アパートに帰った後、何も考えたくなくて倒れ込んだベッドで長い時間そのまま眠ってしまったらしい。絨毯の上に落ちていたスマホから鳴った着信音で目が覚めた。 ろくに発信者の名前も確認せずに電話に出てみると、聞こえてきたのは藍川の声だった。 今の時間は卒業公演の最中のはずだ。 『水無瀬、急で申し訳ない。とにかく今から劇場に来てほしい』 「でも、俺は今謹慎中で」 『君の過去については俺も聞いた。メンバーやファンも動揺している。だからこそ、皆に君の口から話す必要がある。こういう時、本人が沈黙し続けることがファンにとっては1番きついんだ』 一体何を話せと言うのだろう。今まで黙ってたけど研究生になる前は、カメラの前で男とやりまくってましたと俺から改めて説明するのか。騒ぎの元凶である俺が休演して、何事もなく終わるはずの藍川の卒業公演がめちゃくちゃになってしまう。 「俺は……今回のことで間違いなく解雇されます。寺尾さんとそういう約束をしているので。だからこれ以上迷惑はかけられません」 『寺尾さんにはもう許可をもらった。大丈夫だ、君は俺が守るから』 藍川の力強い言葉に混じって、電話の向こうが騒がしくなってきた。そろそろ藍川の出番が来るのかもしれない。 他メンバーがステージに出ている間の、わずかな時間を使って俺に電話をくれたのだ。 俺は研究生になってから、藍川にここまでしてもらえるほどの何かを残せたのか。歌やダンスが特別に優れているわけでもない俺が。 最初の頃に先輩研究生達から嫌がらせをされた時も、そして伊織の代わりにセンターになった時も、さりげなく俺に力をくれた。なのにこの人に、最後まで恩を返せていなかった。 その機会はもう、今しかない。 最後の曲が終わり、再びステージが明るく照らされる。 伊織を含めた研究生達の真ん中にいる藍川が、客席に向けて少し話をした後で俺の名前が呼ばれた。客席からの大きなざわめきの中で、俺はステージ袖から藍川の元へ向かう。 今着ているのはいつもの衣装ではなく、私服だ。 やがて客席が静かになると、隣の藍川から目で合図を受けて俺はマイクを受け取った。 「……水無瀬です。藍川さんの卒業公演の最中に、突然すみません。先日雑誌に掲載された俺の記事ですが、全て事実です。研究生になる前、ゲイビデオの男優として活動していました」 再び客席がざわめく。特に藍川推しの観客にとって、俺のこんな話は余計どころか邪魔なだけだろう。多分、俺にとってこれが最後のステージになるから少しだけ許してほしい。 「色々あってゲイ男優を辞めた時、街でスカウトされて研究生になりました。全てが初めてだらけでしたが先輩達の支えもあり、俺はここで歌やダンスに打ちこむ毎日が本当に楽しくなって、ずっとこの世界で生きられたらいいと思いました。 先輩達も公演のスタッフも、そして公演を見に来てくださった全ての方に感謝しています。今まで、本当にありが……」 「辞めないで、水無瀬くん!」 俺の話を遮るように客席から上がった声。その主は席から立ち上がり、俺を泣きそうな顔で見つめている。まだ高校生くらいの、大人しそうな女の子だった。 「今日、水無瀬くんが休演するって聞いて……やっぱりあの記事が原因だって分かっていたけど、もし何も聞けないまま辞めてしまったら、すごく悲しかったと思う。 でもこうしてまたあなたに会えて良かった。やっぱり私は、ステージにいる水無瀬くんが好き。だから辞めないで」 客席の女の子とステージにいる俺とは少し離れているが、懸命に訴えかけているのが伝わってきて胸が苦しい。 周りを混乱させた俺をまだそこまで想ってくれている。そして彼女は、俺とのハイタッチの時に初めて名指しで応援してくれたファンだった。俺が出る公演には必ず見に来てくれている。 藍川が俺の肩に手を乗せて頷いている。やっぱりここに来たことは間違っていなかったのかもしれない。 浮かんだ涙で客席がにじんで揺らいだ。 それから1週間後、『19歳、ゲイ男優だった俺がアイドルになった日』と表紙に大きく書かれた週刊誌が全国の書店に並んだ。 上半身だけ裸になった俺の、渋い雰囲気のモノクロ写真が表紙になっている。 週刊誌と言っても俺の過去を暴いたあの生々しいゴシップ系の雑誌ではなく、今度はファッションやメイク、そして男の俳優やアイドルを特集する女性向けのものだ。 ゲイ男優からアイドルになった経緯や当時の心境、伊織の代役としてセンターで踊った公演のことなど、事務所で受けた2時間分のインタビュー記事とグラビアが掲載された。 藍川の卒業公演の後、解雇を取り消す代わりに寺尾から命じられた仕事だった。俺の過去が広まって以来様々なところから取材の依頼が来たが、その中でも寺尾が選び抜いた信頼と実績のある雑誌ということで、俺も安心して取材を受けられた。 俺の記事は思ったよりも反響が大きく、テレビやネットでも応援と批判の声が入り混じっていた。インタビューの最後に今後の目標として『伊織を越えてトップアイドルになりたい』と発言したのも原因のようだ。 「まさかこんなに早くバレるなんてな」 喫茶店のテーブルの向こうで苦笑いしているのは、久し振りに会った矢野だ。 もう会わないと言って別れたものの、同じ町に住んでいればどこかで偶然会ってもおかしくはない。 立ち寄った書店で、俺の記事が載った雑誌を手に取っていた矢野と目が合ったのだ。 「俺の葛藤は何だったのかねえ……ま、いいか。お前もいろんな意味で有名になっちまって」 「そのうちみんな飽きるさ、寺尾さんは今が名前を売るチャンスだって言って仕事持ってきてくれてるけど」 矢野は前と変わらず優しくて、一緒にいると心が落ち着く。気遣いを無駄にしてしまった俺を責めたりはしなかった。あまりにも波乱続きの日々を送っていたので、こんな時間を求めていたのかもしれない。 プロデューサーの夏本が俺の元を訪れ、『芸能人でも一般人でも、誰からも100%好かれる人間は存在しない』と話した。つまり嫌われることを恐れず、自分らしく生きることが重要であると。 テーブルに置いてある灰皿を指で引き寄せた矢野が、煙草に火を点けた。それは前から好きな仕草のひとつで、もうセフレではないのにどうしても変な方向に意識してしまう。あのごつい手も長い指も、本当に……。 「……なあ水無瀬、俺はお前と一緒にいて大丈夫なのか」 何故か矢野は、別れたあの日と同じ台詞を繰り返した。ゲイについてはすでに周知の事実で、今更だ。前と違うのは、矢野の表情が引きつり気味でそわそわと落ち着かない様子だという点だった。 「え、どういうこと」 目線で矢野が示した先には、いつの間にか伊織がいた。ガラス窓越しに俺達をものすごい不機嫌そうな顔で睨んでいる。怖い。 まだ吸い始めたばかりの煙草を灰皿に押し付け、矢野は伝票を掴んで席を立った。そして急に俺の肩を抱き寄せると、 「俺の役目は終わったみたいだな。あいつは嫉妬深そうだぜ、頑張れよ」 謎の囁きを残して去っていく矢野の背中は、広く逞しい。が、見惚れている場合じゃない。 去り際の矢野にますます刺激されたのか、外の伊織はガラスを割って入ってきそうな勢いで苛立っていた。 勃起した性器に腰を落とした伊織は、俺にしがみつきながら自ら上下に動く。 肌がぶつかる音と共に、伊織の熱い腸壁に擦られて射精の瞬間が一気に近づいた。このままだと早漏の俺はあっという間に終わってしまう。 「んっ、あ、みなせ……気持ち、いい」 「ちょっと前まで痛がってたくせに、お前すげえな。俺のを全部飲みこんで、締め付けやがって……」 伊織の肩や首に吸い付きながら、俺も負けずに突き上げて犯す。年下にやられっぱなしでイクのは面白くない。 結合部から、たっぷりと使ったローションが溢れてぐちゅぐちゅと音がする。 初めて挿入しようとした時から今まで1度もしていないのに、今日はこんなにあっさり俺を受け入れていやらしく喘ぐのが気になる。 まさか道具を使って、ひとりでしていたのか。他の男とやっている想像はしたくない。 「すご、い……奥まで届いて、もう、僕……やばいよ」 「じゃあ、ここは?」 角度を変えて突くと、伊織は大胆に声を上げて乱れた。よほど快感が強かったのか、更に締め付けがきつくなり俺も唇を噛んで必死で堪える。 まだ出したくない、もう少し楽しみたい。そんな祈りも空しく、俺は射精した。コンドームの中で性器がびくびくっと震えて、溜めていた欲を吐き出す。 潤んだ目で俺を見つめる伊織にキスをして、ベッドに押し倒した。萎えた性器を抜いてコンドームを外していると、起き上がった伊織が俺の股間に顔を埋めてくる。 「僕はまだイッてないから……もっと、したい」 「おい待て、ちゃんとしてやるから、な!」 「待てない……」 伊織の舌が亀頭を包んで吸い上げる。根元の袋まで指で揉まれて、たまらない。そんな時、伊織がフェラを中断して顔を上げた。 「水無瀬ってさ、下の名前何ていうの」 「知らなかったのか?」 「聞いたような気もするけど、忘れた。教えてよ」 しょうがないので伊織の耳元で囁いて名前を教えてやると、急に呆れた顔をされた。 「大げさな名字のくせに、名前は結構フツーなんだ。その顔と一緒だよね」 「あのなあ……」 「でも、さ、好きだよ」 早口でよく聞き取れなかったが、もしかすると俺よりずっと上手いフェラに流されて、もう1度繰り返してもらう余裕はない。早くもまたイキそうになった。 映画の役を降板になった伊織だが、まだ若いからと言い張って次のチャンスに向けて演技の勉強もしている。 業界に顔の広い寺尾が、伊織のために演技指導の先生を紹介してくれたのだ。 謹慎が解けた俺は、再び研究生公演のステージに上がることができた。 藍川の卒業公演の日、俺が劇場に着く前に発表された新しいキャプテンは、キャリアの長い先輩研究生だった。 後日かかってきた藍川からの電話で、実は俺もキャプテン候補に入っていたと聞いて驚いた。しかしカレンダーを見ると今日は4月の初日だったので、真面目な藍川らしくない冗談だと思って軽く受け流した。 「ずーっと気になってたんだけどさ、僕って水無瀬の何なの?」 自然な流れで俺の部屋に迎え入れた伊織が、真剣な顔でベッドの中で問いかけてきた。 こうして何の疑問もためらいもなくセックスしまくっていたが、考えてみれば本当に謎だった。最初は降板の件で落ち込んでいた伊織の話を聞いて、慰めて、それから何となく肌を重ねてしまった。 お互いに告白したわけでもなく、雰囲気だけが盛り上がった結果がこれだ。 「何なのって、ああ……うーん……」 「セフレだったら殺すよ」 「おい、それはねえって。だからそんな怖い顔すんな」 俺の首に両手を軽く絡めてきた伊織に焦って、俺は必死でなだめる。 そういえば矢野と会っているのを見られて以来、レッスン中も妙に視線を感じるし、前より絡んでくる頻度が高くなった気がする。 ただでさえ研究生仲間から伊織との関係を散々いじられている状態だ、ミーティングの時に俺のそばに来ただけで動揺してしまう。 伊織は皆の前では相変わらず俺に対して毒を吐くが、ふたりの時は少しだけ甘えてくる。こういう奴って何て言うんだっけ。思い出せない。 「怒るかもしれねえけど、最初の時は弱ってるお前を見てるうちに、雰囲気に任せて手を出しちまったんだ。最低だよな……自分でも分かってる。殺されても仕方ない」 「あ、でもそれは、キスを僕からしたのも、あるし……」 「でも今は違う。普段はあんまり言えねえけど俺はこれからずっと、お前を大事にしていきたい」 「へえ、僕を越えてトップになるんじゃなかったっけ? じゃあライバルじゃん」 「それとこれとは別……」 「分かってるよ」 そう言うと伊織が俺にすり寄ってきて、胸元に唇を押し当てた。脇や下腹にもキスされて、くすぐったくて甘い気分になる。 伊織の髪を撫でて浸っていると、気を抜いた隙に性器を握られて我に返る。 「水無瀬はすぐイッちゃうから、ゴム厚くしたほうがいいんじゃないの」 俺の顔を見ながら性器をねっとりと舐め上げる伊織は、楽しそうに笑っていた。 恐ろしいなこいつ。トップアイドルになる前に精気吸われまくって、力尽きそうだ。 |