不思議現象 ジジイが厄介なことになった、と承太郎から電話が来たのは日曜の昼前のことだった。 母親が朝から出かけていたので遠慮なくテレビゲームを楽しんでいた仗助はそれを聞いて、承太郎が目を離した隙に行方不明になったとか、慣れない土地で急に体調を崩したとか、そういう想像をしていた。 とりあえず着替えて待ち合わせの場所である駅前のバスターミナルまで行くと、そこに居たのは承太郎ひとりだけだった。相変わらず威圧感に近い迫力を醸し出している。 その手には、いつもジョセフが面倒を見ているらしい赤ん坊を抱いていた。どうやら承太郎に預けてどこかへ行っているようだ。 「承太郎さん、じじいはどうしたんスか? 厄介なことになったって聞きましたけど」 「ああ、もうそろそろ戻ってくる頃だろうが……遅いな」 「便所にでも行ってるんスか、しょうがねえなあ」 苦い表情で辺りを見回していると、誰かがこちらに向かって走ってくるのが見えた。承太郎に負けず劣らず体格の良い若い男で、Tシャツとジーンズを身に着けている。 男は仗助達の前で立ち止まると、急に笑顔になった。 「悪いな承太郎、便所が混んでてさあ、ちょいと遅れちまった」 「いつまでも戻ってこないから心配したぞ。ちょうど今、仗助も来たところだ」 「そーなんだ! あ、仗助ちゃん久し振り!」 何がなんだか、状況が全然飲みこめなかった。名前すら知らないこの男、承太郎にはやけに馴れ馴れしい態度を取り、仗助に対しては前からの知り合いのような調子で挨拶をしてきた。 もちろんこの男とは初対面で、顔を見たこともない。 承太郎は何も言わずに、抱いていた赤ん坊を男に渡す。男は慣れた感じで赤ん坊をあやし始めた。 「あの……承太郎さん、いくつか質問いいっスかね」 「言いたいことは分かっている。この男のことだろう」 「一体誰なんスかこいつは、さっきからやけに馴れ馴れしいっつーか」 「多分信じないだろうが、率直に言うぞ。こいつはジョセフ・ジョースター、お前の父親だ」 承太郎のスタンド能力のように時が止まる感覚というのは、まさにこんな感じか。承太郎がこんなふざけた冗談を言うとは思えなかったが、こればかりはどうしても信じられなかった。 初めて会ってからそれほど長い日数が経っているわけではないが、仗助が知っているジョセフは杖がなければまともに歩けないほど年老いており、あんなに元気よく走れる若者ではない。見た感じでは、仗助より少し年上といった雰囲気だ。 目が合うと、男は白い歯を見せながら再び笑顔を向けてきた。 この町には自分も含めたスタンド使いが何人も存在し、その能力を何度も目の当たりにしている。少しくらい不思議な現象が起こっても珍しいことではないと思っていたが……。 「朝起きたら、ジジイのベッドで寝ていたのがこいつだった。俺も何度か確認したが、見た目は変わっても間違いなくジョセフ・ジョースター本人だ」 一体どういう確認をしたのか知らないが、やはり承太郎がここまで断言しているのだから、この男はジョセフなのかもしれない。 しかしこんなことが有り得るのだろうか、ある日突然人間が若返るという現象が。これも何者かがスタンドでジョセフに悪さをしたとしか考えられなかった。 「昔、人を若返らせる力を持つスタンド使いに会ったことがある。俺もそいつに子供の姿にされた」 「えっ、じゃあやっぱりじじいも誰かがスタンドで……」 「それは分からない。どうやら詳しく調べてみる必要がありそうだ」 そう言うと承太郎は仗助の肩を掴むと、ジョセフから少し離れた位置まで連れて行く。そして抑えた声でとんでもないことを囁いてきた。 「今日1日、ジジイの世話を頼む」 「ええっ! 俺っスか!」 「他に誰が居るんだ、とにかく頼んだぞ仗助」 承太郎は言葉の端々にまで仗助に対するプレッシャーをにじませながら、そう告げてきた。そしてジョセフは若返っているものの、昨日までの記憶は失われていないこと、しかし性格は年老いている時とは全く違うということを説明した。 未だに戸惑っている仗助をよそに承太郎は携帯電話を取り出しながら、どこかへと去って行ってしまった。 これからどうしようか。とりあえず自宅に連れて帰って、大人しく承太郎の帰りを待つのが1番良いかもしれない。仲間に説明しても信じてもらえずに馬鹿にされるのがオチだと考えた。特にあの、仗助をやたらと敵視してくるねじ曲がった性格の漫画家には要注意だ。 ジョセフを家に連れて行く決意をして振り向くと、先ほどまでそこに居たはずのジョセフの姿が見えず、何故か池の周囲に人だかりができていた。嫌な予感がして人の群れをかきわけて池の前に出ると、ジョセフがまるで忍者か何かのように水面の上に立ち、赤ん坊を腕に抱いたまま普通に歩き回っている。 これもジョセフの能力のひとつなのだろうが、通りすがりの住民達の視線を釘付けにし、思い切り目立っていた。 「何やってんスかあんたは!」 「だって、承太郎と仗助が喋ってる間すげえ暇だったからさあ」 「いいから俺の家に行きますよ!」 「えー、もう少し町ん中うろうろしてえなあ、ダメ?」 ごねるジョセフを強引に池から下ろすと、太い腕を掴んで歩き始める。こいつろくなもんじゃねえ、と密かに舌打ちした。さっさと連れて帰らないと、町の中で何をやらかすか分からない。普段のジョセフとは違った意味で扱いにくい人間だ。 そんな時、前方から私服姿の康一と由花子が歩いて来るのが見えた。最近付き合い始めたばかりで、気持ち良いくらい晴れた日曜は絶好のデート日和というわけだ。何かの話で盛り上がっているようで、まだ仗助とジョセフには気付いていない。 普段なら声をかけて冷やかしているところだが、今は一緒に居るジョセフのことまで説明しなくてはならないので面倒だ。 何事もなくやり過ごしたかったが、それは甘かった。 「よお、康一君に由花子ちゃーん! おふたりさん熱いねヒューヒュー!!」 突然大きな声でジョセフがふたりに向かって声をかけ、仗助は一気に青ざめた。声に気付いた康一と由花子が立ち止まってこちらを見ている。まずすぎる。 しかもふたりに歩み寄って行こうとしたので、仗助は慌ててジョセフの首根っこを掴んで阻止した。 「ヒューヒューとかその冷やかし寒すぎるだろ! っていうか向こうは今のあんたのこと知らねえんだから、絡むな喋るな近付くな!」 「はいはい、仗助は口うるさいねえ」 「あんたがね、はっちゃけすぎなんスよ!」 後日、あのふたりからジョセフについて追求された時のことを考えると頭が痛くなってくる。急に若返ったなどと言っても納得してもらえるかどうか。 とりあえずその場を離れてしばらく歩いていると、CDショップの前でジョセフが足を止めた。外から店内を眺めながら、目を輝かせている。 「ここ、見ていきたいんだけどいい?」 「まあ……ちょっとだけなら」 あんまり抑えつけると言うことを聞かなくなるかもしれないので、少しくらいなら好きにさせてやってもいいと思った。 ジョセフは店内に入ると洋楽のコーナーへ向かい、ビートルズのCDが並ぶ棚の前にしゃがみこむ。ひとつひとつを手に取って、CDの裏に書かれている曲目を嬉しそうに確かめていく。 「ビートルズ好きなんスか」 「年取ってからはよく聴いてるんだよねえ、いつでも聴けるようにテープやMDに録音してさ。音楽、仗助は何が好き?」 「えっと、俺は……」 プリンスの曲をよく聴いていることを話すと、それがきっかけで音楽の話題で盛り上がった。そういえば共通の趣味のことでジョセフと語り合ったのは、これが初めてかもしれない。 気が付くと30分近く経っていて、店を出る前にジョセフはまだ聴いていない曲が入っているらしいビートルズのアルバムを1枚購入した。 店を出た後、喉が渇いたので自販機で飲み物を買ってふたりで喉を潤した。 今のジョセフの見た目が若いせいか、こうしていると友達と一緒に町に出て遊んでいるような気分になる。明らかに父親と息子、という雰囲気ではなかった。 横の自販機に飲み物を買いに来た誰かの存在に気付き、そちらを向いた瞬間に仗助は缶の中に飲みかけのジュースを吹き出した。今日は呪われた日だ、絶対そうに違いない。 「何、顔逸らしてんだよ……東方仗助」 「別にそんなつもりじゃないっスよ、はは……」 「じゃあどういうつもりだ、感じの悪い奴だな」 大きなスケッチブックのようなものを抱えているその人物は、できればお目にかかりたくなかった岸辺露伴だった。 感じが悪いのはお互い様じゃねえかと胸の内で呟き、ジュースを一気に飲み干す。 罵り合いが始まる前にさっさとジョセフを連れてこの場を離れようとしたが、隣のジョセフが突然立ち上がって露伴に近付いた。 「おー、漫画家の露伴君じゃん! 元気でやってる? サインちょーだいサイン!」 「だから絡むなって言っただろ、このくそジジイ!」 「おい仗助、この馴れ馴れしい奴は誰だ」 「俺はジョセもがっ!」 ご丁寧に自己紹介しようとしたジョセフの口を手で強引に押さえて、仗助は引きつった笑いを露伴に向けてごまかす。 それじゃ俺たちはこれで、とジョセフを露伴から遠ざけるように自販機から離れた。そして今度こそ誰にも会わないように祈りながら自宅に向かう。 今日は母親が遅くまで帰ってこないので、それまでに承太郎と合流して引き渡せば全て丸く収まる。 異様なテンションの若いジョセフは扱いにくいし知り合いには何度も会うしで、今日はもう散々だ。 「ここが仗助の家かあ、まさかここに来られるとは思ってなかった」 「当たり前だろ、あんたとおふくろを会わせるわけにはいかねえからな」 ジョセフを居間にあるひとり用のソファに座らせると、仗助も向かい側のソファに腰を下ろした。 母親が不在の今日だからジョセフを家に連れて来られたわけで、普段ならこうはいかない。 16年間変わらずにジョセフを想い続けている仗助の母親と対面してしまったら、どうなってしまうことか。承太郎の顔を見た途端に激しく反応したらしいので、 若返っているとはいえジョセフ本人と会わせるのは危険だ。それでも落ち着いて休める場所はここしかなかった。 「ところであんたがその姿になった心当たりって、本当にねえのかよ」 「いや、全然。おかしなスタンド使いに絡まれたわけでもないしね」 「お手上げってことか……承太郎さんが何か掴んでるといいけど」 「あのさ仗助、すっげえ言いにくいことなんだけどさ、やっぱり言っておくよ」 ソファに背中を預けて天井を眺めていた仗助は、それを聞いて再び正面に向き直る。視線の先に居るジョセフは今日初めて見る真剣な顔をしていた。 「俺がこんなことになって、承太郎にも仗助にも色々迷惑かけてるのは分かってる。でも若返ったおかげで、いいこともあった。じいさんになった俺って、あんまり長い間歩いてられないじゃん。足腰も弱ってるから、休みながらじゃないとまともに動けねえし。今日は仗助と一緒にたくさん町を歩いて話もして、こんなのって日本に来て初めてだったから、めちゃくちゃ嬉しかった」 本当に嬉しそうに語るジョセフを見ていると、不思議なことに今日感じた苛立ちが全て吹き飛んでいった。これくらいでそんな気持ちになってしまう自分は、とても単純だ。 普段の年老いたジョセフとも何度か町を歩いているが、たまに会話が噛み合わなくなったりして調子が狂う。しかしこれでも、最初の頃よりはだいぶ打ち解けてきている。 多分、川に落ちた透明の赤ん坊をジョセフが思い切ったやり方で見つけだした時から。 仗助の前でカッコつけたかった、と言った生き生きとした表情のジョセフを思い出す。 「今まで父親らしいこと何もできなかったから、ずっと悩んでたんだよねえ」 「そんなに頑張らなくても、俺はあんたをちゃんと認めてるから安心しなよ」 「仗助……?」 「俺も、あんたがそこまで考えててくれてるって知って、すげえ嬉しい」 自分でも信じられないくらい、そんな言葉が素直に口から出てきた。照れくさいが、これは紛れもない本心だ。 「ありがと仗助……ところで俺、何だか眠くなってきちゃった」 「それじゃ、俺の部屋のベッド使いなよ。ゆっくり寝られるだろ」 「いや、ここでいいよ。落ち着きすぎると承太郎が来た時に起きられなくなりそうだし」 そう言ってジョセフは、ソファの背もたれに身体を預けて眠った。仗助は隣の部屋から薄い掛け布団を持ってきて、眠るジョセフの身体を包むようにかける。 そして絨毯に寝転がると、テーブルの上に放置してあった雑誌を手に取って適当に広げた。 「はあ……そうなんスか」 『さっぱり手がかりが掴めねえ、一刻も早くジジイを元に戻してやりたいのに』 電話の向こうで、承太郎が苛立っている様子が声で何となく分かる。スピードワゴン財団にも協力してもらい、色々調べているらしいが何もかもが不明だという。 ジョセフが突然若返った原因について夢のある解釈をするならば、息子である仗助との時間を健康な身体で楽しみたかったジョセフの願いが現実になったのかもしれない。 仗助が生まれた時、ジョセフは今ほどではないがすでに高齢だったのだから。 「でも承太郎さん、もう調べる必要はないんスよ」 『何言ってるんだお前は、このままじゃアメリカに帰れねえだろうが』 「心配しないで、俺の家に居るから迎えに来てやってくださいよ」 仗助は電話越しにそう告げると、後ろを振り返る。視線の先にあるソファの上で、先ほど仗助が目を離していた隙にいつの間にか年老いていたジョセフが、穏やかな顔で眠っていた。 |