 とくとくと聞こえる心臓の音・・・この鼓動も、しばらく聴けなくなるのね・・・。 そう思うと、涙が出そうだった。その涙まで閉じ込めようとしているのか、三成様の腕に力が入った。 太閤に忠誠を誓う彼は・・・戦の間、私のことなど欠片も思い出さないだろう。




・・・それで、いい。
私は、それ以上望んだりしない。


その代わり・・・今、私を強く抱き締めているのは、彼もまた、私の温もりを忘れたくないと 思ってくれているのだ・・・と、自惚れてもいいだろうか。
戦場から一歩でたら、私のことを、一番に思い出だしてくれるはず、と・・・。




「 お帰りを、お待ちしています・・・三成、様 」
「 ・・・、 」
「 ずっとずっと、待っていますから。だから・・・ 」








必ず・・・生きて、帰ってきて下さい。








言葉は、涙に変わる。伝った涙に、唇が寄せられる。そのまま私の唇に優しく口付けた。 ・・・不器用だった頃が懐かしい。そんなに前のことではないのに、昔のことだと思えるほど、 結ばれた日以来、私たちは寄り添ってきた( だからこそ、しばしの間だとわかっていても、 離れるのが・・こんなに、辛い )


「 ・・・あまり、泣くな 」
「 無茶を、言わないで下さい。寂しいのに・・・どうして泣かずにいられましょう 」
「 お前の傍に、置いていくものがある 」
「 ・・・置いていくもの? 」


胸元から顔を上げて、前髪の隙間から瞳を見つめれば。
彼は私の手を取って・・・自分の心臓へと、置いた。その行為の意味を求めて、手と三成様の 顔を見比べる。わからぬか、とちょっと拗ねたように言うと、恥ずかしそうに頬を染めた。


「 わ、私の・・・『 心 』を置いていく。だから・・・泣くな! 」


お前が、寂しくないように。永遠に、傍にいるから。


笑えばもっと拗ねるのはわかっていたのに、笑ってしまった。予想通り、かっとなった三成様が 顔を赤くして「 わっ、哂うな! 」と怒鳴った。だからいつものように、銀髪に指を通して、 背中を宥めるように叩いて・・・言ってあげればよかったのだ。
哂ってなんかいません、微笑んだだけです。もう、すぐ怒るんだから・・・と。


・・・・・・でも、


「 う・・・うぅ・・・ふっ、うぇ、え・・・わああ、あああんっ! 」
「 ・・・・・・ 」


嬉しくて・・・嬉しく、て・・・大粒の涙が、頬を伝う。
( その優しさが、まるで今生の別れを含んでいるようで )
大きく口を開けて、子供のように泣きじゃくる私を、三成様が抱き締めて、背中を撫でてくれた ( これじゃ、いつもとは逆だ )・・・と何度も名前を呼びながら。
答えるように、私は彼にしがみつく。






神様、神様、お願いです。


どうか・・・三成様が、また無事な姿を見せてくれますように。
この逢瀬が『 最期 』になりませんように。生きて、再び逢えますように。






「 あまり、泣くな。傍を離れるなとお前に約束させたように、私もお前の傍を離れぬ 」
「 み・・・三成、様・・・みつ、な・・・り、さま・・・ 」
「 必ず・・・・・・還る 」


そう言い切って、強い決意を秘めた瞳で、私を見つめる。
本当、に?私を置いて、逝かないで・・・と言うと、ぐしゃぐしゃに泣いた私の顔を、乱暴に指で拭う。 そして私の唇に自分のを押し当てると、そのまま二人で床に転がった。
これから戦場に向かおうというヒトに、こんな我侭を言うなんて、生還を約束させるなんて、 無謀だって解ってる。でも、何かに縋りたかった・・・安易な約束だとしても、だ。


無我夢中で、お互いの『 全て 』を求めるように・・・抱き合った。










あの時、お預かりしたものは、此処にある。
自分の胸に手を置くと、じわりと温かいものが宿っているのが解る。
・・・うん、大丈夫。何があっても、彼が傍にいてくれる。 離れることは赦さない、と言われた。必ず還る、とも言ってくれた。 だから、私に出来るのはそれを信じて・・・『 彼 』を信じて、待つことだ。 今は、私にしか出来ないことをやろう。


「 大広間に、屋敷の皆を集めて頂戴 」


呼んだ女中にそう言うと、彼女はと頭を下げると、小走りに屋敷を駆ける。
人の前に立つのだから・・・と一度、自分の身支度を確認して、大広間に向かった。
・・・少しだけ震えているのは、決意から起こる武者震いか。




まるで、戦場に向かう心地だ、と思ったら・・・自然と、唇の端が持ち上がった。


貴方も・・・こんな気持ちで、いつも戦場に立っているのですか・・・三成様。




raison d'etre


- 存在理由 -

( 貴方を独りでなんか、逝かせない。逝く時は・・・私も、ついていきます )




Material:"24/7"
Title:"TigerLily"