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 季節は、春。( 私も、凌統先生の・・・好きな人の傍に、ずっと居たいと思います )
 
 
 肌を刺すような冷気が牙を失い、身を包む風は柔らかさを孕む。
 俺の『 城 』である保健室から仰ぐ空も、冬のものではなくなった。
 すぐ傍に植えられている桜の樹も、桃色の蕾を膨らませている。
 
 開花までカウントダウンが始まっているのが解った。
 
 
 
 
 
 
 しばらく窓の向こうへと視線を向けていたが、湯の湧く音がしてコンロの火を止める。
 
 「 せーんせ、珈琲にミルクと砂糖は? 」
 
 部屋の奥に並んだベッドは2つ。
 そのうちのひとつ、左側のベッドに向かって叫ぶ。
 俺の声に反応して、閉まったカーテンに映った影がごそごそと動いた。
 
 「 さ・・・とう、なしの、ミルクたっぷりでお願いしましゅ・・・ 」
 「 了解。起きれるかい? 」
 「 ふあ、い 」
 
 ぶぴー!と鼻をかむ音に、俺は苦笑して( 自業自得とはいえ、可哀そうに )
 冷蔵庫からミルクを取り出すと、濃いめの珈琲に彼女の希望通りたっぷり注いだ。
 湯気の立ち昇るマグカップを持って、先生、入るよ?とカーテン越しに声をかける。
 返事を確認してから開けると、ベッドに腰かけた彼女の姿があった。
 ぼさぼさの髪を慌てて撫でつける彼女に向かい合う形で、持ってきた丸椅子に座った。
 
 「 毎年のことながら、相変わらずよく泣くお姫様だ 」
 「 す、すみません、凌統先生・・・保健室のベッド、占領してしまって 」
 「 いいって、他にもベッドあるから。ほら、珈琲。熱いから気を付けろよ 」
 
 こくんと頷いた彼女が伸ばした手に、珈琲を渡した。
 瞼を真っ赤に腫らした彼女が、鼻をすすりながらマグカップの縁に唇を寄せる。
 息を数回吹いて少しだけ冷ますと、ず、とひと口啜った。
 
 「 ・・・美味しい 」
 「 そうかい?なら良かった 」
 
 へにゃりと弱々しく微笑む彼女に微笑んで、自分も珈琲を含んだ。
 
 「 もう少し休んでいきな。生徒も大半が帰宅したみたいだけど、俺は此処にいるから 」
 「 え、でも、あの・・・凌統先生も予定、ありますよね?私、別の場所に・・・ 」
 「 別の場所に行って、また泣くのかい?俺のことはいいから気が済むまで泣くといいよ 」
 「 ・・・ぐす、っ、ず、ずびばせん・・・ッ! 」
 「 はいはい、ティッシュここね 」
 
 
 
 ・・・このやりとりにも、もう慣れてきた。
 
 
 
 彼女が保健室に駆け込んでくるのは、毎年この季節。
 練習した卒業歌が体育館を満たし、どの教室からも歓声と泣き声が上がる卒業式に限る。
 独特の解放感が、日頃の緊張を全部ほどいてしまうのだろうか・・・。
 涙脆い性格も災いして、その日ばかりは俺の『 城 』へと突撃するのだ。
 
 そして俺は、こうやって慰めるのがお約束。面倒だなんて思ったことは一度もない。
 弱っている奴を放っておくなんて、保険医としての・・・いや、男としてのポリシーにも反する。
 
 
 
 だって・・・惚れた相手なら尚更、でしょ( むしろ役得ってカンジ? )
 
 
 
 「 いつもこうやって凌統先生に甘えてばかりですね。ごめんなさい 」
 
 申し訳なさそうに頭を下げる彼女に首を振って、俯いた顔をこっそり覗きこむ。
 ・・・あーあー、年頃の娘とは思えない酷い顔。鼻は可愛そうなほど真っ赤だし。
 ま、俺はそんなところが好きだけどね。けなげで純粋なところが愛らしい、っつーか。
 
 「 そんなに泣かないで。卒業した生徒たちも、先生のこと大好きだよ、きっと 」
 
 励ましたくて、そう言ったのに。
 予想とは裏腹に、俺の言葉に顔を強張らせると、そうでしょうか・・・と恐る恐る尋ねてきた。
 
 「 ・・・好かれて、いた、でしょうか?私はちゃんと彼らを導けたでしょうか。
 生徒が巣立つのは、教育者としてこれ以上嬉しいことはないって、解っているのに。
 こんなに泣くのは、独り取り残される気がして・・・寂しいから、だと思うんです 」
 
 震える睫毛。薄く開いた瞳には、溢れんばかりの涙が浮かんでいた。
 
 「 なんて情けない・・・私は教育者としても、人間としても、本当に未熟なんです・・・ 」
 
 ようやく止まったと思っていたのに。呟いた瞬間、堰を切ったように涙がぽろぽろと零れた。
 それでも・・・俺を、困らせまいとしているのだと思う。
 出来るだけ声を殺そうと、両手を口元を押えて泣きじゃくっている。
 必死に堪えようとするたびに、その小さな背中が丸まって・・・痛々しかった。
 ずきん、と痛みが伝染するように、俺の胸にも彼女の苦しみが伝わってくる。だから。
 
 
 
 「 ・・・いいんじゃないの?先生。誰だって未熟な部分はあるさ 」
 
 
 
 いつもなら『 言葉を交わす 』だけで満足できたはずなのに。
 
 
 
 俺も・・・『 卒業 』の雰囲気に影響されているのだろうか。
 萎れていた花が忍びなくて、俺はつい、手を伸ばしてしまう。
 一瞬、びく、と身体を震わすほど驚いたようだけど、それはほんの一時のことだった。
 抵抗することなく、彼女は大人しく瞳を閉じた。紅の花びらの上を滴が幾度も伝う。
 瞳を瞑った彼女を見て、ごくり、と喉が鳴ったのは・・・まあ、仕方ないこととして。
 理性を総動員して涙を指で拭うと、緊張させないように出来るだけ優しい声音でそっと囁く。
 
 「 自分が『 未熟 』だと知っているってことはさ、成長できる余地があるってことでしょ 」
 「 余地・・・なんてないです。私、いつもいっぱいいっぱいで・・・ 」
 「 そんなことないよ、先生はいつだって立派に生徒たちを導いてきた。
 もっと自信持ちなよ?俺は本当のことしか言わないし 」
 
 まだしゃくり上げていたが、薄く開いた瞳に向かってパチンとウインクして見せる。
 くす、と頬を緩ませるた彼女が、自分の手で涙を拭い始めた。
 何度も何度も手で払い、その涙も止まる頃には・・・萎えた花もようやく光を取り戻す。
 向かいに座った俺を正面から見据えた瞳は、新たな意思を湛え、輝いていた。
 
 「 ・・・そうですね、凌統先生の仰る通りです。泣いてばかりいないで強くならなきゃ 」
 
 そう言った彼女は、ようやく『 いつも 』の笑顔を浮かべた。
 一足先に、今俺の周りにだけ春が来たような感覚。彼女の笑顔が何だか堪らなく嬉しくて。
 
 だからつい・・・俺も、一歩踏み出してしまったんだ。
 
 
 
 「 ・・・先生は一人じゃない。俺がいる。俺がずっと傍にいてやるよ 」
 
 
 
 俺の言葉に、彼女がきょとんと首を傾げる。
 何度も瞬きを繰り返して、少し考えるように俯いた。
 
 「 凌統先生が・・・ですか? 」
 「 ああ。俺、本当のことしか言わないって、さっき言ったじゃん。約束できないことは言わないよ。
 先生が嫌がっても、俺が、自分の意思で・・・傍にいたい、って思うんだ 」
 
 余裕ぶって言ってみたが、拒否されてしまうことを考えると心中穏やかではなかった。
 ・・・こんな、強引な口説き文句を並べる気はなかった。
 俺的には、いつか然るべきシチュエーションで、然るべき告白を、なーんて考えていたんだけど。
 漠然としていたこととはいえ、こんなにも性急に距離を縮めるつもりがなかったのは確か。
 
 なのに、彼女は予想外の答えを返してきた。
 
 
 
 「 ・・・嫌がる時なんて、永遠に来なかったら・・・どう、しますか? 」
 
 
 
 
 
 
 真摯に、俺を真っ直ぐ見つめてくる瞳。そこに宿る熱は涙のせいか、それとも・・・。
 
 
 
 
 
 
 こ・・・んな瞳で見つめられては、嫌でも期待してしまう。勘違いしてしまいそうになる。
 
 これまでにない動揺に、暴走してしまいそうな恋心を必死に抑えて。
 冷静に務めて俺は言った( けれど、にやけてくるのご愛嬌ってね! )
 
 
 
 「 嬉しい誤算だな。なら永遠に、ずっと・・・一緒にいようか。
 春だけじゃなくて、先生が泣く時は、いつでも涙を拭ってあげられるようにさ 」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 季節は、春。
 巡り巡って、またやってくるのも・・・春だ。
 
 
 
 こんなに感傷的なのも今だけ。
 一週間もすれば、また新しい生徒たちで校舎は満たされるのだろう。
 その頃には・・・俺たちの関係も、今までよりいい方向に変わっているといいのだけど。
 
 そんな期待を込めて、今日も青い空を仰ぐ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 春の訪れを予感させる蕾は、今にも花開きそうだった。
 
 
 
 
 
 
やがて芽吹くだろう。  
 
 
 
Title:"Abandon" , 
Material:"NOION"
 
 
 
 
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