待ち合わせは、10時。






 駅の改札を抜けたところにある広いエントランスは、老若男女の人で満ち溢れている。
 人の群れを少し避けた茂みで、早めにやってきた陸遜は持ってきた本を読みながら待っていた。
 時々、通りすがる女性たちが振り返る視線など気にも留めない。だが、唐突にぱっと顔を上げた。


「 りっ・・・陸遜さ・・・りく、そーんッー! 」


 ぽーん、と信号が青に変わった瞬間に、大きく手を振ってこちらへと駆けて来る少女。
 エントランスには障害物がひとつもないのだが、転んでしまうのではないかと陸遜は気が気じゃない。
 お気に入りのバッグを片手に、膝丈のキュロットが翻る。
 その翻った裾が予期せぬ方向に流れたの機に、自分も駆け出した。
 きゃ、と小さく悲鳴をあげた彼女の腕を掴んで引き上げる。もう少しで、地面に尻餅をつくところだった。


「 あ・・・ありがとう 」
「 いいえ、礼には及びません 」


 照れたように彼女が笑って、陸遜の手を借りて体勢を元に戻した。


「 きょ、今日、新しいパンプスにしたから、まだ慣れてなくて 」
「 ああ・・・らしくて、可愛いですね。よく似合ってますよ 」
「 えっ!あ、そ・・・そうか、な・・・ 」


 ・・・もう、何度もこうして『 お出かけ 』という名のデートを繰り返してるのに。
 『 さん付けではなく、陸遜と呼んで下さい 』と距離を縮めてみても、はいつも緊張していた。
 勿論そんなところも可愛いのだけれど、とは思うが・・・本当のところ、原因はわかってる。


 今日は・・・そんなの『 不安 』を取り除くのが、目標です。


 内心、陸遜が闘志の炎を燃やす中、他愛もない話に花を咲かせ、は無邪気な笑顔を見せる。
 会話が途切れ、が思い出したようにバッグのポケットから、そっとガイドブックを取り出した。
 覗き込めば、彼女を緊張させてしまうから。折り目のついたそのページを、こっそり覗き見る。
 ガイドブックのマップページには、いくつか赤い丸が点在している。
 ・・・きっと今日という日を、彼女はとても楽しみにしていてくれたのだろう。
 瞬時に暗記した陸遜は、彼女をゲートへと促す。


「 、乗りたいアトラクションはありますか? 」
「 え、わ、私は何でもいいよ!陸遜は?? 」
「 そうですね・・・じゃあ、コレにしましょう!! 」


 自分もひと通りの研究はしてきた。人気のあるアトラクションや並ぶ時間も、すべて頭に入っている。
 盗み見た今日一日のルートを即座に計算すると、ゲートでもらった真新しいパンフレットを広げた。
 指差したそのアトラクションを見たの瞳が輝き、大きく頷く。
 ・・・ああ、愛らしい。その笑顔が、私は見たかったのです。
 緩みそうな頬を、平静装って必死に我慢する・・・今日は、油断してはならないのだから。














 きゃははははは・・・と甲高い笑い声が響いた。
 ティーカップの向かいに腰掛けたが、驚くべき速さで中心の皿を回している。
 1回目、2回目は、陸遜も余裕の笑みを浮かべて無邪気な彼女を見ていた。
 まるで周囲の景色のようにくるくると表情を変えるは緊張も忘れて、とにかく楽しそうだった。


「 ( 遊園地という選択は、間違っていなかったようですね ) 」


 いつも照れてばかりいる彼女も、もちろん可愛い。
 けれど自然体のを見ていると、自分も無意識に力んでいる肩の力が抜ける気がするのだ。
 陸遜は、柔らかい気持ちに溢れる胸を押さえるけれども・・・






 しばらくして、違った意味で胸を押さえるようになる。






「 ね!ねえ!もう一回!もう一回!! 」
「 ・・・少し、休みませんか・・・ 」


 6回目を越すと、さすがの陸遜も声が弱ってきた。ふ、と気を抜くと視界が左右に揺れる。
 これだけティーカップに乗っても平気な顔をしているの三半規管は、一体どうなっているのだろう。
 強いなんてものじゃない・・・大時化の日本海に浮かべた船でも平然としていそう・・・。
 荒れた波を想像して更に気分が悪くなる。何か、別の何か・・・彼女が乗りたがっていた、別の・・・。


「 そ・・・そろそろ、こちらのアトラクションに移動してみませんか!? 」


 バッグのポケットから取り出した園内地図。
 『 の行きたい場所 』の中で・・・最も穏やかなアトラクション。


「 メリーゴーランド・・・いいの?り・・・陸遜は、 」


 嫌じゃない・・・?


 伺うような瞳で、彼女が首を傾げた。メルヘンな乗り物に、男は抵抗があると思っているような表情、ですね。
 ・・・ふふ、が乗りたがっているものを、私が嫌がるハズがありません。
 とりあえず・・・これ以上、この速さで回らなければ何でもいい・・・というのが本音ですが。


「 もちろんです。さ、お手を 」
「 ・・・手? 」
「 姫君を誘導するのは、騎士の役目ですから 」


 にこ、と微笑めば、興奮醒めなかった彼女の紅潮が違った赤みを増していく。
 まるで羽のように、おそるおそる重ねられた手を、そっと握った。


「 ご案内するのは、馬車でもよろしいですか?貴女の隣に座りたいのですが 」
「 あ・・・う、うん。お願い、します 」


 握った瞬間、の掌が強張った。それをぎゅっと力をこめて握ると、今度はふにゃふにゃとなった。
 真っ赤になった彼女は俯いている。地面ばかり見ているが、きっと彼女の視界には何も映ってないのだろう。
 半分パニックになっている彼女が、何の障害にもぶつからないように。


「 ( ふふっ、本当の騎士のようですね ) 」


 ならば、この姫を無事に送り届けなければ。
 ふらつく脚を、一生懸命動かして。陸遜はの手を引いて、煌々と輝くメリーゴーランドへと向かった。














「 ( ・・・あ ) 」


 俯かなければ、わからなかった。
 陸遜の足元が、ふらついている。よく見なければわからないくらいだけど、確かに。
 はっと顔を上げるが、彼はの手を握ったまま平然とまっすぐ前を見据えている。
 ・・・いつから、だったのだろう。大好きなティーカップに乗ると、とことん童心にかえってしまうから。
 一緒に乗ってくれた友達は、必ず途中で怒り出してしまうのに。でも・・・陸遜は休もうと言っただけだった。


「 ( 怒ってないのかな・・・ああ、私ったら、どうしよう・・・!! ) 」


 この色の馬車でいいですか?と指差した馬車に、青くなったままの私が乗り込んだ。


「 あッ! 」


 隣に座ろうとした陸遜が、馬車の入り口でバランスを崩す。
 雪崩込むようにして、ドスンと椅子に腰を下ろす。丸い馬車が左右に揺れた。


「 り、陸遜!大丈夫!? 」
「 ええ、大丈夫です・・・驚かせてすみません 」


 陸遜の笑みは、いつもより弱々しい。
 きゅっと八の字眉になったを見て、今度は彼がぎょっとした。


「 ど・・・どうしたのですか?、あの、私、何か機嫌を損ねることを・・・ 」
「 ・・・陸遜 」
「 はい 」


 あ、どもらなかった、と陸遜が思ったのも束の間。ぐいっと腕を引かれた。
 どうしても体格や身長の差があるため、傍から見ればが陸遜に寄りかかっているように見えるが。


「 つ・・・辛かったら、寄りかかってもいいんだからねっ! 」


 なりの、精一杯の気遣いである。驚いたままの彼の顔が、間を置いて・・・染まる。
 彼が照れるなんて見間違えたのでは、と思って確かめようとしたところへ、陸遜の身体がしなだれかかってきた。


「 ・・・お言葉に、甘えて 」


 馬車の中なら、外からもあまり見えないと思いますし・・・。
 という呟きは、自分で薦めたくせに身体をがちがちに凍らせたには届かないだろうと思った。
 緊張させたままなのは可哀想だなと思う反面、陸遜は嬉しかった。
 がたん、とメリーゴーランドが回りだす。ゆっくりと動く風景は見ずに、目を閉じた。


 ・・・鼻先をくすぐる柔らかい髪。の匂い。
 萎えていた気持ちが戻っていく感覚を更に求めて、の首筋へと顔を埋めた。
 御礼をこめて、その首筋にこっそり唇を寄せたが、彼女は気のせいだと思い込むだろう。








 もう少し、私の気持ちを信用してくれてもいいのに・・・と陸遜は静かに苦笑を浮かべた。










Love Me Tender





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( 今はこの、幸せなひとときを堪能することに集中しましょうか )