僕の涙であなたが濡れる





荷造りをしている承太郎の背中を眺める。ステージの上でもずっと見てきたそれが、今では遠いものに感じた。

「お忙しいところすみません、聞きたいことがあったので」
「何だ」
「あなたが卒業すること、どうしてぼくだけに打ち明けたんですか」

段ボール箱に荷物を詰めていた承太郎が動きを止め、こちらを振り返る。革張りの黒いソファに膝を抱えている露伴がその瞳に映っていると思うと、何故か胸がざわめく。
承太郎がグループを卒業した後は、その歌唱力を生かしてソロデビューするのかと思っていた。しかし前から興味のあった海洋学の勉強をするためにアメリカへ渡るらしい。そこに永住して、祖父のいる日本に時々帰ってくるという形になるだろう。

「あんたなら泣いて引き止めずに、すんなり受け入れてくれそうだったからな」
「へえ……どうしてそう考えたんです? あの時ぼく、賛成どころかあなたに抜けられると困ると言いましたけど」
「言葉通りの意味に受け取るとでも思ったか? 前からおれを蹴落とす気満々だったじゃねえか、態度を見れば分かる」
「そうかもしれませんねえ」

数日後、承太郎はこのマンションを出て日本を離れる。めったに会えなくなる前に、夜遅い時間にも関わらずドラマの収録後に約束も無しで押しかけた。断る隙を与えないために。
承太郎は立場的に最も近い位置にいた仗助に、発表する直前まで卒業することを教えていなかった。そのため仗助は、承太郎と同じステージに立てる最後の曲の最中も、アイドルらしかぬ青ざめた顔で歌っていた。本能的に身体は動いていたようだが、いつもの勢いはなくショックは大きかったようだ。

「人気や適正の面で言えば、次のセンターは仗助だ。だがおれも、本音ではじじいと同じ考えだった。あんたをセンターにすれば、グループは確実に今までより面白くなる」
「……仗助より人気も適正も劣るぼくを、センターに推した理由は?」

それは公式で行われた人気投票の数字にも、ファンへの対応やスキャンダルの有無にもしっかりと現れているものだが、改めて元センターの口から聞くのは愉快ではなかった。

「グループのファンの中には、仗助よりあんたを嫌う奴のほうが多いからだ」
「どういう意味です?」
「おれ達に限らず芸能人は、良い部分より悪い部分をメディアに取り上げられることのほうが多いだろう。そっちのほうが人の注目、関心を集めやすい」
「まあ、確かに」
「つまり、おれの卒業を転機にじじいはグループに改革が必要だという結論を出した。それもかなり思い切ったやつをな」

プロデューサーのジョセフは新しいセンターに、ファンからの反発も少なく無難な仗助ではなく、スキャンダル連発でファンとアンチの温度差が特に激しい露伴を選んだ。ジョセフらしい、大胆な選択だと思う。
そして彼の思惑通り、グループは新センターである露伴の振る舞い(自覚は無いが、周囲を振り回しているようだ)により承太郎がセンターだった頃と比べ、良くも悪くも知名度が急上昇した。失敗すれば解散に追い込まれる可能性もある、大きな賭けだった。
これは自惚れだろうが、先日の居酒屋の件は承太郎なりのセンター継承式だったのかもしれない。

「承太郎さんの言うとおり、ぼくはあなたを蹴落としてセンターで踊るのが長年の夢でした」
「やっぱりそうか」
「メンバーの一員として、あなたを尊敬してたんですよ。価値のない奴を負かしても面白くないでしょう?」
「それは光栄だ、夢を叶えてやれなくてすまなかったな」

挑発的な笑みを浮かべると、承太郎は再び荷造りを始める。彼は事実上、芸能界を引退して別の世界に飛び込む。もうその背中を追い越すことはできないのだ。改めてそう考えると、張り詰めていた何かが解けて目頭が熱くなる。
黙り込んだ露伴のほうに、立ち上がった承太郎が近づいてくる。そばでソファが沈む音と共に、彼の気配を苦しいほど強く感じた。

「……どうした」
「別に、何でもないです」
「露伴」

大きな手が涙を拭い、目蓋に唇が触れた。普通ではないこの展開を受け入れてしまったのは、よほど不安定になっていたせいなのか。穏やかな動きでソファに押し倒されて動揺する。低い囁き声で身体の芯が震え、承太郎の腕の中から抜け出せない。


***


レッスン場の大きな鏡の前で腕を振ると、指先から汗が飛び散った。露伴の足の動きに合わせて、床がせわしなく音を立てる。
来週の歌番組で初披露する新曲のダンスは、並大抵の努力ではマスターできない。必要なのは、見る者全てを魅了する色気を漂わせることだ。承太郎や仗助とは違う、自分にしかできない表現方法。
休憩なしで1時間ほど踊り続けた頃、ドアが開き仗助が入ってきた。レッスン着である黒いジャージに身を包み、踊る露伴に歩み寄ってくる。

「なあ露伴、今のところおれにも教えてくんねーかな。家でも練習してんだけど全然上手くいかなくてよ」

仗助が苦笑いしながらそう言うと、露伴はようやく動きを止めて足元のタオルを拾い上げる。こちらが返事をしないうちから仗助は唐突に鏡の前で踊り出す。未だにたどたどしいその動きに、思わずため息をついた。

「お前なあ、まだそんなところでつまずいてるのかよ。ぼくのそばで踊るんだから真面目にやってもらわないと困るぜ」
「これでも全力だっての!」
「言い訳してないで、最初から踊ってみろよ。見ててやるから」

力強く頷いた仗助が、曲の音源に合わせて再び踊る。

『センターってのはただの真ん中じゃねえ、敵意や悪意、中傷の矢を他の連中に代わって受ける盾だ。だから誰より最前列にいる』

先日、マンションに押しかけた時の承太郎の言葉が露伴の頭によみがえった。
盾という表現は確かに上手い。更に曲の売り上げが悪かった時の戦犯となり、責任を負う役目だ。プロデューサーの血縁でもある承太郎は、身内のゴリ推しセンターという暴言を浴びせられても、誰にも弱音や愚痴を吐くことはなかった。

『おれが卒業を発表した後の仗助を見たか? 客の前で棒立ちになりやがって、次の曲でも散々だったじゃねえか。あんな簡単に折れちまう盾じゃあ、矢の1本も防げねえよ』
『でも仗助は、あなたに憧れて加入を決めたんですよ。ああなっても無理はない』
『仗助に卒業を打ち明けなかったのは、あいつがどんな時でも盾でいられるかを試したかったからだ。やっぱり今の仗助にセンターは任せられねえ』

あいつは優しすぎるんだ、と承太郎は続けた。素の自分を観客に見せるのは、夢を与える立場としてふさわしくないとも言う。しかし仗助はまだ若く、これからいくらでも輝ける。わずか先の未来すら、何が起こるか分からないのだ。
今は露伴がセンターを務めているが、いつまでもそこに立っていられるとは限らない。絶対的な存在であった承太郎が抜けた後、やがて露伴の脅威になるかもしれない人物がここにいるのだから。




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2012/10/28