素直になれない 『仗助くん、わしの眼鏡を知らんかのう』 夕方、ゲームに夢中になっていると突然電話が鳴り、出た途端に聞こえてきた声に絶句した。今は母親が学校から帰ってきていない時間なので仗助しかいないが、もし別の時間帯で母親がこの電話に出てしまったらと思うと動揺する。 あれだけ言ったのに、どうやらまた忘れているらしい。もし母親に対して名乗られたりすれば大変なことになる。 「おいじじい、おれの家には電話すんなって言ったじゃねえかよ!」 『ああ、そうじゃった……でも今は承太郎も出掛けておるし、ひとりで困っていたんじゃよ』 「大体、じじいの眼鏡の置き場所を何でおれが知ってるんだよ。おかしいだろ」 『……はっ!』 急に大きな声を出されて一瞬どきっとした。もしかして承太郎の不在中に体調を崩したのか。そう思って次の言葉を待っていると、電話の向こうから能天気な笑い声がした。 『すまんすまん、もうかけておったわい』 髪型を馬鹿にされた時ほどではないが、怒りが頂点に達した。まさかこうして離れている時でもこの老人に振り回されるとは、悪夢以外の何物でもない。しかも口うるさい母親が帰宅するまでの貴重な自由時間を、くだらない用件で潰された。 時計を見てみればあと数分でタイムリミットだ。ゲームは後少しでクリアできるところで中断しているのに。 「おれは暇じゃねえんだよ! もう切るからな!」 思わず声を荒げて叫ぶと、仗助は勢いで電話を切った。再びリビングに沈黙が訪れ、深くため息をつく。出会って間もない頃からジョセフと関わると疲れることだらけだった。 赤ん坊の件で少しは見直したものの、素直に父親と呼ぶにはまだ違和感があった。幼い頃からずっと、警官をやっていた祖父が父親のような存在だったせいもある。 洗濯物を畳んでおくという頼まれごとをすっかり忘れていた仗助は、やがて帰宅した母親にかなり厳しく叱られた。 久し振りにパチンコ店に寄ってみたが、休日のせいか満員で入れなかったので仕方なく店を出るとすぐにふたり組の警察官が近づいてきて、仗助の前に立ちはだかった。 「え、何スか?」 「君、ぶどうヶ丘高校の生徒だろう? 制服姿でこの店に出入りしているのを近所の人が見てるんだよ」 「その髪型は目立つからね、私服でもすぐに分かったよ。ちょっと話を聞かせてもらってもいいかな」 仗助の全身から血の気が引いていった。もし家や学校にこの件がばれたらと思うと冷静ではいられない。特に教師をしている母親にはとんでもない迷惑をかけるだろう。 厳しい顔をした警官に腕を掴まれて青ざめた瞬間、聞き覚えのある足音が聞こえてきた。 「あのー、すまんがその子に何か用かの?」 偶然にしてはできすぎたタイミングで、赤ん坊を抱いたジョセフが瞬きをしながらこちらを見ている。補導直前の姿をジョセフにまで目撃された。とことんついてない。 「あなたは? 彼のご家族の方ですか?」 「いやいや、突然いなくなってすまなかったのう……仗助くん、本当に申し訳ない」 警官の問いかけをよそに、ジョセフは仗助にわけの分からない話をし始めた。どう答えてよいのか戸惑っていると、仗助と同じように調子を狂わされた警官にジョセフが微笑みを向ける。 「さっきまで一緒にいたんじゃが、うっかりはぐれてしまって参ったわい。きっとわしがこの店にいると思って、中を覗いていただけなんじゃよ。だからそんなに怖い顔をしないでおくれ」 「じじい……あんた」 「わしのせいで何やら面倒をかけてしまったが、今回は許してくれんかのう」 ジョセフの語りに警官達は顔を見合わせ、肩を竦めると去っていった。先ほどの危機から解放された仗助は口を半開きにしたまま、遠ざかる彼らの背中を眺める。 もちろん今日ジョセフに会うのは初めてで、最初から完全に別行動だった。通りすがりだったジョセフは仗助が置かれていた状況を理解したのか、見事な嘘と演技で仗助を庇ったのだ。 「あんたが来てくれなかったら、おれは……その」 「わしはいつも仗助くんに迷惑をかけてばかりで、たまには役に立ちたかったんじゃよ」 数日前、苛立って電話を切ってしまったことを思い出して罪悪感でいっぱいになった。あんな言い方をした仗助をジョセフは見放さず、守ってくれた。 「……ありが、とう」 真っ直ぐに目を合わせられないまま、仗助は小さく呟いた。こんな時も素直になれないのがもどかしい。 「最近じじいが、パチンコに行きたがっているんだが」 オープンカフェの向かいの席、コーヒーカップを片手に承太郎がそう言うと仗助は口をつけていたジュースを吹き出しそうになった。 「お前、何か知らねえか。急に興味を持ったらしくてな」 「え、いや、おれには何のことだか……」 「嫌な予感しかしねえ、もし行こうとしていたら止めてくれ」 まさか店の前で偶然会った日から興味を持ったのだとしたら、仗助にも責任はあるだろうか。帽子の下からこちらを見ている承太郎から怪しまれている気がして、ジュースの味が分からなくなっていた。 |