寡黙で陰のある雰囲気のイケメン、と言われている篠原からは甘い桃の香りがした。
 ロッカールームの丸椅子に腰掛けてスマホの画面に指を滑らせてる篠原の隣に座った時に、その香りに気付いたのだ。
「なあ篠原、お前って香水つけるのか」
「普段はつけませんが、俺がイメージキャラをやることになった新作香水を貰ったので試しただけです。匂い、きついですか」
「いや、それほどじゃねえけど」
 この、ふんわりとした甘い香りはあまり篠原のイメージとは合わないと思った。俺は香水の種類には詳しくないが、篠原ならもっと辛口な感じのが合いそうだ。
 研究生の1番人気で現エースである伊織は、自分の魅力が何なのかをよく分かっていて、それをあざといくらいに前面に押し出してファンの心をつかむ。まさにアイドルという言葉がぴったりとはまる存在だ。
 そしていつか伊織が抜けた後はエースの座を引き継ぐのではと噂されている、人気急上昇中の篠原は伊織とは全く逆で、観客の前ではめったに笑顔を見せずに態度も素っ気ない。
 ダンスの自主練を欠かさず、礼義はしっかりしているので先輩研究生からは嫌われることはないが、篠原の表面しか知らない研究生ファンからは、やる気がなく無愛想な奴だと誤解されがちだ。
 それでも年齢の割に大人びた容姿や180センチ越えの長身は他の研究生達にはない独特の武器で、雑誌やファッションショーなどのモデル仕事に生かされている。
 色々あって最初は篠原から嫌われていたが、今はこうして普通に話せるようになったのが嬉しい。
 隣に座ってから数分、甘い香りを感じているうちに俺は何だかそわそわと落ち着かなくなってきていた。
 篠原の横顔が妙に色っぽく見えて、しかも身体の中心が熱い気がする。嫌な予感がして視線を下に動かすと、俺の股間はジーンズを押し上げて明らかに勃っていた。
 これをもし篠原に見られたらと思うと変な汗が出てくる。ゲイではない後輩の匂いに反応して勃起するという俺の失態に、篠原は軽蔑の眼差しを向けてくるに違いない。
 キャプテンとして、そして男としての威厳を保つために俺は股間をさりげなく上着の裾で隠しながら、丸椅子から立ち上がる。とりあえず今からトイレに駆け込んで、抜いてくれば全ては丸く収まるはずだ。
 するとスマホの画面を見ていたはずの篠原が急に顔を上げ、俺のほうを見た。
「どこに行くんですか」
「いや、ちょっと用を足しに……」
「俺も行きます」
「え、あっ、そんな」
 このタイミングでそれは困る。背の高い篠原が俺の耳元に唇を寄せてきて、それだけでくらくらしてしまう。
 今日の俺はおかしいんだ、性の対象としては見ていなかった後輩に対して、こんな気持ちになるなんて。
「それは俺のせいですか」
「な、何が」
 無言で篠原が指差したのは、今も勃起している俺の股間だった。


***


 篠原の長い指が、むき出しになっている俺の性器をためらうことなく扱いている。指の腹で亀頭を攻められると、つい小さく呻いてしまう。
 トイレの1番奥の個室で、俺は洋式の便器に腰掛けながら篠原の愛撫に身も心も乱されていた。足元にしゃがみこんだ篠原が黙々と手や指を動かしながら、静かな眼差しで俺を見上げている。
「水無瀬先輩はここの研究生になる前、カメラの前でもっと激しいことをしてきたんでしょう。それに比べればこんなの大したことじゃない」
「で、でもお前はゲイじゃねえのに、俺にこんなこと……」
「俺達のキャプテンが、扱かれたくらいでそんな情けない声出さないでください。俺は責任を取っているだけなんで」
 淡々とそう告げる篠原の手は、漏れてきた俺の先走りでぬるぬるになっている。その眺めに思わず興奮して、性器は更に硬くなる。
 篠原も男だから、今こうして俺の性器を扱いているこの手で毎晩とはいかなくても自慰をしているのだ。誰にも見せないような艶めかしい表情で、吐息まじりの声を上げながら。
 うっかりそれを妄想してしまった途端、俺は篠原の手に包まれながら性器を震わせた。
「あっ、ああ、やばい出る、出そう……!」
「遠慮しなくていいですよ」
 尿道あたりを指先でぐりぐりと刺激された直後、俺は篠原に見られながら射精した。篠原が手のひらで亀頭を包んでいたおかげで飛び散ることはなかった。
 射精の瞬間に見た、目を細めて唇の端を上げる篠原は心底楽しそうだった。


***


 数日後、劇場内の壁にはピンク色の香水瓶を指先で弄ぶ篠原のポスターが貼られていた。篠原推しの女性客達がそれを見て歓声を上げ、立ち止まって眺める。
 俺は心を狂わせたあの甘い香りをずっと忘れられずにいた。絶対に汚してはいけない相手だったのに、欲望に流されてしまった。
 篠原がつけていたのは、本当にただの香水だったのか? こうして商品化されて出回っているということはそうなのかもしれないが、まるで魔法にでもかかったように、あの時の俺は篠原に欲情していた。
 できれば夢であってほしいと願う。そんな俺の横を誰かが通り過ぎて、数歩先で立ち止まって振り返る。ごついデザインの黒いヘッドフォンを首にかけている篠原だ。
 例の香りはしなかったが、俺を見て浮かべた薄い笑みは篠原に扱かれて射精した直後に見たものと限りなく似ていた。




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