ぼんやりと、輪郭の定まらない視界。す、と徐に右手を伸ばす。
何も無い宙へ浮いたその手の先に、空間を切り取るように割って入る影があった。
影は、私の手を取ると、そっと甲に口付けを落とす( 今日も忠誠を誓う、という意味だ )
「 ・・・おはようございます、小太郎 」
「 ・・・・・・・・・・・・ 」
風魔忍の頭領であり、私の父上に雇われた護衛だという彼は、一切喋ることがなかった。
小太郎は喋れないの?声が出ないの??と聞いてみても、素知らぬフリ。
( 質問にくらい、答えてくれえたっていのに・・・ )
おかげで、驚かすような仕掛けを作ってみたり、向こう脛を思いっきり蹴ってみたり・・・と。
『 心にもない悪戯 』を小太郎をするハメになっちゃったけれど。
( 脛を蹴った時の、ちょっと青褪めた表情がまた可愛くって・・・思い出すだけで、頬が緩んじゃう )
「 ( でも・・・ ) 」
ふいに背中から抱きついた時の、あの瞬間の『 小太郎 』が忘れられないの。
私の気配なんて、とっくにお見通しだったはずなのに。
どん、と受け止めてくれた大きな背中が、大きく震えてた。何も反応がないから、逆に怖くなって。
( だ、だって!度を越すような悪いことしちゃったんじゃないかって・・・今更だけど!! )
恐る恐る・・・彼の名を呼んだ。振り向かなかったから、私が回りこんで下から顔を覗き込む。
・・・頬を深紅に染めていた彼に、私は一目惚れをした。
愛しい、小太郎が愛しいの。今まで一緒にて、恋に落ちなかったのが、不思議なくらい。
自分の頭幾つ分も背の高い彼が、そっと私を見下ろす時、すごく優しい瞳になるのも。
引き締めた唇が、少しだけ緩むと、私まで胸が温かくなるの。ぎゅって、抱き締めたくなるくらい。
声が無くても。その唇が、愛を紡ぐことは無くても。
愛を確かめる方法は、イロイロあるでしょ?
ホラ・・・手を繋いで、指を絡めるだけで、私は貴方の熱を感じられるもの。
・・・ねえ、小太郎。貴方の分も、私が『 言葉 』を紡ぐから
( だからずっとずっと、私の傍にいてね )
「 今日も、大好きです 」
指先で確かめる
姫付きの護衛となったのは、殿の気紛れだった。
どこか惚けたところのある『 不可思議姫 』と噂されていた彼女を。
変わり者同士故、という不当な理由で、頭領である俺自ら面倒見ることとなった。
( 護衛というより、これじゃ唯のお世話係と何も変わらない・・・それに、声は・・・ )
澄んだ大きな眼に映し出され、忍である自分ですら、心の奥まで見透かされるようだった。
だが、その好奇の瞳が、いつの間にか『 変わった 』ように見えたのは・・・欲目、だったのだろうか。
俺が、姫のことを・・・内心、、と本名で呼ぶようになったのと同じ頃。
の態度が、視線が、どことなく今までとは違うのだ。
喋らずに、ただ見護っていただけなのに・・・どうして、悟られたのだろう、と何度焦ったか。
そして、ある日突然。無人の庭を散策していた途中で俺を呼ぶと、真っ直ぐ見つめた。
「 私、小太郎のことが、好きです 」
嬉しさ9割、拒絶が1割といったところか。その場は『 拒絶 』が勝って、首を横に振った。
けれど、姫は諦めなかった。気持ちを言って、むしろすっきりしたのか、所構わず迫ってくる。
小太郎、小太郎、と俺を呼んでは、腕に縋ってきゃっきゃっと嬉しそうにはしゃぐ様子が・・・可愛い・・・。
困ってるフリをしている、でもワザと、だ。逆に愛情を返せない、自分がもどかしい。
愛しい女性に好きと言われて・・・本当は俺だって、心底嬉しいのに。
「 ふふ、今朝は少し肌寒いわね。秋が近づいてきたから、かしら。空気が冷た・・・ッしゅん! 」
布団の中で、衝撃を弱めるためか、身体を丸める。
風邪でも引いては、俺が困る( 彼女の苦しむ姿なんて、微塵も見たくないから )
慌てて布団を肩にかけてやると、が嬉しそうに少し笑った。
そして、繋いだ俺の手を引っ張って、ね、小太郎、と甘えるような声を出した( ・・・嫌な、予感 )
「 ・・・隣に、きてください 」
にっこりと邪気のない笑顔で、ぽすぽす、と自分の隣の布団を叩いた。
勧める様に、身体の掛けていた着物を捲るので、意味を理解した俺は慌てて一歩下がる。
ぷるぷると首を振るのに、お願い!とばかりに両手を合わせた。
「 だって寒いんです!・・・ね?ちょっとだけ、ちょっとの間だけ、でいいから 」
・・・そ、それはさすがに、姫君として如何ばかりか、と思うが・・・。
しかし・・・自分が手を出さねば済むのでは、と甘言を囁く、もう一人の自分がいた。
他の忍も、今は各々の任務で出払っている。誰に見られることもなく、愛しい身体を抱き締められる。
気配が近づいたとしても、いち早く気づく自信はある・・・と、これでは自分を納得させているようだ。
躊躇っている間に、が布団から飛び出してきて、俺の腰にしがみついた。
「 ・・・・・・・・・・・・!? 」
薄い寝着姿から伸びた腕の白さに、心臓が跳ねる。
隠すように布団を引き寄せ、彼女の身体をぐるぐる巻くと、自分も布団に包まってしまったようだ。
「 ( ・・・やられた・・・ ) 」
音の無い、吐息だけの苦笑がくつくと漏れる。見上げたが、俺を見て小さく舌を出した。
彼女の肩を抱き寄せると、観念してそっと身体を横たわらせる。
もうどこにも行かないよ、とその肩を数度叩いて安心させれば、が擦り寄ってくる。
「 ごめんなさい・・・いつも、いつもワガママばかり言って。呆れてますよね、絶対・・・。
あのね、でも、ね・・・私、やっぱり小太郎が好きです。何度考えても、同じ答えに辿り着くの 」
だから赦して、と言われて・・・貴方を赦さない、理由がない。
繋いでいた手を解いて、そっと髪を梳いてやる。何度も、何度も・・・彼女が、心底安堵するまで。
すると、胸に預けていた頭が重みを増す。小さな寝息が、眠りについた証拠。
ふ、っと自分の唇が緩んだのがわかった。手を止めて、また彼女の細い指を自分の手に絡ませる。
引き寄せたその手に、もう一度口付けを送る。
今度は『 忠誠 』なんかじゃなく・・・への『 愛の証 』として。
布団と、彼女の温もりに誘われるように、俺はようやく彼女の身体をそっと抱き締めた。
秋近づくこの季節も、悪くはない・・・そんな、甘い想いと共に。
やわらかな世界
( この指先が触れる貴方の存在が、何よりも愛しい・・・誰よりも、この世界よりも・・・ )
Title:"capriccio"
Material:"空色地図"