「みんな、来てくれてありがとう……それから今まで、ごめん」
 公演終了後のステージ裏で、伊織が遅れてきた研究生達に頭を下げてそう言った。よほど衝撃を受けたのか、皆が一瞬だけ凍りつく。
「あ、あの伊織が俺達に頭下げたぞ……」
「これ、夢か? 夢だよな」
 そんな囁き合いにも伊織は文句を言うどころか、ずっと体勢を変えずにいる。今までの伊織からは想像できないが、それほど開演前は不安が大きかったのだと思う。
「まあ確かに俺達も、仕事をすっぽかしたのは悪かったよ……大事な日だって分かってたのに」
「実はお前らが3人だけで公演やってんの、ネットのライブ配信で観てたんだよ。俺達が来るって信じて待ってたんだろ、もう行くしかねえって思ったんだ」
 ようやく伊織も顔を上げて、雰囲気も和らいだところで俺は皆にある提案をした。寺尾の許可はまだ貰っていないが、どうしても実現させたいことがある。


***


 あれから一夜明けて、今日の公演はセンター争奪戦最終日、そして俺と伊織それぞれがセンターの日に集まった観客の数が発表される日だ。
 公演が始まり、幕が開いた途端に客席からは驚きの声が上がった。観客にはこの時まで一切知らせていないサプライズ。センターに立つ俺の斜め後ろには、伊織がいる。
 伊織を含めた研究生全員で最終日を迎えたいという俺の希望を伝えると、寺尾は予想通り呆れた顔をした。最初は渋られたが、前日に公演を放棄した研究生達が来るまで場を繋いで乗り切った功績もあり、もうアンタの好きにしなさいという投げやりな許可を貰った。
 前日の伊織のようには上手くいかず、結局満席にはならなかった。しかし公演中、俺の心は晴れやかだった。こうして皆で踊ることが本当に楽しくて、嬉しい。
 公演のラストで発表された争奪戦の結果、圧倒的な大差で勝利した伊織が新公演のセンターに決まった。
 負けても俺は、伊織に心から拍手を送ることができた。もし昨日の公演が中止になって俺が勝ったとしても、そんな勝ち方は納得できないし、嬉しくなかった。


***


 観客や研究生仲間の前では感激して泣いていたくせに、劇場を出て俺と2人になると伊織は急に不機嫌になった。俺の隣を歩きながら唇を尖らせる。
「本当は、水無瀬と勝負なんかしたくなかったんだよね」
「お前のことだから、勝つ自信あったんだろ?」
「それはそうだけど、何か僕達って一緒に居ていちゃいちゃするのが当たり前になってたから、急に敵同士になるとね、ちょっと……」
「前に俺、お前を越えてトップになりたいって雑誌のインタビューでも言ったけどな」
 伊織の言う通り、俺達は距離が近くなりすぎていたと思う。特に両親が失踪して以来、家族になると言ってくれた伊織に俺はかなり依存していた。1番身近なライバルであることを、すっかり忘れていたのだ。
「期間中、焦ってたんだよ。初日が満員だったから、それをキープしたくて必死で……他の研究生って水無瀬のほうの公演にも出てるから、そっちの評判も聞こえてくるんだよね。満員にはならないけど、MCは盛り上がってかなりいい雰囲気だって」
 公演曲のセンターは俺だが、曲間のMCでは全員にアピールの機会が回るようにした。俺は1人でステージに立っているわけではないので、キャプテンとしては当然の役目だ。
「僕はパフォーマンスなら水無瀬には絶対負けてないから、毎日本気で踊ったよ。でもそのたびにお客さんは減っていった。もうどうしたらいいのか分かんなくて、みんなに八つ当たりしちゃったんだ……」
 前に篠原は電話で、伊織にとっての本当のハンデは俺がステージに居ないことだと言った。いくら何でも大げさだと思っていたが、もし俺が一緒に居たら伊織はこんなに追い詰められることはなかったかもしれない。
 そもそも伊織は俺が研究生として加入する前からずっとセンターで、何も恐れることなくそこに立ち続けてきた。改めてそう考えると、今までたどり着かなかった結論が浮かんだ。
「……俺が、お前をダメにしたのか?」
「はあ!? 何でそんなこと言うんだよ!」
 呟いた俺の隣で立ち止まった伊織が声を荒げ、俺の答えを待たずに更に続けた。
「僕は今まで、誰かに本気になることなんかなかった。でも水無瀬と一緒に居るようになってから、自分はこんなに一途になれるんだって気付いたんだ。それに水無瀬は僕の悪いところ、ちゃんと言ってくれるし……」
「俺はお前が困っていると、良くないって分かっていても結局放っておけないんだよ」
「水無瀬はお人好しっていうか、仲間想いだからね……でも僕だけじゃなくて他のみんなも、水無瀬のそういうところに惹かれてるんだと思うよ」
 伊織が俺の手に触れ、それを両手で握った。ああ、こうやって伊織と落ち着いて話すのも見つめ合うのも、本当に久し振りだ。
 上を目指すアイドルとしての俺と、伊織を大切にしたい男としての俺が、この胸の中に両方存在している。これから先何度もそれらの間で揺れて、葛藤するだろう。
 欲深い俺は、どちらか一方だけを選ぶことなんかできないのだ。

***


 夏の暑さがピークを迎える頃、いよいよ新公演が始まった。
 学生時代を思い出させるブレザー風の衣装で1曲目がスタートするこのセットリストは、恐ろしいことに後半で俺のソロ曲がある。決して歌が上手いわけではないのは誰もが知っているはずなのに、公演曲全てのプロデュースを担当する夏本は、俺がソロで歌うことを前提に作ったらしい。
 いかにもなアイドルソングではなく、恋愛要素の一切出てこない男臭いロック調の曲だった。前のセットリストではこういう感じの曲はなかったので、どこか新鮮だ。
『単純に歌唱力の高さを求めるなら、最初から伊織に歌わせてるよ。この曲は水無瀬くんが歌うことに意味があるんだ。勢いのある熱いやつ、期待してるからね』
 セットリストの詳細が発表された後、俺は劇場を訪ねてきた夏本にそう言われた。やっぱり俺といえば、良くも悪くも勢いなのか……。
 とはいえキャプテンがソロ曲で音程を外していては話にならないので、俺は今まで以上にボイストレーニングに力を入れて初日を迎えた。


***


 少し前に最終回を迎えたドラマ「薔薇の棺」は、アイドルの殻を脱ぎ捨てたアヤの『怪演』っぷりが話題になり、その総集編が夜8時からのゴールデンタイムで放送された。
 何度観ても共演の俺は、アヤに圧倒されているのが丸分かりで恥ずかしい。それでも良い経験になったのは事実だった。今はもう、アヤと自分を比べて落ち込むことはない。今の時点ではライバルではなく、あくまで最終目標として割り切ったからだ。そのおかげで、アヤと顔を合わせても普通に接することができている。
 お互いに別の仕事で忙しい中、ドラマのDVD発売記念イベントで久し振りに会った。
「水無瀬さん、新しい公演ではソロ曲があるそうですね。羨ましいです」
「え、あんたならもう何曲もやってそうだけどな」
「実は1度もないんです。水無瀬さんに先を越されましたね」
 相変わらずの無表情で淡々と喋るので、いまいち本心が掴みにくい。それにまだプロデビューもしていない俺が、アイドル界のトップに羨ましがられるのは妙な気分だった。


***


「みなせ〜、聞いて! 僕、ようやくドラマに出られるよ!」
 事務所から戻ってきた伊織がやけにテンション高いと思っていたら、俺の腕にしがみつきながらそんな報告をしてきた。俳優志望の伊織は、個人的に演技のレッスンを受けながらずっとチャンスを待っていたのだ。
「学園ドラマの生徒役で、毎回ちゃんと台詞あるみたい。嬉しくて泣いちゃうよ!」
「そっか、良かったじゃねえか」
「もっと水無瀬も、自分のことみたいに喜んでよ!」
 あれから伊織は、他の研究生達とも上手く行っている。遠慮がちに近づいてきた中学生2人にもダンスを教えたりして、争奪戦の時のように周囲に八つ当たりもしなくなった。俺に対しては前と変わらずにわがままだが。
「僕が演じる生徒って、クラスの男子に恋する役なんだってさ」
「……女子じゃなくて?」
「そう、もしかしたらキスシーンあるかも! ねえ、どうする? 嫉妬する?」
「どうするって言われても、仕事なんだからどうしようもねえだろ」
 まだあると決まってもいない男とのキスシーンをネタに、伊織は楽しそうに俺をからかう。
 男でも女でも、伊織の相手役にいちいち嫉妬していたらキリがない。こいつはこれから俳優を目指すのだから、いずれは誰かと濡れ場を演じることも有り得る。
 その時が来ても俺は、伊織がしっかり演じられるように見守るしかできない。
「そんなに言うなら、前みたいに俺とキスシーンの練習でもするか?」
「嫌だよ、水無瀬とは本気のキスしかしたくない」
 とんでもない誘い文句をさらっと言うと、伊織は背伸びして俺に唇を重ねてきた。ビルの中とはいえ、いつ誰が来るか分からないのに。
 それでも俺は、潜り込んできた舌を拒まずに伊織の本気に応えた。




第2部/完

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