ロッカールームに行くと、レッスン用のジャージに着替えた篠原がもう来ていた。
 丸椅子に腰掛けて、真剣な顔で何かを読んでいる姿が気になって声をかけてみると、篠原が初主演を務める映画の台本をチェックしているらしい。
 俳優としての仕事、しかも主演。伊織が知れば悔しがるに違いない。
「ドSカレシの個人授業、というタイトルの映画です」
「へえ、もしかしてお前がそのドSカレシの役やんのか?」
「俺がどんな役か、興味ありますか」
「そりゃ気になるだろ、何たって初主演なんだから」
俺がそう言うと篠原は台本を閉じて丸椅子から立ち上がると、ロッカーの側面に追い詰めた俺の顔の横に片手をついた。篠原は俺より少し背が高いので、妙に威圧感がある。
「……全部忘れて違う恋をしろ、だと? お前、誰に向かってそんな口聞いてんだ」
 射るような眼差しと低い声。突然演技モードに入った篠原は想像以上に役に入り込んでいて、俺は圧倒された。演技なら俺は前に深夜ドラマでの経験があるのでアドバイスでもしようと思っていたが、今の台詞だけでその必要はないと分かった。
 篠原の外仕事といえばモデルの印象が強かったが、寺尾はおそらく篠原のルックスを生かせる仕事をモデル以外にも増やしていくつもりなのだろう。
「俺は記憶力がいいんだ、忘れるわけねえだろ。頭の悪いお前と違ってな」
 篠原は自分のこめかみ辺りを人差し指で示し、薄い笑みを浮かべた。ああ、これがドSカレシってやつなのか。俺は感心しながらも、この映画が公開されれば篠原は更に人気が出そうだと思った。
「こんな感じの役です」
「なるほどな……」
 いつも通りの篠原に戻った直後にロッカールームのドアが大きく開き、そこには怒りに肩を震わせた伊織が立っていた。まだ篠原は俺をロッカーに追い詰めたままだったので、これは完全に誤解されている。
「おい篠原、水無瀬に何やってんだよ!」
「映画の役について説明していただけです。俺、主役やるんで」
「はあ、主役!? 僕だってまだやったことないのに! 何でお前が!」
「知りませんよそんなこと」
 篠原は俺から離れて、先にレッスンスタジオへ行った。後に残された俺と伊織の間に、気まずい空気が流れる。
「水無瀬、まさか篠原と、き、キス……なんて」
「してねえよ」
 閉まったドアを眺めながら顔を引きつらせる伊織の頭を、俺はそっと撫でてやった。ゲイの俺から見れば、篠原にその気がないことくらいは分かっている。


***


 年末の日本ディスク大賞当日、挨拶回りは俺1人で行っていた。さすがに18人全員で楽屋に押しかけるわけにもいかず、キャプテンの俺が代表して共演者の楽屋を訪れて挨拶をしている。
 伊織は俺が心配だからついていくと言ったが断った。いつまでも伊織に頼ってばかりではいられない。伊織が寂しそうな顔をしていたが、何も見なかった振りをした。
 シトラスの楽屋のドアをノックして、許可が下りた後で中に入る。するとすでに衣装を身に着けたシトラスのメンバー7人全員が、ずらりと横一列に並んだ状態で俺を迎えたので、驚いて一瞬固まってしまった。
「寺尾プロダクション研究生のキャプテン、水無瀬です。本日はよろしくお願いします」
「シトラスです、こちらこそよろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!」
 真ん中に立っているリーダーのナミに続いて、他の6人も声を揃えてそう言うと一斉に頭を下げた。
 アイドル界のトップグループが、秋にCDデビューしたばかりの研究生の俺に向かってそんなことを。シトラスはリーダーのナミがかなり礼儀に厳しいと聞いているが、申し訳なくなる。
「水無瀬さん、退院おめでとうございます。復帰したと聞いて安心しました」
 進み出てきたアヤは相変わらずの無表情だが、事故に遭った俺を心配してくれていたようだった。


***


 いよいよディスク大賞の放送時間になり、これまでの大賞受賞者のVTRが流れた後で最優秀新人賞にノミネートされている、俺達を含めた4組が短いトークを挟みながら続けてステージで歌った。
 この番組で歌う時だけ、佐倉達カップリング曲のメンバー8人は2列目以降に組み込まれることになった。人数が増えた分だけ合わせるのが難しくなったが、全員で同じステージに立つために18人が力と呼吸を合わせて、この日に向けてレッスンを重ねて頑張ってきたのだ。これで最優秀新人賞を獲れれば、努力は全て報われる気がした。
 新人賞候補の4組が全て歌い終えた後、次はこの番組で最も注目されているディスク大賞候補の7組がそれぞれステージに立った。何十年も活動しているベテラングループや大物演歌歌手に混じり、シトラスも圧倒的なパフォーマンスを見せつけ、会場を盛り上げた。
「それでは各賞の発表です。まずは今年の最優秀新人賞は……寺尾プロダクション研究生の皆さんです!」
 司会のアナウンサーからの発表と共に、待機席にいる俺達にライトが照らされ、客席から歓声が上がる。
 皆さんステージにお上がりください、と告げられても未だに夢を見ているかのような気分のまま、俺達18人はステージに向かう。号泣する佐倉を支えながら歩く伊織の後ろを歩いてきた俺は、事前の打ち合わせ通りに研究生代表として、審査委員長から受賞の証である楯を受け取った。
 アナウンサーからマイクを渡され、俺は客席に向けて深く頭を下げる。
「本当にありがとうございます、秋にCDデビューしたばかりの俺達が、こんな、素晴らしい賞をいただけて……ファンの皆さんの支えがあってこその受賞だと思っています。本当に、ありがとうございました」
 涙を堪えながらの受賞コメントは、声が詰まってあまり上手く喋ることができなかった。俺の次にコメントを求められた伊織は笑顔で、しっかりとした口調で喜びを伝えた。アイドルとして完璧に。
 たくさんの拍手に包まれた後、俺達は生演奏をバックにCDデビュー曲をもう1度ステージで歌った。
 それから番組の終盤で、いよいよ今年のディスク大賞が発表された。大賞はシトラスの約50万枚セールスのヒット曲「リアリティ」で、去年に続いて2連覇となった。
 ステージで楯を受け取ったアヤと、脇を固める6人の姿はさすがの貫禄を放っていた。アヤはスタンドマイクの前に立ち、落ち着いた声で語り始めた。
「2年連続で大賞をいただくことができて、とても嬉しく思います。ありがとうございました。来年も初心を忘れず、最高のパフォーマンスをお見せできるように頑張ります。それから……寺尾プロダクション研究生の皆さん、最優秀新人賞の受賞おめでとうございます」
 受賞コメントが予想外の展開になり、客席がざわめいた。もちろん客席と同じ方向にある待機席にいる俺達研究生も、ステージ上のアヤの視線を受けて動揺していた。
「来年は私達から、この楯を奪うつもりで来てください。ここで戦えるのを楽しみにしています」
 アヤは俺達が受け取った楯よりも大きく、デザインも豪華な大賞の楯を高く掲げながら宣言した。


***


 翌日のスポーツ新聞各紙一面はどれもディスク大賞のもので、『日本ディスク大賞 シトラス2連覇』、『女帝V2達成』という見出しと、楯を持ったアヤを中心にしたシトラスの大きな写真が掲載されていた。
 そしてアヤから俺達に向けたコメントについても各紙の記事で触れられていて、あれはアヤ流の期待・激励だと書いてあるものや、逆に新人への上から目線の発言だという否定的な意見もあった。
「アンタ達に向けたあの発言で、アヤは社長にきつく叱られたみたいよ」
 そう言うと寺尾は、スポーツ新聞の束を机の上に置いた。ああいう場で受賞者が他の歌手に対して発言するというのは、前代未聞の出来事らしい。しかもシトラスにとっては立場的に格下である俺達に。
「あの子がどういうつもりで言ったのかは知らないけど、アヤの件でうちの研究生が注目を浴びたのも事実ね。最優秀新人賞を獲っただけでも大ニュースなのに……ところで話変わるけど、アンタいつまで今のアパートにいるつもり?」
「……えっ」
 突然違う方向に話が進み、俺は思わず変な声を出してしまった。
「アンタの住んでるアパートの場所ね、とっくにマスコミにバレてんの。それにファンが芸能人の自宅前で待ち伏せしたり、部屋に忍び込む事件も昔からよくあるんだからね。そろそろみいちゃんにはセキュリティのしっかりしたところに住んでほしいのよ。そういうことで、アタシが選んだマンションにお引っ越ししなさい」
 あまりにも急すぎて戸惑ったが、社長命令とまで言われては断れない。俺はこの年末の数日間で、仕事の合間に少しずつ準備を進めて引っ越すことになった。


***


 寺尾が選んだ引っ越し先は、俺にはもったいないくらい立地条件が良く、セキュリティも万全な19階建てのマンションだった。家賃は今まで住んでいたアパートの4倍近くだが、ここに住むなら寺尾が半額を負担してくれるらしい。前に住んでいたところよりも劇場が近くなったので、通うのがずっと楽になった。
 とはいえ上京してからワンルームでの生活に慣れていた俺に、2LDKは広すぎる。1人暮らしで部屋は2つもいらない。物置にでもするか……と考えたが、元々俺はそれほど物や家具を持っていなかった。
「じゃあ僕、ここに引っ越して来ようかな。部屋余ってるんでしょ?」
 だいぶ荷物が片付いたところで新居に呼んでいた伊織が、リビングに置いたテーブルの向こうで微笑みながらそう言った。
「え、お前本気で言ってるのか?」
「心配しなくても家賃は僕が半分出すよ、ってことは前に住んでたアパートの家賃と大体同じ額で、水無瀬はここに住めるってことだね」
「いや、まずいって……さすがに」
「なんてね、冗談だよ。同棲してエッチし放題なのは楽しそうだけど、寺尾さんがダメって言いそうだもんね」
 言いそうじゃなくて、絶対ダメに決まっている。寺尾は俺と伊織が付き合うことに反対はしないが、伊織がまだ未成年だということを忘れるなと言われた。
 忘れたことはない。それなのに、椅子から立ち上がって俺にキスをする伊織の誘惑に抗えなくなっている。


***


「すごい、僕こんな角度はじめて……っ!」
 伊織の両膝を押し上げ、硬くなった性器を尻穴に沈めていくと伊織は歓喜の声を上げた。根元まで男を咥え込んだ結合部を本人に見せつけるような、生々しい体位で繋がっている。
 俺が腰を上下に振るたびに、ベッドが絶え間なく軋む。身体を前に倒して、伊織の舌を吸いながら抜き差しすると締め付けが更にきつくなった。
「伊織」
「……ん?」
「好きだ」
 キスの後で俺がそう囁くと、伊織は驚いた顔でこちらを見つめる。そして少し遅れて真っ赤になった。
 雰囲気に浸りすぎて普段めったに言わないことを口に出した、俺のほうも恥ずかしくなる。
「ぼくも……僕も、水無瀬のこと好きだよ! だからいっぱい突いて、もっと奥まで……」
 浅い部分を亀頭で何度か擦った後、伊織の望み通りに奥へと性器を押し込んだ。散々焦らした後の急な挿入で、伊織は油断していたのか短い悲鳴のような声を上げる。激しく腰を使い続けている俺の額に浮かんだ汗が、伊織の胸元に落ちていく。
「あ、あっ……僕もう、いく、いきたい……」
 甘い声でそう言いながら伊織は、自らの性器を手で扱き始めた。淫らな姿に気持ちが昂った俺は抜ける直前までゆっくりと腰を引き、伊織の潤んだ目で見つめられながら一際深く、激しく突いた。
「ふっ……あ、いくぅ……っ!」
 俺を咥え込んだまま絶頂を迎えた伊織は、胸元や腹に精液を放ってぐったりとする。
 今度は自分の欲を解放するために、俺は荒く息を吐きながら獣のように猛烈に腰を振る。身体の力が抜けた伊織は、揺さぶられるたびに小さく声を上げた。
 やがて溜まっていたものを全て伊織の中に注ぎ込むと、俺もベッドに横たわり伊織を抱き締める。
 俺の腕の中でもぞもぞと動きながら、伊織が小さく笑う。
「水無瀬、なんだか今日は頑張りすぎじゃない?」
「……そうか?」
「まあいいけどね。僕、水無瀬とのエッチ大好きだから」
 自然に目が閉じて眠りに落ちる前、今度は伊織が俺にキスをしてきた。


***


「それではここでメールで募集した、視聴者の皆さんからの質問コーナーです。『水無瀬くんは男性が好きだということで、今まで辛い想いをしたことはありますか?』」
 深夜に放送されているトーク番組で、ひとりで出演している俺宛てにそんな質問が届いた。
「俺は自分がゲイだということを今まで1度も恥ずかしい、辛いと思ったことはありません。それは大切な個性のひとつですし、ゲイビデオ男優の過去も今の俺を作った貴重な経験です」
 高校を卒業した後、ゲイビデオの男優になるために北海道から上京してきた。しかし実力も人気もいまいちで、結局所属事務所から切り捨てられて挫折した。1度は採用された理由は、脱いだ時の身体だけは認められたからだ。
 そんな俺が今こうして活動していることで、もしかしたら同じ「個性」を持っている誰かの励みになっているかもしれない。
 そう信じて今日も、アイドルという自分の居場所に立ち続ける。


 俺は今、すごく幸せだ。




第3部/完

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