光が届くには少し距離のある、薄暗い社員用通用口。
其処に立ち尽くした彼女は、無言で空を仰いでいた。
哀愁の漂った背中を見ているだけで、何を考えているか解る。
自然と口の端が持ち上がり、傘の留め具を外して、彼女の隣へと立った。
ぽん、と軽快な音がして傘が開く。
驚いたように振り向いたに、俺はにっこり笑って見せた。
「 かーのじょ♪俺の傘に入っていかない? 」
「 李典 」
俺の笑みにつられた様に少し笑って、は頭上に広がった傘の羽を見渡した。
「 大きい傘ね。いつも持ち歩いているの?? 」
「 いいや。今日は絶対『 雨 』だと思ったからさ。そういうこそ、傘、忘れたクチ? 」
「 そう。天気予報で、今日一日、絶対晴れるっていうから持ってこなかったの。
もうすぐ梅雨も明けるっていうのにがっかりだわ。李典はいつもの勘とやら、なの? 」
「 ああ、俺の勘は当たるんだな、これが 」
ぱちん、と悩殺ウィンク。
普通の女子ならぽっと染まる頬も、は、凄いね、と柔らかく微笑むだけ( くうっ! )
動揺は顔に出さずに、俺は彼女へと傘を傾けた。
「 今から帰るんだろう?は会社近くに部屋借りてるんだっけ。送って行ってやるよ 」
「 え・・・だ、だって、李典って私と同じ方向じゃないでしょ。むしろ反対方向だよね? 」
「 いいって。を濡れ鼠にさせるほど、俺は人でなしじゃあないよ 」
むしろ送り狼になりた・・・いやいや、真面目な彼女のことだ。
口に出したが最後。は本気で受け止めて、引いてしまうだろう。
そうじゃなくても、今の彼女の訝しげな表情を見ているだけで不安になっているというのに。
額の中心に力を入れて、むうう・・・と思いっきり唸っているる彼女へ。
再度邪気のなさそう( に見える )笑顔を『 全開 』にした。
そんな懸命な俺に、ようやく女神は心を赦してくれたのだった。
「 ・・・お願い、しちゃおうかな。ありがとう、李典 」
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俺の勘は当たる。だから、彼女に逢った時だってそう。
俺、この娘のこと、絶対好きになるって思ったんだよな。
真面目な優等生のくせして、仕事以外だと危なっかしくて目が離せない。
( 俺なりに )結構真剣にアプローチしても、流されてばかりいるのは残念だけど。
「 ( けれど、は何が何でも欲しいんだよな。そう希うほどの『 存在 』 ) 」
優しくて、近くにいると陽だまりのような温かい気持ちになる。
『 勘 』が無くても・・・きっと惹かれていたかもしれないと、今なら思う。
拳ひとつ分の距離を置いて、そのが隣を歩いている。
「 ( あー・・・可愛い。こんな近くで凝視したことなかったからなー、やべえ、超可愛い ) 」
ボキャブラリーが少ないなあ、俺。
やべえしか言葉が浮かばない。でもやべえ、超可愛い、やば過ぎる!
浮かれ過ぎて、話の内容は覚えていない( いや、ちゃんと聞いていましたよ? )
隣でが笑う。時々拗ねて、頬を膨らませる。会話の途中で考え込んで眉を潜める。
それでね、と言う時、少しだけ嬉々とした表情になる・・・へえ、結構表情豊かなんだな。
今までにない距離の彼女を惚けた様子で見つめていると、ふとが目を見開いた。
「 李典っ、肩が濡れてる! 」
視線の先を見つめ、ああ、と関心なさそうに声を上げた( 冷たいなーと思っていたけど )
彼女がきょろきょろと辺りを見渡し始め、突然、傘の柄を握っていた手を取られた。
引っ張られる理由より、高鳴っていく鼓動の大きさの方が・・・俺にとっては重要だった。
「 ごめん。クリーニング代、請求してね 」
「 いいっていいって。送ってくって言ったの、俺なんだしさ。
それよりのハンカチこそ濡れちゃうよ。多少濡れても大丈夫だって・・・ 」
「 それこそどうでもいいわ。今は李典が風邪を引いてしまわないか、心配 」
雨脚は少しずつ強くなってきたのか、会社を出る前は霧雨だったのに、今は豪雨に近い。
準備中、と札の下がった小料理屋の軒先に、2人で避難する。
カバンから取り出したハンカチを手に、が俺の肩の雨を拭う。
・・・真剣な眼差し。俺、今までにカノジョいたっつーのに、何だこの感覚。
傘の下に居た時より近い、拳半分の距離に、年甲斐もなくドキドキしてるって・・・思う。
が絡むといつもドキドキするけど、さっきみたいに手を取られるのは反則だ。
あの辺から、もうヤバいんだよなぁ、俺・・・っと、まずい。
俺の方が顔赤くなってきたかも・・・って意識したらマジに熱くなってきたぁぁぁ!!!
「 あっ・・・あの、さ、!ほんと、ももももう大丈夫だから・・・! 」
こ・・・これ以上見つめてたら、マジで止まらなくなるから、俺!!
勿体ないとは思いつつも、居た堪れなくなって降参と諸手を上げたのは俺の方。
なのに、彼女はダメ!と強く言った。
「 こんなに濡れて・・・すぐに拭ってあげるからね。ほら、もっと来て、もっと 」
という心優しい彼女の台詞すら、卑猥に聞こえ出したからダメだダメだダメだーッッ!!
( 俺の脳内ーっ!しっかりしろぉぉおおお!!! )
距離を取ろうと一歩だけ後ずさったのに、逆に彼女はムキになってきたようだ。
下がった一歩以上に大きく踏み出してきたもんだから、むしろ離れる前より距離が縮まる。
「 ( あーあーもぉおお!!どうなって知らないぞ!!
俺は警告したぞ!いつまでも鈍感なが悪いんだからなーっ!! ) 」
懸命に、滴を拭う彼女は気づいていない。
濡れた肩とは反対の、宙ぶらりんの手が、今まさにその背に触れようとしているだなんて!
それでも最後の理性が必死に押し止めていた時、視界いっぱいに広がる車のライト。
「 あっぶね! 」
「 きゃっ! 」
あれ程躊躇っていたのに、引き寄せるのは一瞬。
細い肩を抱き寄せて、自分の身体の陰に隠すが、思いの外足元の水溜まりが跳ねた。
ばしゃあぁ・・・ん、と派手な音を立てて飛沫を上げた水を浴びる。
当然、俺はずぶ濡れ。庇いきれなかった彼女も、ひと目で解るほどぐっしょりと濡れていた。
身体に張り付いたスーツが、くっきりと映し出すスレンダーなボディライン。
胸が大きい子が好きだと思っていたけれど、これはこれで・・・そそられる・・・。
卑しい気持ちから目を逸らすように、腕の中のに、大丈夫か?と声をかけた。
「 うん、平気。庇ってくれてありがとう 」
「 いや・・・結局、お前も濡れちまったな。悪い 」
「 ふふっ、ここまで二人で濡れたら、もう気にしなくていいから逆に楽かも。
・・・えーっと・・・それでね、李典。提案があるんだけど・・・ 」
「 ん? 」
拳、ゼロ個分。
不意な事故ではなく、まるで恋人同士のように身体を寄せ合って。
恥ずかしそうに頬を染めたが、何か言いたげにもじもじと身体を揺らす。
( たっ・・・頼むから、それ以上刺激するのはやめてくれ・・・っ!! )
張り付いた前髪を避けながら、意を決した様子で、濡れた薄い唇を開いた。
「 このまま・・・私の家に、来ない? 」
そんな姿で電車に乗るのも難しいでしょ。すぐ近くだから・・・ね?
避けた前髪から、ぽたり、と零れた滴が、眼下の谷間へと吸い込まれていく。
それを見て、俺の喉が・・・ごくり、と喉が鳴った。
背中に支える指先に当たる下着のホックの感触も。白いシャツに透けた薄黄色の肩紐も。
「 ( 全てが、俺の理性を試している・・・!! ) 」
全てが、俺の『 答え 』を待っている気がして・・・俺は黙って空を仰いだ。
( 灰色の雨雲の中にも、一筋の光を見つけた気がした )
「 それじゃ・・・お言葉に甘えて 」
本当?よかった!と、嬉しそうに顔を綻ばせる無邪気な。
雨の寒さなんて吹き飛ぶくらい、胸に漲る熱い想いに身体が震える。
、俺、俺・・・やっぱり、どうしようもないくらいお前が好きだ!!
いつだって俺を( 色んな意味で )熱くするお前の顔を曇らせる奴なんかには渡せねえ!
お前は、俺が幸せにする!!には、まず告白からだな!うん、それからだ!賢いな、俺!
( その後は、何だその、まあ、成り行きだろ! )( だが俺の勘的には悪くない予感っ )
すぐそこなの、案内するね!と無邪気に駆けだした彼女に、傘はもう要らないらしい。
後ろから追いかける俺は・・・そっと俺の太陽に向かって、手を伸ばした。
- written by 灯 -
2015-07-01