『 』
名前を呼ばれた気がして、私はゆっくりと瞳を開けた。
滲んでいた視界が、次第にはっきりしてくる。
朝日の差した、私の部屋。見慣れた天井、それから・・・。
「 ( ・・・・・・あ ) 」
右手が、天井に向かって伸ばされていた。指先が、少しだけ震えている。
こめかみに感じる冷たいものは、きっと涙・・・ああ、泣いていたのか。
・・・悪い夢でも、見た、のかな。ううん、むしろいい夢だったような気がするのに。
すごく、懐かしい声が・・・私を・・・・・・。
再び伝う涙を拭いて、私は身体を起こした( まるでその思考を断ち切るかのように )
シャ、とカーテンを開けると、いつもの位置より少しだけ太陽の位置が低い。
どうやら・・・早起きしてしまったみたい。
『 』
聞き覚えのある声が、鐘のように鳴り響いた。
ドクン、と高鳴った心臓は、なかなか静まってくれそうにない。
よろけそうになる身体を、テーブルに掴まることで支えた。
だけど、それだけじゃ足りな、く、て。
「 ひゃ、あっ! 」
そのままベッドに逆戻り。体重を全部預けてダイブしたものだから、スプリングが悲鳴を上げる。
揺れが収まるのを待ってから・・・改めて、天井を仰ぐ。
・・・どうして、今日に限って、あんな夢を見てしまったのだろう。
ひと呼吸おいてから、蘇った夢の記憶。ずっとずっと、思い出さないようにしてたのに。
心の扉に鍵をかけて。深海の底に沈めてあった、ブラックボックスを開けてしまった気分。
沈めてあったのに、確かに鍵をかけたはずなのに、思い出さないように・・・。
自分に『 暗示 』をかけてまで封印していた・・・・・・『 彼 』の、記憶。
「 ・・・・・・壮龍、さん 」
呼んだ名前は、空気に溶けた。
( きっと、過去にたくさんのため息と涙が溶けているこの部屋の空気、に )
まだ見習い弁護士だった私は、凛とした2人の先輩に心底、憧れていて。
仕事と、愛した人に生きる彼の背中を見るのが、好きだった。
その背中は、もう・・・5年も、シーツの波間を彷徨っている。
「 ( 千尋さんはが亡くなって、壮龍さんまで・・・ ) 」
・・・もうしばらく、泣いてなかったのに。
一度流した涙は、止まらなかった。耳の後ろが冷たくなっていく。
・・・ねえ、壮龍さん。私ね、とうとう弁護士になれたんですよ?
星影法律事務所で一生懸命勉強して、今じゃ法廷にも立っているんです。
憧れてた貴方と、千尋さんの背中を目指して・・・。
( でも、2人の背中にどんなに手を伸ばしても・・・もう、届かない・・・ )
『 』
記憶の『 声 』は、とても鮮明だった。
私の名前を呼んでくれるたびに、心が躍った。世界が一瞬だけ、明るくなった。
5年間・・・忘れようとしていた『 声 』。封印していた『 あの頃 』を。
どうして、今頃になって・・・・・・
ピピピ、ピピピ、ピピピ・・・
目覚まし用にセットしていた携帯電話のアラームが、一日の始まりを告げる。
・・・これは、私が、夢から覚める、合図。
身体を起こして、無意識に洗面所に向かう。
ピピピ、ピピピ、ピピピ・・・
「 ( まだ、鳴ってる ) 」
さっき、キチンとボタンを押して止めたはずなのに。
ベッドに放り投げたままの携帯に手を伸ばすと、アラームではなく、着信だった。
開いたディスプレイには ” 公衆電話 ” と表示されている。
・・・こんな朝早くから、一体誰よ・・・?
ちょっとだけ躊躇った後、意を決して、通話ボタンを押した。
「 はい、です 」
「 おはようさん・・・コネコちゃん 」
・・・身体が、固まる。
濡れた髪を伝った雫が、ぽたり、と床に落ちた。
聞き覚えのある、声・・・そうよ、たった今『 憶い出した 』ばかりの『 彼 』の『 声 』。
ま・・・さ、か・・・・・・
「 俺の『 眠っている 』間に随分と活躍してるらしいじゃないか。立派になったな 」
「 病院に何度も足を運んでくれたらしいな、聞いたぜ。ありがとう、な 」
「 千尋のことも・・・お前一人に、色々と背負わせてばかりだ・・・だが、これからは俺もいる 」
「 」
ぽた、ぽた、ぽたり
足元を濡らしたのは、もう・・・髪を伝う雫、だけではなかった
そして希望が僕らを照らす
( だけど、覚めない夢はないと、貴方が教えてくれた )
Title:"Statice"
Material:"七ツ森"