さいしょの日をおもいだしてみよう







 あれは確か・・・ちょうど一年前の冬、のことだった、と思う。






 実家にも元日に顔を出したし、福袋も欲しいブランドなかったし。
 年末年始休みがいつもより長いのをいいことに、猫のように布団の中で丸まっていた。
 愛用のパジャマに身を包んで、うとうととまどろんでいた時だと思う。
 突然、ドスン!と地面が揺れ、ガシャン!と重そうな金属がぶつかり合う音に飛び起きた。


「 ・・・な・・・ここは一体・・・っ!! 」


 と叫ぶ鎧姿の人を見て、本気の本気で『 夢かな? 』って首を傾げたことを覚えている。














「 ( なーんてこともあったなぁ・・・ ) 」


 ぼんやりと見上げた天井に、はふ、と吐き出した息を溶かしていると、ふいに陰った。
 一番に視界に入ったのは、何といっても両目分の光を宿した彼の瞳。
 もう片方の傷跡には、外出する時は薬局で売っている普通の白い眼帯を。
 自宅にいる時は『 元の世界 』の眼帯をつけている。


「 、食器は洗い終わったぞ。乾燥機にかけておいたから、しまうのは終わってからにするといい 」
「 ありがとう、惇兄 」


 にへっと笑ったのが気に食わなかったのか、夏候惇は眉を寄せる。
 炬燵に足を突っ込んでいた私の隣に胡坐をかくと、ぺちんと額を叩いた( 痛っ )


「 元譲と呼べと、あれだけ言っているのに、お前という奴は・・・! 」
「 だーって!元譲のそーいう顔見るの、すっごい楽しいんだもん 」
「 ・・・・・・まったく 」


 大きく溜息を吐いた元譲が、再び手を伸ばす。
 父親よりも大きな男の人の手。反射的に身を竦めた私の額を擦りぬけて、ぽん、と頭に置かれた。
 途端、くしゃくしゃ!と撫で回されて声を上げた私を見て、元譲が歯を見せる。
 頬を膨らませて睨むと、仕返しが終わって満足した彼は、武骨な指で乱れた髪を梳いてくれた。
 愛しむように、指先で器用に髪を分け、一本一本の先まで丁寧に愛撫する。
 見上げた私の目に映る彼は柔らかく微笑んでいて・・・満ちていく幸福感に、吐息が漏れた。


「 好き 」


 感嘆の呟きに驚いたのか、一瞬、眉の皺を解いた元譲の顔が、すぐ様見事なまでに真っ赤に染まった。


「 ・・・こ、この時代は皆そうなのか?そうやって、す、ぐに・・・ 」


 照れた顔を背ける彼が、誤魔化すように咳払いをして口元を押さえて、もごもごと口篭る。
 その背中にくすりと笑顔を向けて、人によってかな、と言うと、そうか、と言った。
 ・・・顔の熱を下げて振り向いてくれるのを待っていたけれど、なかなかこっちを向いてくれない。
 私は炬燵から足を抜いて、元譲、と今度こそ彼の名を呼んで振り向かせる。


「 耳かきしてあげる。来て 」
「 みみかき・・・? 」
「 耳の中を掃除するの。ほら、何回かやってあげたことあるでしょ? 」


 元譲は、しばらく考えるような素振りをして首を傾げていたが。
 正座した自分の膝をぽんと叩くと、合点がいったような顔をした。


「 では、頼む 」


 口元を緩めて微笑んだ元譲は、ごろり、と寝転ぶ。
 ただ、すぐさま私の膝の上に頭を乗せるのは少々気恥ずかしかったのだろう。
 躊躇いがちに乗せた彼の耳が、先程の染まりを残したかのようにほんのり紅い。
 耳朶にキスしたい衝動を抑えて、耳元の髪をかき分けて綿毛の付いた耳かきを縁に当てた。


「 じっとしていないと、中が傷つくからね。でも大丈夫、私、結構上手い方だから 」
「 ・・・む 」
「 そうそう。緊張しているかもしれないけど、肩の力は抜いていいからね 」
「 ・・・・・・・・・ 」


 といっても、なかなか緊張は解けないみたい。がっちがちに固まったまま、喋らなくなってしまった。
 見開いたままの片目に手を置いて、瞑るよう指示すると、てのひらのなかで睫毛が瞬いた。
 膝の上で大人しくなった彼の耳を丁寧に掃除する。
 中はもちろんのこと、入り口周辺をティッシュでふき取ってやると、緊張が和らいだように見えた。


「 どう?元譲。気持ちいい?? 」


 ああ、と短く答える。
 元々言葉が多い人ではないけれど、今はそれ以上の言葉を発する余裕もなさそうだ。
 ・・・『 元の世界 』には耳かきの習慣ってあったのかな。
 元譲はあまりそういうこと教えてくれないし( 他の女性に膝枕されてたら、私が嫌、だけど・・・ )
 この世界に、最低限馴染もうとしている彼は、初めてのことに臆することがない。
 いつだって当然のことのように受け入れてしまうから、それが初めてのことがどうか判断できないのだ。


「 そういうのって当たり前のことなの?『 武人 』ってすごいんだね 」
「 先程のお前の答えと同じだ。人それぞれだろうよ。当然、臆する者もいる 」
「 そうなの? 」
「 ああ。だが俺は違う。孟徳の片腕として、この夏候元譲、如何なることにも一歩も退かぬ 」


 ふふん、と口の端を持ち上げて笑う元譲。
 得意げに微笑んでも、耳かきに緊張しちゃうところとかかわいいけど!かっこかわいい!
 笑いをこらえている私には気づかず、むしろ元譲は今の会話で気を良くしたのか。
 それとも、耳掃除で気持ちが良くなってきたのか。肩の力は抜けたようだった。


「 これは・・・いいな。とても心地よい 」
「 ふふ、よかった 」


 元譲の・・・『 元の世界 』は、ゲームを通じて知っていた。
 颯爽と戦場を駆け抜け、麒麟牙を奮う。曹操の世を築くために、薙ぎ倒した敵を蹴散らしていた。
 猛将と呼ばれていた夏候惇が、実際に私の前に現れるなんて、想像もしなかった。
 ・・・どうしてこんなことが起こったのか、一年以上経った今でもわからない。
 元譲も私も、思い当たる節がなかった。


「 ( でも、ずっとこのまま一緒に居られれば良いのに・・・ ) 」


 今じゃ彼がいない生活なんて考えられない。彼の居ない生活には、もう戻れない。


 我ながらベタ惚れだと思う。
 彼がゲームのキャラクターだとか、私の世界が現実だとか、そんなことどうでもよかった。
 目の前に元譲がいて、彼の前に私が居る。その現実だけが、全て。
 私は、ゲームの画面に映る部分の元譲しか知らなかった。
 でも、戸惑う元譲と一緒に生活して、心が通い合って、お互いを思いやる気持ちを覚えて。
 共に過ごす幸せな毎日から抜け出す術を、いつしか・・・見失ってしまった。


「 ( 元譲が、曹操様の元に戻りたいって思わないはずないのに。いつか彼は還ってしまう ) 」






 元譲が希うのは、此処に居ることではない。






 彼は曹操様のために在るべき人だ。そんなのとっくにわかってる。
 ここは、彼の『 居場所 』ではない。私との縁は、一時的なものに過ぎないのだ、と。
 ・・・そう、実感してしまうと思うと同時に、ものすごく寂しくなった。






「 ・・・? 」





 彼の声に、はっと我に返る。
 手元が止まっていた私を、元譲が不思議そうにきろりと右目だけ動かした。
 今度は反対ね、と誤魔化すように明るい声を出す。
 彼は何も聞かずにのそりと身体を反転させて、私のお腹に顔を埋めた。
 位置が決まらないのか、しばらくもぞもぞと動く度に私はくすぐったさに声を上げた。


「 ・・・お前の 」
「 んー? 」
「 の傍にいるのは、何と言うか・・・陽だまりの中にいるようで、心地良いな 」
「 ・・・・・・・・・ 」


 彼の表情は読めないし、眼帯をした彼にも、私の表情は読めないだろう。
 ・・・それでいい。今の表情を見られたくない。
 見えないはず、なのに・・・元譲の腕が今にも泣いてしまいそうな私の腰に回る。
 そっと引き寄せられ、私は自然と元譲を覆うように抱き締める体勢になった。
 吐息を感じる距離に感じる、元譲の熱。湯気が立ち昇ったように視界が滲んでいく。
 やばい。そう思って、声を上げないようにお腹に力を込めたのに。
 そんな私の胸元で、元譲が微笑んだ。


「 お前は・・・俺の『 元の世界 』は嫌か? 」


 唐突な問いだった。だけどすぐに思い浮かんだのは、彼の元の・・・ゲームの世界。
 そこが非現実なものに見えるけれど、あの世界で、元譲は生きてきた。
 恐る恐る身体を離すと、そこには彼の柔らかい笑顔があった。


「 ・・・元譲? 」
「 いつかお前が見せてくれた画面の中では、わからなかったかもしれないがな。
  こう見えても、それなりに良い屋敷を持っている。少ないが、気心の知れた使用人もいる。
  俺が外に出ていても、来客は多い方だ。女主人がいれば・・・夏侯家は安泰だろう。
  曹操がちょっかいを出してきても、俺が必ず食い止めて見せるし、淵や覇が力になってくれる 」


 ・・・私が、本当に若くて。それこそ10代そこそことかで。
 元譲の言葉を最後まで聞かないとわからない!なんて子だったらよかったのに。
 彼の言おうとしていることが解って・・・とうとう涙が零れた。

 解らないフリができるほど冷静になれない。だって、私はとうに元譲に依存しているから。






「 何を泣く。が不安になることや、心配することはひとつもないのだからな。
  お前はそのまま・・・その身ひとつで、俺の妻になってはくれまいか。
  勿論、に生きてきた場所を捨てろと、酷なことを言っているのだと自覚している。
  だが・・・いつか、この世界を離れることになったとしても、お前とだけは・・・離れたく、ない 」






 そう言って、とめどなく落ちる涙が目元に触れる元譲の指を濡らす。
 同時に、不安も戸惑いも全て拭われた気がした。ほら、彼の指先ひとつで、私の未来は変化する。


 ( ああ、もう・・・本当に、敵わないんだか、ら )






 どれだけ彼の心が欲しかったか・・・零れた涙が胸の奥を満たしていく。

 私は無言で頷くことしか出来なかったが、満足そうに、彼の唇が弧を描いたのが見えた。




( あの頃は、プロポーズされるなんて思わなかったけど、でも今の私は一番幸せだと思う )




Title:"moss"