俺達研究生が公演を行う劇場のロビーには、今月初めあたりから白をメインにした豪華なクリスマスツリーが飾られている。そう、俺達くらいの年齢なら誰もが浮かれ気分になるであろうこの時期の象徴だ。
 今日は12月24日。これから始まる夜公演には研究生一番人気の伊織はスケジュールの都合で出られないが、伊織に限りなく近い人気を誇る篠原が出演するということで、チケットはすでに完売しているらしい。
 そんな中、リハーサルも終わりロッカールームでステージ衣装に着替えていると、通りすがりの先輩研究生が俺に顔を近づけて囁いてきた。
「実は俺、夜公演が終わったら彼女とデート。もうテンションやばい」
「彼女って、本命のですか」
「おいおい何言ってんだよ水無瀬、ド本命に決まってんだろうが」
 本命1人しかいないことは知っていたが、俺はわざと冗談を言ったのだ。
 俺と同じ21歳でもキャリアは上である先輩研究生、遊佐(ゆさ)には7歳年上の彼女がいる。見た目は研究生ファンからも「チャラい、軽そう」と言われる遊佐だが結構一途で、研究生になる前まで働いていたバイト先で知り合った社員の女性に一目惚れをしてしまい、遊佐いわく外見も性格も保守的でお堅い彼女を数ヶ月もかけて懸命に口説いて、ようやく付き合えたらしい。
 基本的に俺達研究生には恋愛禁止の掟は存在しない。が、あまりにも事務所のイメージを悪くするような派手な女遊びは慎むようにと言われている。遊佐と彼女は今のところマスコミにツーショットを撮られたりはしていないが、クリスマスイブの夜にこんなに浮かれた遊佐がうっかりやらかさないかどうか、俺は心配だ。劇場に着いた直後から、顔を合わせた研究生達に上機嫌で絡みまくっていたのを思い出す。
 まあ、俺も人のことを一方的にとやかく言える立場ではない。まだ17歳の伊織とは恋人どころか、家族になろうとお互いに誓い合った仲だ。ファンにも週刊誌にも写真を撮られまくって噂にもなっているが、同じ研究生でしかも男同士ということで、事務所社長の寺尾からも「いい宣伝、話題作りになる」と言われてそれほど問題視はされていない。
 業界には未成年の伊織を誘惑しようとする女性達が大勢存在していたようだが、俺との仲がスクープされてからはそういう目的の女性は近寄ってこなくなったという。そんな話を前に寺尾から聞いた俺は、改めて芸能界は怖いところだと思った。特に異性関連ではクリーンなイメージで売りたい伊織に近づこうとする「悪い虫」対策としても、俺は事務所から重宝されているわけだ。ある意味では俺が一番の悪い虫だとも言えるが。
「なあなあ、篠原は公演終わったらどうすんだ?」
「俺はまっすぐ家に帰ります」
 遊佐から突然話を振られた篠原は低い声で冷静にそう答えると、遊佐をちらりと見た。その視線はまるでデート目前の遊佐に対して「浮かれてんじゃねえぞ」と無言で釘を刺しているようにも見える。そう感じたのは俺だけではなかったようで、遊佐もさすがに苦笑いを浮かべていた。
 キャプテンの俺が中心となり円陣を組んだ後、いよいよクリスマスイブの夜公演が始まった。いつも通り9割が女性客で埋まった観客席からは、幕が上がると同時に劇場を揺るがすほどの大歓声が上がった。


***


 公演が終わり、買い物をしてマンションに帰ってきたタイミングで伊織から『これから会える?』という電話が来た。ソロ活動も充実している超多忙な伊織でもまだ17歳なので、夜の10時以降は全ての仕事から解放される。
 とはいえこの時間、生放送の出番を終えたばかりの伊織は疲れているだろうから、イブの夜に2人で過ごすのは諦めていた俺は遊佐にも負けない勢いでテンションが上がってしまった。
『俺はいいけど、お前は疲れてねえのか』
『バカにしないでよ、僕は若いし体力には自信あるんだからね。これからタクシーで家に帰って準備してくるから、水無瀬はそのまま待っててよ』
『ああ、分かった』
『じゃあ、だいたい30分後に』
 伊織との電話を終えた後、俺は急いでシャワーを浴びて公演での汗を流す。1人で適当に食べて過ごすつもりだったので洒落た食事の用意はできないが、部屋の片づけなど伊織を迎えるために出来る限りのことはしておいた。去年まで暮らしていたワンルームのアパートより部屋数が多く広いので、普段の掃除にも時間と手間がかかる。
 そして伊織が予告したとおりの約30分後、玄関の呼び鈴が鳴った。ドアを開けた先には、黒いコートに身を包んだ伊織が立っていた。数日振りに会った伊織は、過密スケジュールの仕事帰りとは思えないほど身なりがきっちりしている。色白の肌も明るい茶髪も全て、一旦家に戻ってから整えてきたのだろう。俺とクリスマスイブを過ごすために。
「今からそんなに僕のことを見つめてないで、早く中に入れてよ」
「べ、別に見つめてねえよ」
「はいこれ持って、愛を込めた僕の手作り」
 今まで手に持っていた白い箱を俺に押し付けた伊織は、玄関で靴を脱いで勝手に中へ入ってきた。リビングのテーブルで箱を開けると、横に倒した丸太のような形のチョコレートケーキが入っていた。定番のサンタ人形などの過剰な飾りのないそれは一見シンプルだが、「中に詰めたチョコのムースとラズベリーソースがポイントの特製ブッシュドノエルだよ」と、ケーキを作った伊織がこだわりを得意気に語っている。
 早速2人分を切り分けて食べたケーキは、確かに濃厚で美味かった。
 人気の格差はあるもののお互いに芸能人なので、今夜の約束はしていなかった。夜の10時以降は仕事ができないとはいえ、伊織は翌日の早い時間から再びドラマの撮影やバラエティーの収録が入っている。普通なら帰宅した後はすぐにでも休みたいところだろう。それでもこうして伊織のほうから、手作りのケーキを持って俺に会いに来てくれた。俺にとってはこれ以上のクリスマスプレゼントはない。今夜は会えないと思い込み、こちらからのプレゼントを用意していなかったのが申し訳ないくらいだ。
 伊織は逆に、今夜は俺に会う気だったからこのケーキを作って準備をしていた。
「水無瀬、ますます僕にはまっちゃった?」
「えっ?」
「前よりもっと、僕のこと好きになったんでしょ」
 テーブルの向こうから目を細めて、伊織は俺をじっと見つめてくる。
 伊織の言うとおりだ。最初の頃は、放っておけない伊織の面倒を見ているという気持ちがどこかにあったかもしれないが、今では伊織が俺に見せてくれる優しさに本気でグッとくることが増えた。
「……だったら、どうする?」
 そう言うと俺は椅子から立ち上がり、伊織に近づく。少し驚いたのか何度か瞬きをしながらこちらを見る伊織に、俺はキスをする。唇が重なるだけだったそれは伊織の身体に触れ続ける時間と共に、深いものになっていく。
 唇が一旦離れると、伊織は息を乱しながら俺にしがみついてきた。
「ん、僕……ケーキ渡しに来ただけなのに、こんなのされたらエッチな気分になっちゃうよ」
「本当に渡しに来ただけか?」
「そうだよ……」
 甘えるような声で言いながら目を閉じる伊織に矛盾を感じながらも、俺は誘われるままに伊織と2度目のキスを交わした。




back