破片/後編





トニオが玄関に足を踏み入れた途端に美味い料理の予感を嗅ぎつけたのか、それまでは床に寝転がっていた父親が急に身を起こして、玄関のトニオの元に駆け寄ってきた。

「お久し振りデス、この前気に入ってくださったパスタとサラダ、また作りマスね」

トニオはそう言って、手から下げていた買い物袋を持ち上げて見せる。億泰はそんなふたりのやり取りをすぐそばで眺めながら、ため息をついた。

「おい親父……図々しいにも程があるぜ。トニオはうちの家政婦じゃねえんだ、あからさまに飯目当てみてえな態度が見え見えなんだよ」
「いいんデスよ億泰サン、ワタシの作る料理をお父様に気に入ってもらえて嬉しいデス」
「あんたがそう言うなら……いや、でも」
「台所、お借りしマスね」

まだ戸惑いを隠せない億泰に微笑んだ後、トニオは台所に向かって歩いて行く。その後ろを嬉々とした様子でついていく父親を見て、億泰は再びため息をついた。


***


トニオが作った料理は、いつどこで食べても美味い。冷蔵庫に残っていた、昨日の夕食の余った分を使って別の料理に生まれ変わらせたりと、プロの腕前を惜しげもなく 発揮していた。
腹を満たして眠ってしまった父親に毛布をかけ、億泰はトニオと共に夕食の片づけを始めた。皿を洗っている最中、横に居るトニオの視線を感じてそちらに顔を向ける。

「億泰サン、今日はありがとうございマシタ」
「えっ、何言ってんだよ。礼を言うのはこっちのほうだぜ」
「また億泰サンの家で料理を作って、それをお父様にも食べていただけてワタシはとても幸せデス」
「うちの親父、すっかりあんたのことを気に入ったみてえだ」
「ワタシは億泰サンのお父様に、認めてもらえたということデスね」

億泰から受け取った皿を、トニオは手際よく拭いていく。それを見ながら億泰は、トニオが初めてこの家に来た日の出来事を思い出していた。あんな姿の父親を人間として 扱ってくれたこと。そして泣きそうになった自分を、何も言わずに抱きしめてくれたこと。あの時から億泰は、自分の中のトニオの存在が大きなものになっていたと気付いた。
今までずっと頼りにしていた兄は殺され、父親はあんな状態だ。支えてくれる年上の男の存在に、心が動かないはずがない。やはり自分はトニオのことを……。
そんなことを考えていると、スポンジで汚れを擦り落としていた皿を足元に落としてしまった。鋭い音を立てて砕け散った皿を、億泰は呆然と眺めていたがすぐに我に返る。 そして慌ててしゃがみこむと、割れた皿を片づけるために砕け散った破片に手を伸ばした。

「億泰サン、危ないデスよ!」

そばから上がったトニオの声に驚き、手を止める。

「ワタシが片付けマスから、離れていてクダサイ」
「い、いや、落としたのは俺だしよ」
「……ワタシに、やらせてもらえマスか?」

それ以上何も語らず、トニオは割れた皿の破片を拾い集めた。億泰のような学生とは違い、トニオの手は商売をしていくために必要なものだ。怪我でもしたら大変なのに、 人の家で割れた皿を自分の責任でもないのに、自ら進んで片付け始めた。何故ここまでしてくれるのか、分からない。
やがて皿の破片を集め終えたトニオの手を、億泰はかすかに震えながら握った。あまりにも唐突だったのか、トニオはそんな億泰を驚いた顔で見つめている。握った手をよく 確認してみると、その手に傷はひとつもなかった。大きく、あたたかい手だった。

「……時々、分からなくなるんだ。俺のことも、あんたのことも」
「億泰サン?」
「俺、頭悪いからよお……トニオがくれる優しさを、特別なものみてえに勘違いしちまうんだ。ごめんな、変なこと言って。俺にも何がなんだか」

そう言って苦笑した億泰の手を、トニオがそっと持ち上げる。何だと思って見ていると、億泰の指先にトニオがくちびるを軽く押し当ててきた。

「えっ、なっ……!?」

言葉にならない声を上げた億泰と、トニオの視線が重なる。

「きっと、勘違いじゃないと思いマス。ワタシにとっての億泰サンは、特別な存在なのデス」
「トニオ……?」
「あなたが、好きデス」

突然すぎるトニオの告白を、億泰はまるで夢でも見ているような気持ちで聞いていた。




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2010/5/10
編集→2010/8/9