ビルの屋上から遥か下を眺めながら、あそこに吸い込まれたらどんなに楽だろうかと本気で思った。
 将来の夢も希望も、そして生きる理由すらも失った今はもうこの世界に未練なんか残っていない。全て粉々に砕かれ、踏みにじられたのだ。こんなはずじゃなかったのに、と思うたびに流れた涙はとっくに枯れてしまった。
 空虚な心を抱えたままフェンスを乗り越えようとした時、背後から誰かの気配がした。
「あー、ちょっとそこの君」
 誰かは分からないが止めても無駄だ、そう思いながら振り向いた先にはスーツ姿の男が立っていた。
 小太りでメガネをかけたその男には見覚えがある。素人の女子高生や女子大生を集めた大人数アイドルグループのプロデュースを成功させ、20代にして時代の寵児となった。
「……夏本、タダシ」
「おや、僕のことを知ってるんだね。それよりさ、ちょっとこれあげるから飲んでよ、ね?」
 そう言うと夏本は、手に持っていた何かをこちらに手渡してきた。というより押し付けられた。それは缶ジュースで、パッケージには何故かサツマイモの絵が書かれている。嫌な予感がしつつも開けて飲んでみると、1口飲んだだけで違和感、それどころか今までの絶望が吹き飛ぶような衝撃に襲われた。まずい。何のために炭酸とサツマイモの味を混ぜたのか、どう考えても理解できなかった。
「話題になってるから気になって買ってみたんだけどね、やっぱり勇気がなくてさ、ちょうど君がいたから代わりに飲んでもらったってわけ」
「ぼくを利用したんですか」
「嫌だなあ、人聞きの悪い。味見係にいいかなって思っただけだよ」
 毒見係の間違いじゃないのかと、先ほどの味を思い出しながら眉をひそめた。
「君、さっきそこから飛び降りようとしてたでしょ」
 飲む気をなくした缶ジュースを足元に置くと、夏本が軽い口調でそう言った。
 命の大切さを語られたり、薄っぺらい励ましなら聞く耳すら持たなかったが、まるでただの世間話のひとつのように尋ねられて拍子抜けした。ずっと自分の周りを取り囲んでいた汚い大人たちとは違うものを感じた。
「ここで会ったのも何かの縁だし、名前聞いてもいい?」
 外見は野暮ったいが、人を自分のペースに引きずり込む妙な力がある。そんな夏本にすっかり調子を狂わされ、ため息をついた。
「ぼくは……少し前まで一応、氷月薫という名前でアイドルをやっていました」
 アイドルという言葉を口にした途端、薫は自分をここまで追い詰めた屈辱の日々を思い出して唇を噛んだ。


***


 和室に敷かれた布団の上で、全裸に剥かれた薫は勃起した生臭い性器を口に含んで吸い上げた。
「おお、やっぱり若い尻穴はたまらねえ。こんなに可愛くて小さい穴が、こうやって慣らせば俺のブツを奥までズッポリ飲み込んじまうんだからな」
 性器に奉仕している薫のアナルを舐め回しながら、中年男が下品に笑う。舌と指でねっとりと解されたそこは、自分の意志とは関係なく淫らにひくついて中年男の劣情を煽った。
 シックスナインの体勢で、アナルの様子を細かく聞かされるのが恥ずかしくて逃げ出したくなる。しかしそれができない理由が薫にはあった。
 ちゅぶっ、ちゅぶっと音を立てながら中年男の性器をしゃぶっているうちに噴き出してきた先走りを、吐き気を抑えながら喉奥に流し込む。
 その間にも中年男の愛撫は止まらず、アナルの奥深くまで侵入してきた太い指に敏感な部分を攻められて、薫は奉仕も忘れて甘い声で喘いだ。
「よし、そろそろ薫の可愛い穴にぶちこんでやるからな」
 体位を変えられ、布団の上で四つん這いになった薫のアナルに中年男の猛々しい性器が押し当てられた。血管の浮き出たそれは太く長いだけではなく、いくつもの真珠が埋め込まれている。そのごりごりとした感覚は、アナルを開発されたばかりの薫をいつも激しく狂わせるのだ。
「っ、ひ……ああーっ……!!」
「まだ半分も入ってねえのに、もう感じてやがるのか? ん?」
 中年男は薫の腰をがっちりと両手で押さえこみながら、性器をずぶずぶと沈めて中を支配していく。獣のように荒い息遣いを肩越しに聞きながら、薫は悲鳴にも似た声を上げる。初めて貫かれた時は苦痛でしかなかった挿入が、今では勝手に身体が反応して汚らわしい巨根をきつく締め付けてしまう。
 やがて腸の奥まで性器が埋まると、そこから抜き差しが繰り返される。浅い部分を何度か亀頭で擦った後、急に深く押し入ってきた。そして激しいピストン運動が始まると、揺さぶられるたびに薫は短く喘ぎ続ける。
 硬くなった乳首を摘まれ、引っ張られる。巨根を根元まで咥え込みながら更に受けた刺激で、触れてもいない薫の性器もぴくんと反応して上を向く。
「もう出るぞ、全部お前の中に出すからな! 薫!」
「やっ、あ、だめえ……っ」
 言葉だけの抵抗も空しく、薫の1番深い部分に中年男の濃厚な精液が注ぎ込まれた。その熱さを薫は涙を流しながら全て受け入れる。
 まだ16歳の薫の背中には、肩から腰にかけて色鮮やかな昇り竜の刺青が彫られている。
 それはヤクザの組長という物騒な肩書きを持つ、中年男の愛人である証だった。


***


 薫はアイドルとしてデビューした後、所属している事務所から歌やダンスのレッスン料として多額の金を要求された。それを払わなければレッスンを受けられないが、実家も決して裕福ではない薫には用意できる額ではなかった。結果、事務所と繋がりのあるヤクザの組長の愛人になることで金を稼ぐ羽目になってしまった。
 事務所側は刺青の件も含めて薫の身体を好きにさせる代わりに、月に100万近くの金を受け取っていたらしい。
 それから数ヶ月経ってもレッスンが始まることはなく、組長の屋敷に呼ばれては飢えた組員達にまで輪姦される日々を送り続けた。
 作詞と作曲もできる薫が、果てしなく続く肉体奉仕で心身ともに疲労しながらも作ったいくつかの曲は、全て同じ事務所の人気アイドルに与えられた。もちろんクレジットに出る名前は別人のもので、まるでゴーストライターのような扱いだった。
 そこではっきりと分かった。この事務所は薫を本気でアイドルとして売り出す気はないのだと。でなければアイドルの背中に、こんなに大きな刺青を彫られることを許すはずがない。
 その後、薫を囲っていた組長の中年男は対立していた組との抗争で命を落とした。薫自身も度重なるストレスが原因で体調を崩し、自分から事務所を辞めた。もちろん簡単には辞められなかったが、未成年に売春行為をさせていた件を全て警察に話すと言った途端に動揺した社長により、ようやく解放されたのだ。
 子供の頃からアイドルを夢見ていた薫に残されたのは屈辱と絶望、そして背中に彫られた刺青だけだった。


***


 薫は名前だけではなく、聞かれてもいない自分の過去まで初対面の夏本に話していた。
 どうせもう捨てる命なので、知られたところで今更恥ずかしいとは思わない。
「ふーん、なるほどね」
「ヤクザの愛人にさせられて、作った曲を奪われて、刺青まで彫られた。ぼくはもう、アイドルになんかなれない」
「それなら、アイドルを見つけて育てる仕事をやってみない?」
「え、それって……」
「君が自分の芸能事務所を立ち上げて、社長になるんだ。辛い経験をして、アイドルの痛みを知っている君には向いていると思うんだけど、どう?」
 どうと言われても、夏本の提案があまりにも唐突過ぎてついていけない。アイドルどころか、芸能界に関わることすら怖いと思っているのに。
「別に今すぐとは言わないよ。薫くんは16歳だっけ? 高校は卒業しておいたほうがいいね。できれば大学も……って言いたいところだけど、僕は大学を中退して今の仕事を始めたから説得力ないんだけどさ。ま、他にやりたいことがあるとしても、今は勉強しながら将来を考えるといいよ」
 そう言うと夏本は、これからまた仕事があるらしく薫の前からゆったりとした歩調で去って行った。
 今までずっと誰にも吐き出せずにいた過去を夏本に話したことで、薫は心が軽くなった気がした。芸能事務所を作るかどうかは分からないが、名ばかりだったアイドルから一般人に戻りヤクザの愛人からも解放された。
 これを機会に普通の学生として高校へ通うのもいいかもしれない。


***


 学生として生活している間は芸能界から遠ざかっていたが、ある日テレビで流れたニュースが薫に衝撃を与えた。アイドル時代に所属していた事務所が行っていた数々の違法行為が明らかになり、社長が逮捕された。
 薫が辞めた後は他の所属アイドルに売春行為を強要して、金を稼がせていたらしい。薫と同じように、夢を食い物にされたのだ。
 ファンに夢を与える立場であるアイドルが、夢を奪われて苦しんではいけない。自身の経験から生まれたそんな信念の元で、大学を卒業した薫は数人の仲間と共に芸能事務所を設立した。
 最初はアパートの一室を拠点にした小規模なものだったが、オーディションを開催してアイドル志望の男女を集めて各方面に売り込み、業界内で少しずつ事務所の知名度を上げていった。時には違う意見を持つ仲間と口論になることもあった。
 経験を積み人脈を広げた薫は独立して、男性アイドルやタレントのみを抱える芸能事務所を新たに立ち上げた。所属しているのが男性のみという芸能事務所は他に存在していないので、斬新で面白いと思ったのがきっかけだった。
 芸能事務所の社長となった薫は年齢を重ねていくうちに、歌やダンスに絶対の自信を持つ傲慢な美少年や、ゲイビデオの男優をしていた青年と出会い、彼らをアイドルとして育てていくことになる。


***


 背中にある昇り竜の刺青は、彫られてから20年以上が経つ中で体型が大幅に変わったことで、形が広がって歪んでしまった。かつての薫にとっては過去を思い出させる絶望の象徴でしかなかったが、この竜のように芸能界の頂点へと昇ることを誓ったのだ。
 再びこの世界に戻ったのはアイドル達の夢を守るだけではない。自分を死の淵まで追いこんだ、芸能界の暗部への復讐でもあるのだから。




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