April 2015


甘く苦しい執行猶予 with 楽進

※前のページで甘寧お相手のお話は完結ですが、楽進がかわいそう過ぎるので、以下は楽進を選んだ場合のお話です。

***


 玄関のドアを開け、の姿を確認した途端、楽進は満面の笑みで迎えてくれた。

「早かったですね。寒かったでしょう」

 答えるようにぎこちなく微笑んで、は首を横に振った。苦悩しながら来たので、寒さを感じる余裕もなかった。
 寒くないと否定したの手が赤くなっていることに気づいて、楽進は両手で包み込むようにして口元に寄せると、ゆっくりと熱い息を吹きかけて、やっぱり寒かったのですねと微笑んだ。
 こんなことを素でやってしまう楽進に、これまで何度赤面させられたことだろう。数えられない。

「汚い部屋で恐縮ですが、どうぞ、あがってください」

 楽進はいつも謙遜するが、彼の部屋が汚かったことは一回もない。いつも綺麗に掃除されている。
 今日も埃一つ落ちていない床に、初めてお邪魔したときのように緊張しつつ足をつけた。
 暖房の入った室内に、冷たくなっていた体が温められて、ほうっと息を吐いた。
 椅子に座るよう促されたが遠慮して、立ったまま、楽進の名前を呼んだ。

「楽進のお話を聞く前に、わたしからお話したいことがあります」
「そうですか……私もあなたに大切なことを伝えたかったのですが……。それは緊急のことですか?」
「はい。出来れば、楽進のお話を聞く前に、お伝えしたいです」
「わかりました。伺います」

 楽進も立ったまま、互いに向き合う。
 社内で遠目に見かけたことはあったけれど、二人きりになったのは三ヶ月ぶりだ。たった三ヶ月なのに、随分昔のことのように思う。
 楽進が何を思って会わずにいたのかは、こうして見つめ合っても、やっぱり分からない。
 でも、何も言わずに諦めるのは、一歩も前に進めないまま何年も悔やむだけだと、甘寧のことで学んだから、楽進には伝えたい。
 のことを、こんなにも愛してくれた人だから、絶対に失いたくない。

 甘寧と再会して、長い間、目をそむけていた気持ちを受け入れることが出来た。
 あんなにも甘寧を好きだったこと、それは嘘ではない、本当の気持ちだった。
 傷つくのが嫌で、甘寧に恋していたことを忘れて、気持ちを整理することから逃げていたけれど、やっと自分の初恋を思い出すことが出来た。
 そして、改めて考えてみた。
 楽進のことを好きなのか、それとも、まだ甘寧のことが好きなのか。

 甘寧のことは好きだ。
 幼かった自分が、ずっと恋い焦がれてきた相手だったから。
 でも、それは過去の自分が好きだった人だからであって、感謝こそすれ、今は彼を選べない。
 楽進のことが好きだから。

 どんなときでも、のことを大切にしてくれた彼のことが大好きだ。
 憧れていた甘寧に告白をされて嬉しかったけど、今はもう、昔のように素直に喜べなかった。
 あのとき、甘寧がの想いに応えてくれなかったように、も甘寧の想いには応えられない。
 嘘ではない、本気の恋だった。それは本当だ。

 でも、今は、違う。

 どんなに考えても、甘寧のことは、過去なのだ。
 今、想いを伝えたいほど好きなのは楽進だけ。

 だから、甘寧に伝えたいことは、「ありがとう」の感謝だけ。
 ありがとう。あなたのおかげで、人を好きな気持ちを知ることが出来ました。
 ありがとう。あなたのおかげで、後悔をしないために、相手に伝えることの大切さに気づけました。
 
 すうっと大きく息を吸い込んで、は今まで使わずにいた勇気を精一杯投げ出した。

「わたし、楽進が好きです! すごく好きです! だから、別れたくないです!」
「私も、あなたが大好きです。これからも、ずっと、あなたと共にいます」
「……え?」

 一世一度の本気の告白は、それ以上の愛の言葉になって返された。
 肩透かしを食わされたは、次に何をすればいいのか分からず、目を白黒させた。

「えっと……」
「安心しました。あなたがこわい顔をされるから、別れ話かと思いました」
「わたしは、楽進が別れ話をすると思ってたんですけど……違うんですか?」
「私がですか?」
「わたしのことが嫌いになったから、三ヶ月も会ってくれなかったんですよね?」
「まさか! 私があなたを嫌いになるはずがありません!」
「わたしを嫌いじゃないなら、どうして会ってくれなかったんですか?」
「これを、あなたに渡したくて」

 楽進はその場に跪くと、胸ポケットから何かを取り出して、手のひらを開いた。その正体を認めて、は長い睫毛をぱちぱちと上下させた。指輪だ。指輪がある。大きさからして、楽進のものではない可愛い指輪だ。

「これは……」
「三ヶ月前、私は欲望に負けて、あなたを抱いてしまいました。とても幸せでしたし、あなたも喜んでくれましたが、まだ結婚をしていない女性に、なんてことをしてしまったのだろうと悔やみました」

 そう言って、楽進は顔を歪めるが、何もそこまで思わなくても。罪を犯したわけじゃあるまいし。
 あれは合意の上だったし、楽進はこれ以上ないくらいに優しくしてくれたのだから。

「私は自分を責め続けました。李典殿に相談したところ……」
「李典さんに言っちゃったんですか!?」
「はい。李典殿は快く相談に乗ってくださいました」

 楽進は真面目で素直で、おまけに天然なので、時々とんでもないことをしてくれるが、これは最たるものではないだろうか。
 同じ職場の李典に、と楽進が一線を越えたことが、ばれていただなんて最悪だ。そういえば、以前意味ありげに、にやついていたように見えたのは、気のせいではなかったのか。

「やはり、男たるもの、責任はとらなければならないと。もとより、私はあなたとの交際を真剣に考えていましたが。李典殿によると、求婚には婚約指輪は必要不可欠で、それは給料三ヶ月分の値段が好ましいと」
「もしかして、三ヶ月会わなかったのは……」
「婚約指輪を買うために給料を使わずに溜めていました。それから、李典殿が渡すのは内緒にしておいた方がいいとおっしゃったので」

 ということは、だ。
 楽進が三ヶ月会わずにいようと言ったのは、が嫌になったのではなく、婚約指輪を買うための費用を貯めるためだったのか。
 言ってくれたら良かったのに――なんて、も何も聞かずに、勝手に誤解していたのだから世話がない。
 ふふふっと、は笑い出した。
 楽進に振られてしまうのではないかだなんて、楽進は何も言っていないのに、甘寧のときのように、また自分の妄想で苦しんでいた。

 (良かった。勇気を出して、気持ちを伝えられて)

 突然笑い出したを、楽進は不思議そうに眺めた。

殿?」
「ふふっ、すみません。わたし、やっぱり、楽進のことが大好きだなって思って」
「では、求婚させていただけますか?」
「はい。おねがいします」

 楽進は告白をしてくれたときのように、跪いてプロポーズをしてくれた。
 もう迷ったりしない。これからは楽進だけを想って生きていく。
 左手に光る指輪に、そう誓って、は楽進の首に、しかと抱きついた。


***


 が自分以外の誰かに惚れていることに、楽進は早いうちから気づいていた。
 どうやら、その人物は随分前から、長いことの心の中にいるようだった。
 しかし、はその者と浮気をしているわけではなく、どうやらの片思いであるらしいのだが、楽進と付き合って数ヶ月経っても、なかなか消えてくれなかった。
 最初は、それでもいいと思っていた。
 が今、付き合っているのは自分なのだから、過去の男のことなど気にするのは女々しい。
 そんな者は気にせず、を愛し続けていればいい。きっと、いつかは、消えてしまうことだろう。いや、消してみせる。の心を、楽進だけにしてみせよう。
 そう意気込んでいたのだが、口づけても、抱擁を交わしても、その男はしつこくの心を虫食んでいた。
 楽進のことを愛してくれる気持ちは、偽りではないように見えるのに、の恋心の100パーセントを占めることが出来なくて、楽進は内心焦っていた。
 どこの誰だか知らないが、いつまでもを縛らないで欲しい。彼女の中から早く出て行ってくれ。
 を最後まで大切に出来なかった男に絶対に負けたくない。
 焦燥は徐々に大きくなっていって、先日ついに、我慢出来なくなって、を抱いてしまった。
 あくまでも、合意の上だったが、馬鹿がつくほど真面目な楽進にとって、これは大失態だった。
 最高だったが、のことを考えたら、こんなことをするべきではなかった。
 落ち込んでいたら、同僚の李典に、どうしたのか、自分で良ければ相談にのるぞと声をかけられた。
 渡りに船の申し出に、楽進は悩んでいたことを赤裸々に話した。
 全てを聞き終えた李典は何故か、ぶふっと噴き出して、咳払いをしてから、解決方法を教えてくれた。
 男らしく責任をとって結婚すること。女性にとって求婚方法は、その後の結婚生活にも関わる大事なことなので、慎重に準備をすること。婚約指輪は絶対に用意すること。

「教えていただき、恐縮です! 早速、指輪を買って来ます!」
「待て待て。適当な指輪じゃ駄目だぜ。婚約指輪は三ヶ月分の給料だって、昔から決まってる。それから彼女には、内緒にしておけよ」
「そうですか。承知いたしました! 今日より三ヶ月の給金を指輪に捧げます! 李典殿、ありがとうございました! 内緒にするため、殿に三ヶ月は会わないことを告げてきます!

「え!? あ、おい! 待て!」

 背後で李典が何かを言っていたが、走り出した楽進には聞こえなかった。
 これはいいことを聞いた。早速、に三ヶ月は会えないことを伝えて、給料を全て指輪資金として貯めよう。
 結婚をすれば、を楽進のものに出来るし、さすがに夫婦ともなれば、の心から例の男は消えることだろう。

 (もし、殿が私を選んでくれなかったのなら、男らしく諦めよう)

 たった、それだけだ。何も難しいことはない。

殿!」

 ちょうど退社するところだったを呼び止めて、楽進はにこやかに笑いながら、に三ヶ月の猶予をもらうため近づいていった。

- written by 未花 -

2015-12-01