「ねえ、そこのお兄さん! 大学生?」
 騒がしい夜の街で道を塞ぐようにして現れたのは、黒いスーツを着た金髪の男だった。こちらが何も答えずにいると、男は更に一方的に話を進めてくる。
「背も高いし、俺から見ても超イケメンだし、絶対うちの店でトップ狙えるよ! そこのビルに入ってるホストクラブなんだけど、見学だけでもしていかない?」
「……すみませんが俺、そこでは働けません。これでも中学生なんで」
「えっ、中学生!? 嘘でしょ!」
 呆然とするスーツの男に向けて軽く頭を下げると、篠原は何事もなかったように再び駅へと歩き出した。
 雑誌の撮影が長引いたとはいえ、明日も学校があるのでなるべく早く帰りたい。正直、腹も減っていた。


***


 中学3年の篠原は、15歳にしてよく20歳前後と間違われるほど大人びた容姿の持ち主だ。学年問わずに今まで何人もの女子から告白されてきたが、誰とも付き合う気になれないので全て断っている。女子との恋愛よりも、もっと熱くなれるものがあるからだ。
 寺尾プロダクションという芸能事務所が抱える、男だけのアイドル研究生。彼らがほぼ毎日専用劇場で歌やダンスを披露する劇場公演は、なかなかチケットが取れない。特に1番人気のセンター、伊織が出演する日はチケットの応募倍率が大きく膨れ上がる。
 劇場のロビーには公演がリアルタイムで観られる大きなモニター画面があり、チケットの抽選に漏れた大勢の女性客がそこに集まって画面越しに声援を送る。そんな中に混じる男の篠原の存在は異質だった。
 篠原が応援しているのはセンターの伊織ではなく、研究生のキャプテンを務める藍川というメンバーだ。穏やかな雰囲気を持つ最年長の23歳で、悪い噂が一切なくファン対応も良い。常に真面目で優しい振る舞いに、一部の女性ファンからは王子様とも呼ばれている。
 伊織以外の研究生はめったにテレビに出ることはないが、適当にチャンネルを合わせたバラエティ番組のアイドル特集で、伊織と一緒に登場した藍川を見たのが全ての始まりだった。自分は決して出しゃばらずに、感覚的に1歩下がったところで伊織を支えるその奥ゆかしさ。隣の藍川の存在を忘れたかのように喋り続ける身勝手な伊織にも、嫌な顔ひとつ見せない。それどころか上手くフォローを入れる頭の回転の速さ。
 更にその後、公演の様子が少しだけ放送された時に映った藍川の、凛々しく美しいパフォーマンスに完全にやられてしまった。是非、劇場に行ってステージに立つ藍川を生で見たいと思った。
 そのためにはチケット代を確保しなくてはならないが、月3000円の小遣いでは交通費も含めるとどう考えても足りない。藍川が出演する公演を見るための金を手っ取り早く稼ぐために始めたのが、雑誌の読者モデルだ。すでにそこで活躍している友人が編集部に紹介してくれたのをきっかけに、最初に掲載されたのは小さな写真だったが、少しずつ扱いが大きくなり今では複数の雑誌で単独で表紙を飾るところまで登り詰めた。
 実年齢と見た目のギャップで話題になっている部分が大きいので、年齢が上がれば珍しさが薄れて見放される可能性もある。それでも大切なのは、とにかく藍川を生で見たいという今の気持ちだ。高校生になればコンビニやファーストフード店でもアルバイトができるのだから、読者モデルを長く続けられなくても構わない。
 月に10万近い金を稼げるようになった篠原は、とにかく藍川が出演する公演を狙って申し込み続けているうちに、週に1、2回は藍川の生パフォーマンスをじっくりと堪能することができた。


***


 土曜の午前中、電車内はかなり混雑していてまともに身動きが取れない。出入り口付近で壁に背中を預けて立っているのが精一杯だった。そんな時、停車した駅で新たに乗りこんできた乗客の中に藍川がいた。
 人違いかもしれない。毎日あんなに藍川のことばかり追っているせいで幻覚まで見え始めたのか。
 伊織以外の研究生は知名度が低く、周囲の乗客はそばに藍川がいても誰ひとり反応していなかった。
 ドアが閉まって再び電車が動き出すと、偶然にも藍川は篠原の真正面に来た。というよりも隙間なく押し込められた人の群れに流されてきただけだが、まさか客席から眺め続けてきた憧れの男と密着する日が来るなんて。
 今の藍川はステージの上とは違い、細いフレームの眼鏡をかけている。完全にオフモードという感じだ。そして年上の藍川が、自分より少しだけ背が低いことも初めて知った。
 電車が突然大きく揺れて、篠原は押し寄せてきた乗客の圧力から守るように壁際の藍川を両腕で囲った。
 藍川は驚いた顔で篠原を見上げている。当然だ、名前も知らず、話したこともない男がこんな形で接してきたのだから。
「ありがとう。すまない、無理をさせてしまって」
「いいんです、俺が勝手にやったことなので」
 揺れが収まった後も混雑をいいことに、篠原は藍川と接近したまま会話をする。あと数センチで唇が触れてしまいそうな、きわどい距離だった。
「藍川さんですよね? 俺、あなたのファンなんです」
「……君、何度か公演に来てくれているだろう」
「俺を知ってるんですか」
「お客さんは女性がほとんどだからね、君は目立つ」
 眼鏡の奥で目を細めて微笑む藍川が眩しすぎる。それに大勢の客のひとりに過ぎない自分を覚えてくれていたのが信じられなくて、篠原は動揺していた。
「歳はいくつ?」
「15です」
「へえ……見えないな」
 予想通りの反応だが不快ではなかった。実年齢より上に見られるのはむしろ都合が良い。たまに学校へ行かずに街をうろついていても、制服さえ着ていなければ初対面で篠原が中学生だと思う人間はめったにいない。
 藍川は少しの間、真剣な眼差しを篠原に向けてきた。顔や身体をじっくりと、まるで観察するかのように。
「研究生オーディション、受けてみないか」
「……えっ?」
「君なら劇場の、もうひとつの華になれる」


***


 読者モデルの仕事で、人前に立ち注目されることには慣れている。が、篠原には歌やダンスのまともな経験は一切ない。自分がアイドルとしてステージに立つことは今まで想像もしなかった。それなのに憧れの藍川から、研究生オーディションの受験を薦められてしまった。
 藍川が最後に口にしていた言葉の意味を改めて考える。今の劇場の華といえば間違いなく伊織だ。女のような顔立ちや体型は個人的に好みとは程遠いが、劇場だけではなくテレビや雑誌など多くのメディアで活躍していて、研究生の中ではナンバーワンの人気と知名度を誇る。
 よほど自分に自信があるのか、公演の最中も他を押しのけてでも前に出たいという精神が見え見えで、おそらく同じ研究生達からは嫌われているだろう。
 しかしセンター以外には置きどころがないとすら言われているほどの、強烈すぎる存在感を放つ。そんな伊織と自分が肩を並べられるとは思えない。
 そして研究生になるということはつまり、藍川と同じ空間でレッスンを受けて同じステージに立つわけだ。あれほどわずかな時間に会話をしただけでも夢か現実か分からなくなるほど混乱したのに、近くなりすぎると自分がどうなってしまうか分からない。
 色々考えた結果、やはり藍川とはファンとアイドルのままでいたほうが良いと思った。


***


 それから数ヶ月後のある日、藍川が出演する公演のラストで大きな衝撃を受けた。藍川が実家の商売を継ぐために今月末で卒業して、故郷の京都に帰るという発表があったのだ。
 あまりにも突然すぎて、客席の篠原は目の前が真っ暗になった。来月にはもう、藍川は劇場のステージに立つことはない。順調だった読者モデルの仕事をする意味すら見失ってしまった。
 篠原にとっての劇場の華は伊織でも他の誰でもない、知性と凛々しさを兼ね備えた藍川ひとりだけだった。


***


 この先一生分の運を使い切っても構わない、そんな気持ちで応募した藍川の卒業公演のチケットが見事に当選した。藍川の一挙一動を逃さず目に焼き付けたセットリストを全曲終えて、藍川の最後の挨拶が始まる。
 研究生キャプテンとしての想いやファンへの感謝が込められた言葉に、普段は泣かない篠原もいつの間にか涙をにじませていた。研究生オーディションを薦めてくれた藍川の気持ちに応えられなかったことを、今更後悔した。しかしどれだけ悔やんでも時間は戻らず、藍川が今夜で卒業する現実は変わらない。
 挨拶が一区切りついた後、藍川が突然語り出したのは少し前に加入した水無瀬というメンバーのことだった。研究生になる前はゲイビデオの男優だったという過去が、週刊誌に掲載されて騒ぎになった。その影響でしばらく謹慎になっていたはずの水無瀬が今、藍川に呼ばれて地味な私服でステージに現れた。そして週刊誌の件は事実であると認め、更に研究生としての活動を辞退する覚悟でいるらしい。
 水無瀬のファンが客席から励ましの言葉をかけるのを聞きながら、篠原はこの状況が不愉快でたまらなかった。今夜の藍川の卒業公演では、最後まで彼が揺るぎない主役であるべきだった。なのに何故、男とのセックスを商売にしていた汚らわしい奴の話をここで聞かされなくてはいけないのか。顔は平凡、歌やダンスは未だに素人レベルな水無瀬を、藍川がそこまでしてフォローする理由は何だ。
 窮地に陥った後輩を放っておけなかった優しさかもしれないが、もしそうなら藍川はお人好しすぎる。


***


「受験者の皆さん、お疲れさまでした。それでは番号順に合格者を発表します」
 スタッフの宣言に、寺尾プロダクション研究生オーディションの最終審査に残った10人に緊張が走る。ここから2名が選ばれて、明日から研究生として活動することになるのだ。
「……12番。以上です」
 先ほどのスタッフがきっぱりとそう言い放った直後、会場内にざわめきが起きた。2名が選ばれるという予定が覆され、実際に番号を呼ばれたのは1名のみだった。
 選ばれなかった受験者が会場から出て行った後、控えていたマスコミが12番の札を付けた少年を囲んだ。次々と光るカメラのフラッシュ、そして向けられるたくさんのマイク。
 寺尾プロダクションは芸能界でも強い力を持つ有名な事務所だ。無名の研究生という立場でも、もし何かあれば良くも悪くも注目される。かつての水無瀬のように。
「おめでとう篠原くん、今の気持ちを1番先に誰に伝えたいですか?」
 マスコミのひとりにそう問われた篠原の頭に浮かんだのは、自分の人生を変えたと言ってもいいあの人の姿だった。
「元研究生キャプテンの、藍川さんです」
 同じステージには立てなかったが、篠原にとっての藍川はこれからも永遠に特別な存在であり続ける。
 研究生になって確かめたいことがあった。藍川が自身の卒業公演の時間を捧げてまでフォローした水無瀬が、どれほどの男なのか。
 そして1番の目的は、研究生になった自分の姿を藍川に見つけてもらうことだった。




back