研究生15人が揃って、カラオケボックスの一室に入ってソファに座った途端に重い沈黙が流れた。隣の部屋からは、決して上手いとは言えない大熱唱がここまで筒抜けになって聞こえてくる。
 数分経っても、誰もマイクを持って歌おうとはしない。歌うことが目的で来たのではなく、この人数でも受け入れてもらえる施設が、近い場所ではここしかなかっただけだ。
「寺尾さんには電話で事情話したけどさ、やっぱり俺達とんでもないことしたんじゃねえの……」
「おい、今更何言ってんだよ。水無瀬に今日の公演は出ないって言ったのお前だろうが」
「いやでも、あの時はさ……」
 この部屋にいる研究生達の会話を聞きながら、佐倉は沈黙し続けていた。
 少し前から行われている、水無瀬と伊織のセンター争奪戦。このイベントが始まって以来、人気や知名度では圧倒的に水無瀬を上回っているはずの伊織から日増しに余裕がなくなっていくのを、同じステージに立つ佐倉も感じていた。
 昨日のレッスン中に伊織が佐倉に発した『僕の公演に出たくないなら出るな』という言葉が引き金となり、争奪戦の結果を左右する伊織センターの最終日、伊織と篠原以外の今日出演予定だった研究生15人が、出演を拒否して今ここにいる。
 社長の寺尾に連絡した時は叱られると思っていたが、話した事情に対してあっさりと納得していたのが意外だった。
 電話を切ってからは劇場にいるはずの伊織に対して「ざまあみろ」、「負けて悔しがれ」と皆は言いたい放題だったが、時間が経つにつれて口数は少なくなっていた。
 この数日間行われている公演は、形式的には水無瀬と伊織が次のセットリストでのセンターを争うためのものだが、毎日2人の後ろで踊っている自分達をそれぞれ推してくれる人達も来ているのだ。勢いで実行したボイコットは、その人達への裏切り行為でもあると気付いた時にはもう遅かった。
 佐倉にとっての伊織は、入った当初から怖い先輩という印象が抜けなかった。あまりダンスが得意ではない上に、口下手で引っ込み思案な佐倉は常に伊織の攻撃対象だった。
『毎日スケジュールが詰まってる僕ですらちゃんと踊れるのに、暇なお前が振り付け覚えてないっておかしいよね?』と、皆の前で言われた時も言い返すことができずに涙を堪えるしかできなかった。
 普段も伊織がそばを通っただけで身体が勝手に反応して不自然に避けてしまうので、それも伊織の気に障っていたらしい。
 他の研究生達も伊織の横暴には腹を立てていた。伊織に正面から注意できるのは当時キャプテンだった藍川だけだったが、藍川がいくら言い聞かせても結局次の日には身勝手な言動を繰り返す。
 そんな時に加入してきたのが、水無瀬だ。しかもあの寺尾が惚れこんでスカウトした、オーディション免除の特待生として。
 水無瀬は歌やダンスが優れているわけではなかったが、どこか怖い物知らずな熱い性格は重苦しかった研究生全体の雰囲気を変えていき、やがて研究生の中心人物となっていた。ゲイビデオの男優という過去には驚かされたが、今では皆抵抗なく仲間として水無瀬を受け入れ、キャプテンとして信頼を寄せている。
 争奪戦のステージでも、水無瀬がセンターを務める公演は満員にはならなくても和やかで、佐倉自身も怯えることなくリラックスして踊れていた。個人的に、水無瀬がキャプテン兼センターになってほしいと思っているくらいだ。
「えっ……おい、どうなってんだ!?」
 離れた席から突然上がった研究生の驚いた声。それにつられて佐倉だけではなく、他の皆もそこに視線を向ける。
「どうしたんだよ、小林」
 声の主である小林は、手にしていたスマホの画面をテーブルに置いて皆に見せる。
 開かれているのは研究生の公演をリアルタイムで有料配信しているサイトで、そこには信じられない映像が流れていた。確実に中止になると思われていた今日の公演が、まさに今始まろうとしている。
 しかも伊織のアナウンスで、研究生達の大半が劇場に向かう途中で渋滞に巻き込まれ、到着が遅れることが告げられた。もちろんそれは真実ではない。集まった観客を不安にさせないための方便だ。
 大切な公演をボイコットしてここにいる自分達を、最後まで信じてくれている「誰か」が提案したのだ。その正体はもう予想がついている。おそらく佐倉以外にも。
「やっぱり俺達、ここで溜まってる場合じゃねえよ……」
 始まった公演のステージには伊織と篠原の他に、今日は出演予定のなかった水無瀬まで立っている。3人しかいないという無茶な状況でも、他の2人を支えるように笑顔で力強く踊っていた。
 もしこの公演が中止になれば争奪戦に勝って、次のセンターが決まっていたはずなのに。水無瀬はセンター候補としての自分を捨てて、キャプテンとしての自分を貫いたのだ。
 それを配信を通して観ていた研究生の1人が、何も言わずにソファから立ち上がる。それに続くように最後は全員が部屋を出て、3人だけの公演が行われている劇場へと向かった。


***


 途中で合流した研究生達と、それに合わせて退場しようとして引き止められた水無瀬。300席全てが埋まった伊織センターの最終日は、研究生18人全員が揃ったステージで締められた。
 公演が終わった後、伊織は研究生達に今までの横暴を頭を下げて詫びていた。それを見た皆は驚きながらも、最初の約30分をボイコットしたことを正直に認めて謝った。この日以来、伊織が研究生達を酷い言葉で攻撃することはなくなった。
 ただ1人、長身で読者モデル出身の篠原に対してだけはライバル視しているらしく相変わらずの態度だが、当の篠原は何も感じていないのか平然としている。
 そして伊織を煽るかのように、公演のMCでは水無瀬に積極的に突っ込みを入れているうちにそれが公演の名物となっていた。


***


「下手くそ」
 夜公演に向けて佐倉がレッスンスタジオでひっそりと練習していると、出入り口の方向から声が聞こえた。そこには予想通り、伊織が両腕を組みながら壁に背を預けていた。
「何だよそのターンは、全然キレがないし。ほんと下手くそだなお前は」
 汗まみれの佐倉に歩み寄ると、伊織は先ほどまで佐倉が練習していた振り付けをやって見せる。人気も実力も研究生トップを誇る伊織のダンスは、他を寄せ付けないほど別格だった。表情も、指先の動きまでもが佐倉とはレベルが違いすぎる。
「い、伊織さん! 今のもう1回見せてください!」
「はっ?」
「ぼくはもう、伊織さんに足を引っ張ってるだなんて思われたくないんです!」
 勢いで思わず伊織の手を両手で握ってしまった。以前ならこうして触るどころか、近づくことすら怖くて出来なかったのに。積極的に教えを乞う佐倉に驚いたのか面食らった様子を見せた伊織は、その後厳しくも分かりやすくダンスを教えてくれた。
 今までは怖くてまともに顔を見つめる余裕はなかったが、伊織の容姿は研究生の中でも明らかに飛び抜けている。公演に伊織が現れるとステージは一瞬で華やかになるのだ。
 センター争奪戦で勝利した時にステージで涙を流した伊織は、もう今までの横暴な先輩ではないと感じたのだ……もしかすると、佐倉の勝手な思い込みかもしれないが。




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