春の鳥の鳴き声に顔を上げた。
「 ( ・・・ああ、そうか、もうそんな季節だったね ) 」
見上げた空は早春の表情を浮かべているし、視線を降ろせば地面の花も冬のないではない。
・・・こうして季節が巡る間のことが全く記憶にないのは、ただ無為に過ごしていたということだろうか。
何をせずとも、時は過ぎていく。当たり前のことだと思っていても、直面してみれば物悲しい。
自分がいなくても、この世は回り続けるのだという『 現実 』を・・・突きつけられている気がして。
虚無感にぼんやりとしていると、握っていた杯がすっと手の中から抜き取られる。
突然、現実に引き戻されたのように、あ、と口が開いたまま盃を追いかけると、と目が合った。
彼女は、取り上げた杯の減り具合を確かめて、据わった瞳で私を見下ろした。
「 、それはまだ呑んでいる途中の杯だよ 」
「 これ以上はお身体に障ります。お酒ではなく、お料理を召し上がってください。少しで結構ですから 」
冷淡さの中にも、ほんの少しの労わりを込めて。
取り上げた杯に新たに水を注ぎ、料理の皿と一緒に差し出す。
最近とんと食欲が落ちた私の為に、彼女自ら滋養に良いとされる食材を調理して出してくれるのだ。
愛しいの手料理ならいくらでも、と言いたいところだが・・・意思とは裏腹に身体が受け付けない。
「 ( 日々痩せ細っていく私を、彼女がどれだけ心配してくれているのか・・・頭では理解しているのに ) 」
期待に応えられないもどかしさが、空洞のはずの胸を締め付ける。息苦しさに耐えかねてこっそり息を吐いた。
・・・このままでは埒が明かない。心配してくれる彼女を想い過ぎて、いずれ窒息してしまうだろう。
よし、と僅かに気合を入れて箸を手に取る。
皿に乗った料理を摘まんで、何とか口元へと持って行くが・・・やっぱり、手前で止まってしまった・・・。
どうやっても唇が開いてくれない。のためにも、何とか一口でも食べたいと思うのに・・・。
己の無力さを嘆きながら。溜息交じりに箸を下ろそうと、力を抜いたその時。
「 ! 」
下ろしかけた手に触れる柔らかい熱。の手だった。
彼女は私の手に自分のものを重ねると、箸をそのまま私の口へと持って行った。
「 はい、そのままお口を開けてくださいませ 」
「 ・・・、私には無理・・・ 」
「 お口を、開けましょう 」
「 ・・・・・・・・・ 」
有無を言わさぬ物言いに、しばらく抵抗してみたが頑として譲る気はないらしい。
・・・らしいというか。到底、この頑固さに敵う気がしないのは何故だろう。
諦めにも似た感情が脳裏を過った時、力が弱まったのを見計らったが、さ、と箸を口元に寄せた。
嫌々口の端をひくつきながら持ち上げると、の手に誘導された箸はその薄い隙間に食事を突っ込む。
一瞬、うぐ、と呻き声が上がってしまった。しかし料理が舌に乗ると・・・・・・案外、食べれたようだ。
自分でも驚くほど、あっという間に咀嚼をして飲み込む。
久々の『 食事 』に、上下に動いた喉が嬉しそうな声を上げたのが解った。
「 ・・・・・・・・・ 」
・・・美味しい。悔しいけれど美味しい。
食べると美味しいと感じること、食事を採るという行為が幸せなことなんだと、今更思い出す。
また私の舌を知り尽くしたの、味付けの絶妙加減さといったら!平凡な料理人では適わないだろう。
ばつの悪い顔で、ちら、とを見上げると、あの『 極上の笑顔 』が浮かんでいた。
( その笑顔には、料理人ではなく私が適わないと知っているのだろうか・・・ )
「 ・・・無・・・理矢理食べさせる、なんていただけない行為だね。君だから赦したものの・・・ 」
「 お口に合ったようで何よりです。食べないと回復もしませんからね 」
精一杯の虚勢を気にも止めず、ぱっと手を離すと、あとは自分で食べるようにと皿をすすめられた。
けれど・・・はっきり言って、さっきのは奇跡に等しい。
表には出さないようにしているけれど、どこかそわそわとしているのはご機嫌な証。
” もう一口 ”を待っている彼女には悪いが、今、その笑顔に答えるのは正直辛い。
反射的に、好意を『 拒絶 』してしまいそうになった・・・が、寸でで止めた。
「 そうだ・・・ねえ、 」
状況を整理して、より自分に有利な戦況に覆すのが、軍師である私の本来の仕事。
箸を置いて、背後に立った彼女にくるりと向き合う。
椅子の背もたれに身体を預け、頬杖をつくと、下から煽るようにを見た。
そんな私の態度に、が遠慮することなく頬を引き攣らせる( 相変わらず酷いな )
「 貴女に食べさせてほしいな。きっと食欲も進むと思うのだけど 」
ね?と甘えた声でおねだりする。
大抵の女性はこれで顔を綻ばせるのに、彼女はあからさまな嫌悪でいっぱいにした。
「 ・・・郭嘉さま、何を仰って・・・ 」
「 頼む、この通りだ 」
「 嫌です!お断りいたします!!子供じゃないんですから、自分で召し上がって・・・ 」
「 お願いだよ、。私だって本当は食べたいと思っているんだよ?でも身体が受け付けないんだ。
貴女の力を借りることで、食事出来るるなら、自分の健康のためにも良いだろうし・・・ 」
「 ・・・・・・・・・ 」
絶対的な拒絶で跳ね返されても、敢えて食い下がらず、ぎりぎりのところで躱す。これも戦略のひとつ。
『 私の健康のため 』という言葉は、を踏みとどまらせてくれるに違いない。
案の定、彼女は揺れている様子で、机に広げられた料理を黙って見つめていた。
眉間に皺を寄せて、忠誠心と自分の気持ちとを天秤にかけているのが解る( そんなに悩まなくても・・・ )
だから、これが最後の一押し。
「 本当は・・・私だって、食べたいと思っているんだよ 」
が、はっと見開いた瞳で私を見下ろす。
薄い色素の前髪の間から、縋るように潤んだ瞳で彼女を見つめ返した( いわゆる上目使いというやつだね )
憂愁に満ちた仕草が、の心を動かした訳ではない・・・と思うが、ぐ、と詰まった様子で彼女は眉尻を下げる。
それでもしばらく考え込んでいた様子だったが、観念したように盛大に溜息を吐いた。
最後に、わかりました・・・と小さな声で呟き、いかにも渋々といった様子で首を縦に振った。
諸手を上げて喜びたい気持ちを堪え、いつものように静かに微笑む。
「 ありがとう、。君にそう言ってもらって嬉しいよ 」
「 郭嘉さまの・・・健康のためです、もの。仕方ありません・・・で、では・・・その・・・ 」
「 解っているよ、はい 」
『 屈辱 』の2文字をと顔に貼り付けて、震える手に箸を持った彼女に向かって、あーん、と口を開ける。
あれだけ苦痛で仕方なかったのに、何とも現金な。でも・・・今はそう思われてもいいと思った。
の箸に摘ままれた野菜が、そっと舌の上に乗る。忠誠心まで味わうように、ゆっくり咀嚼して飲み込んだ。
「 い・・・いかが、ですか? 」
私の感想を待つが、不安そうに尋ねる。
喉の動きが止まり、口の中に何もなくなってから、私は感慨の溜息を洩らした。
「 ・・・ふう、美味しいな。何だか気分が良くなってきたよ 」
「 本当ですか!? 」
「 ああ、ありがとう、。貴女のおかげだ。もう一口、いいかな 」
「 ええ、ええ!いくらでも!! 」
慣れないことをして興奮もいつも以上なのか、は頬を紅潮させて喜んでくれた。
満面に広がる彼女の笑顔は、見ているだけで癒される。
・・・ねえ、そんな顔、他の男に向けていないだろうね?ほら、その笑顔だよ。
貴女の『 本当の笑顔 』を見てしまえば、きっと誰もが虜になってしまうよ。
私の顔色なんかよりも、もっと自分の魅力に気づいて方がいいと思う。でも。
「 ( そんなだからこそ・・・愛しい ) 」
その気持ちは何の色もない、無色透明なとても純粋な想い。
独占したいとか、この手に捕まえておきたいとかじゃなくて( 今だけは、ね )
ただ彼女が幸せで在れと思う。その笑顔を、ずっと花開かせていて欲しいと願う。
次の春がやってきても。夏も、秋も、その先の・・・私が居なくなった後の季節の中でも。
・・・そこからは無意識の行動だった、と思う。
もう一口どうぞ、と差し出した箸の横をすり抜け、近づく顔と顔。
腰を浮かせた私と、驚いたようなの視線がかち合った。
瞬きすることも忘れた大きな瞳いっぱいに、自分が映っていた。そして・・・柔らかい、唇の感触。
ほんの数秒、音も無い口づけなのに、その一瞬だけで脳髄まで痺れていく。
余韻を味わいつつ、流れるような動きで。何事もなかったかのように、私は元の椅子に腰を下ろした。
束の間の出来事に、固まったままのは瞳をぱちくりとさせていたが・・・。
「 ・・・か・・・かく、かく、かッ、さ・・・っ! 」
着火した途端、頭の天辺から湯気が出てもおかしくないほど、瞬時に真っ赤になった。
からららん、と軽い音を立てて箸、摘まんでいた料理が床に落ちる。
最初は、信じられないといった様子で両手で頬に手を当てていたが、次第に・・・。
爪が食い込むほど握った拳をぷるぷると戦慄かせて、強張っていた顔を鬼の形相へと変えた。
「 でも一番美味しいのは、貴女の唇だね。何よりも元気が出たよ、ふふっ 」
「 郭嘉さまーッ!!! 」
噴火する山の如く、沸点を超えた彼女を鎮火させるには、相応の時間が必要だった。
恋をして、ちょっとわがままになった
( でも、そんな君が愛しいと思うのは何故かな。いや・・・一層離れがたくなった、が正しいかな )
Title:"ロストガーデン"
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